6night

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11.  気付いたら喉がからからになっていた。 でもコーヒーに手を出す気にはなれない。 史朗さんも同じようで、二人分のコーヒーは冷めていく。 「離婚の理由はそれだから」 「それ……って」 「身体に欠陥があって、俺は子供を作ることができないんだ」 「………………」  ずん、と重いものを頭に乗せられたような感覚で。 閉じた唇は動かない。 史朗さんはそんな私を気の毒そうな目で見ている。 「離婚のこともそうだけど、これを言わずにいるのは良くないと思った…。このまま付き合っていけば、君は当然結婚して家庭を持つことを希望するだろう……それでいいんだ、それが普通で当然だから。でも、俺は……」  与えられない、と言う彼。 「結婚はできる。生涯君だけを……と誓うこともできるよ。実行する心づもりもある。……もちろん君がそれを望んでくれるのなら、だけど」 「…………っ」  史朗さん……… 「澄香、俺は君が思っているよりずっと君が好きだ。溺れていると言ってもいいくらい…本当だよ」  信じてほしい、という言葉。 それを嘘だなんて、思ってない。 彼の言葉は熱っぽく、言葉の奥に潜む感情を確かに伝えてくれている。  史朗さんに想われてる……  何の疑いもなくそう思う。 「年の差なんて忘れるくらいだった。会うたびに自分が夢中になっていると思い知らされる、君はそういう存在だ。仕事中でもプライベートでも、ずっと君を想ってる……。どうしてなのかな……こんなふうになったことがないから、わからないけど」  わからないことが彼を苛立たせるようで、軽く頭を振る仕草をする史朗さん。 もちろん、そんな姿は初めて見る。 「離婚して二年経つ……誰かと添い遂げようなんて、二度と考えることはないと思っていたのに、俺は一体何をしているのか……自分で自分がわからなくなるよ」  こんなに早口で喋る彼を見るのも初めてだった。 いつの間にか、その視線にも熱がこもって。 「……君を離したくない。捕まえて、逃げられないように縛り付けたい。そういう欲望が膨らむばかりだよ。実際そんなことを口にして、君を困らせた……いや、そうしてほしいと言わせて、俺はあの時震えるほど喜んでいたんだ。こんなのもう、狂っているんじゃないかと思うよ…」  それでも、夜ひとりになると思い出す。 「でも…、俺は君が望むであろうものを与えられない。温かくて明るい家庭、親子で過ごす時間………。子供だけは…、どうしても無理なんだ」 「………………」  自分のことを悪い男だと言っていた。 その理由は、これだった。 与えられないとわかっているのに、そこへ向かっていく。 その罪を知っているのに、引き寄せる。 でも、それは。  それは、悪いことですか……?  うつむいて小さく呼吸する姿が、愛おしい。  好きな人と一緒にいたいと思うだけでは、だめですか……?  いつの間にか目尻から落ちていく涙は熱かった。 「史朗さん……」 「澄香…」  取り乱してごめん、と謝られた。 「もっと落ち着いて話せると思っていたのに」 「いいえ、大丈夫です…」 「…優しいな、君は」 「…………」 「本当に…」 「史朗さん……」  何か言いたい。 でも整理できないまま口にする言葉は軽くて。 届かない気がした。  瞬きをして、髪を直すふりをしながら涙の跡を素早く拭う。 「………すっきりしたよ」 「…え?」 「言おうかどうか迷ったと言ったけど、こうなってみると言いたかったんだってわかる」 「……………」 「言えてよかった……聞いてくれてありがとう」 「はい……」  誠実な人…… やっぱり、そう思う。 「澄香?」 「…はい」 「今話したことは、全部本当だよ」 「……はい」 「俺の気持ちも、身体のことも、…離婚のことも、全部」  本当だから、と繰り返す。 「だから、もうやめようと言うべきなんだろうけど……」 「え、史朗さん待って下さい…っ」 「…………」 「私、私は……」  あなたが好きで、一緒にいたいんです。 それは紛れもない事実だ。 でも。 「私、史朗さんのこと…」 「………うん」  好きです、と言っても。 「…………」  それで解決にはならないんだと気付く。 彼はすでに、その状態だと知ってる。 私達はお互いのことが好きだけれど、でもその先の未来に問題があると思っている。  子供はいらないと言えばいいの……? でもよく考えもせずに、それは言えない……  そんなのは、彼も望んでいない。 「私……考えます、から」 「………うん」 「待っててもらえませんか……?」 「…………」  図々しいとわかってる。 大体、考えたところで答えが出るかも定かじゃない。 彼が欲しい答えを出すとも限らない。 なのに待ってほしい、なんて。 「だめですか……?」  自分でいいだしたくせに、怖くて。 彼の顔が見られない。 うつむいて、全身全霊で彼の気配を感じ取ろうとするしかない。 「……澄香」  呼ばれただけで、心臓が跳ね上がった。 「…はい」 「いいよ」 「………え」  いいの?  顔を上げて、彼を見れば。 優しい笑顔でこっちを見てた。 「待ってる……いつまででも、待つよ」 「…………」 「ゆっくりでいい。俺は……別に急ぐ理由もないしね」  くす、と笑って。 「でも気を付けて」  口の端を上げてそう言った。 「あまり待たせると……」 「…な、何ですか…?」 「悪いおじさんが捕まえに来るよ?」 「…………」  捕まえて、縛り付けて。  いっそ、そうしてほしい……  そう思ってしまう自分がいる。 でも、完全に冗談めかしている彼の笑顔が嬉しくて。 「その顔も、格好いいです…」 「……澄香、それはずるいよ…」  テーブルを挟んで、一緒に笑った。
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