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10.
コーヒーカップから立ち上る湯気の向こう。
うつむき気味の史朗さんは、言おうか言うまいか迷っていたと言った。
「離婚歴があると最初から言うのもおかしいような気もして……でも、言わずにいるのはずるいとも思った」
「………そうだったんですね」
「ごめん…隠すつもりじゃなかった」
「…………」
それは本当だと思う。
一緒にいる時の彼は、とても誠実だから。
「澄香」
「…はい」
「こんな話を聞かされて、どう思っているのかわからないけど。俺は、結婚という形にこだわるつもりはないんだ。一度失敗しているわけだし、それに…」
「…それに?」
「いや…でも君はまだ若い。結婚して家庭を作ることに憧れる気持ちはあるだろうから…」
それは理解できる、と言う。
「初めて会った時にも、話してくれたしね」
「あ……」
酔っ払っていた時に、周りや親からのプレッシャーで結婚を焦っていると言った。
結婚したい気持ちがないわけじゃないとか、相手がいないだけとか、口走ったような……
「あれは…」
「いいんだ。それは当然だと思う」
「史朗さん……」
「ただ……」
続けようとした史朗さんの口調が重い。
表情も暗くなるばかりだから、胸の中の不安は膨れ上がる。
つまり、私と結婚する気はないってこと……?
苦しくなってきて、下を向くけど。
「澄香…」
同じく苦しそうな彼の声で、呼び戻される。
「もうひとつ、話しておくことがある……」
「え……」
……何を?
こうなるともう、聞く前から泣きたくなってくる。
この空気、いい話だとは思えない。
「そんな顔をさせて、本当にごめん」
「い、いえ…」
そんなことを言わせる自分の顔がどんななのか、想像したら申し訳なくなった。
にじんだ涙を誤魔化そうとして瞬きをすると、彼は痛みを堪えるように笑う。
そして。
「先に言ったらずるいのかな…」
そう、つぶやいた。
「何でもいいです……言って下さい」
何を言われても、受け止めたいと思った。
彼が好きだから。
彼のくれる言葉なら、どんなものでも。
ほしい……
私の言葉に後押しされるように、史朗さんが口を開く。
「澄香……俺は今、君に夢中なんだ…」
「………え」
「君に恋をしている、と思う……」
「…………」
想像とは違う言葉だった。
思っていたのとは、真逆だ。
「初めて会った時から、惹かれていて…。今一緒にいられることも、とても幸せだよ」
それは私も同じだった。
史朗さんといることが、この上なく幸せで。
ずっと、永遠に、囚われていたい。
「私も、です…」
「…………うん」
「私も、史朗さんが好きです。一緒にいたいです…」
「…………」
私に恋をしているという彼。
彼のことが好きでたまらない、私。
私達は、お互いを必要としているよね……?
なのにどうして。
そんなに悲しそうなの……
結婚していたということが、そこまで負い目になるものなのだろうか。
そう考えた瞬間、気付いた。
「……史朗さん」
「うん…」
「何度か、自分のことを悪い男だって言いましたよね……」
「…………言ったね」
「それってどういう意味ですか……?」
「……………」
もしかして。
「子供がいるんですか……?」
確証はない。
でも、他に思いつかない。
前の奥さんとの間に子供がいて、例えばその人の歳が私とあまり変わらない、とか。
逆にまだ幼い子供さんがいるのに、一回り以上年下の私と付き合うなんて、とか?
でもそれだって、悪いことじゃない……
それは結果論であって、恋に落ちるタイミングを操るなんてできっこないのだ。
違う、これじゃない……
頭の中がぐるぐるしだした私の前で、史朗さんは静かな笑みを浮かべた。
悲しそうというよりも、何かを諦めたような表情で。
そして。
「子供はいないよ」
穏やかに。
つぶやくように。
「子供は、できないんだ」
そう言った。
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