父伝説

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父伝説

(1)ガキ大将、ここに見参! 父は幼い頃、本当にたちの悪いガキ大将 だったらしい。 それも手がつけれない程の。 例えば、ムシムシとうだるような夏の日 だった。油蝉、熊蝉等の他にもカブトムシ、クワガタが今よりも、大量発生していた そんな時代。幼い父が自分の母親に 油蝉をそぉっと捕まえた後。 その蝉を母親の首にピタリと止まらせる。 彼の母親は、暫くその様が理解できなかったようだ。 事の起こりは大きな鏡を見ながら、 新しく買った洋服を上機嫌に着ていた時。    そこで事件が起こる。 蝉『ミーンミーン』と言う大合唱が 起こり始めたではないか!? 彼の母親は、ゴジラの如く口から 炎を放ち、たちまち幼い父に攻撃 体制。しかし、幼い父ーアッキーは どこ吹く風の何とやら。 彼の母親は、兼子(仮名カネコ)と 言った。性格はおっとりしている タイプではなく、どちらかと言うと チャキチャキし意思がとても強い 人物だったそうだ。 兼子「ギャアー!!アキトぉぉと(仮名明人)」と相当激怒したという。 父はその場からヘッヘッヘーと高笑い。 毎度のことのように逃げて行った少年だったらしい。 布団たたきで、先手兼子おばあさんは 彼を問答無用でブーン!と攻撃しても 小さかった彼は身軽にヒョイヒョイと 華麗にかわしていくのが、余計に 腹わたが煮えくり返るような そんな毎日のやりとり。 彼女は彼自身悪さをするたびに、 スリッパを投げつけたり、何かで 攻撃仕掛けても、父のほうが1枚も2枚も うわ手だったらしく全部かわして 撃沈していくのがよほど悔しかった のだろう。 この頃の時代はまだ当時私の 祖父がまだ軌道に乗っていた時、 大変羽振りがよく。 父をとても良い服やらお洒落な靴だけでなく (服や靴、バッグはそれこそどこまで ほんとか分からないが、それこそプリティ・ウーマンみたいな金銭感覚で祖父は 支払っていたと聞く。例えば服はほぼ 全部大人買い、靴もバッグも大人買い。 当時のブランド物など。。。らしい) ありとあらゆる映画に連れて行き また、そこそこ当時有名だった 演劇女優、タレントだった俳優に 声をかけられてたという (ホンマかいなと私は、何度も確認 していたが、そういうことにしておこう) その時代のトレンドになってる服屋で好きなだけ服を買って貰ったり靴やバッグも好きなだけ大量に、勿論買ってもらうのは当たり前。 (戦後の時代なのにも関わらずだ。 これじゃ、まさに贅沢は敵だ。 ではなく、贅沢は素敵だ! に切り替えもいいところである。) その他娯楽としては芝居に、映画、歌舞伎などありとあらゆる遊べる場所にも連れて行って貰うのも当たり前の感覚。 夜はお洒落なバーのような所へ彼は 当時の祖父に幼いながらも彼の妻である 兼子のお祖母さんに内緒で何度か 連れて行って、子供ながらに大人の仲間入りをした経験もあったとかなかったとか。 (子供ながらに、大人の階段を一気に 駆け上がった瞬間である。この頃、 彼はまだ小学1年生か2年生だったらしい) 周りの目も気にすることなかれ、 それが彼の生きていた、まだ天国と 呼べる世界でしか生きていなかった 世の中である。 (戦後やその後暫くは、 今の世の中よりもセレブと言うのは ほんの一握りでしかない。らしい) また祖父は当時、外交官だったらしいので その当時彼の家に多くのアメリカの方々が 滞在していたそうで、父とも面識が出来た とか何とか。 (よく知らんが、父が言うなら そうなんだろう。) その時ギブミーチョコ時代の中。 凄く特大の『Hershey(ハーシー)』の 分厚いチョコレートをよくそのアメリカ人 から差し入れとしてもらったが それは中々大人でも、あまりにも その1枚が大きすぎて祖母が必死に 包丁で力いっぱいカットしてようやく それぞれが口にできたとか聞いている。 また、セレブの時代はこんな話を 面白おかしく聞かされた。 父の当時は、『月光仮面』という番組が 流行っていたそうで、大人から子供まで 大人気の番組だったそうだが、 その当時の女優がわざわざカメラマンなど をゾロゾロ御大層に引き連れて、 父に何度か主役の子供になって欲しいと 懇願されたとか。 当然目立つのが大嫌いだった父は 激しく拒否ったそんな子供時代の シーンもあったようだが もしそれに、YESと応じていれば 人生それも大きく変わっていただろう。 さてはて父のご両親エピソードの話もしてみようと思う。 父の母親と、父親はお見合いとして 出逢い結婚したそうだが、 夫婦仲はそんなに良いとは聞かなかった。 祖父は、仕事が軌道に乗ってる時は (まぁ最初でも説明したと思うが祖父は外交官だったそうだ。) あまりそこまで夫婦仲は不仲と言っても 目立つ程ではなかったそう。 お金持ちと言うのは、大概が『お金』 さえあれば解決してくれることが 自然とほぼほぼだからだ。 しかし、そんな中あることで祖父は 借金がたんまり出来てからは、 火の車になったそうで、まさに天国から 地獄へ落ちた感覚だったらしい。いわゆるTheド貧乏!誕生日って奴である。 理由は、祖父がある事業で失敗に 終わったからだそう。 夫婦仲は、些細なことがどんどん借金まみれと共に、些細な不仲が周りも分かりやすいぐらいの不仲へと発展。もうそれこそ ジョージ・クルーニーや プリティ・ウーマンのようなセレブ界みたいな私生活が出来なくなったのは 次第に周りからも分かりやすかったと言う。 両親二人が共働きで仕事をするようになってからは、父が家計のやりくりを幼いながらに するようになり、父よりも幼い 妹さん(玲美ー仮名)の面倒も見ていた そうだ。 そんな怖いもの知らずのガキ大将が、 人一倍も苦労をするようになってからは 多少真面目に自然と更生したと思われた 矢先。 こんな事件があったらしいとの事。 ある日学校で自分と仲良しの少年と、 仲良くしていた頃。 その友人が気弱だった性格の子が昼休み 上級生から何人かフルボッコにされ サウンドバッグ扱いにされた事が あり、少年だった父に泣きつきながら 事情を話した。 父は、後は任せておけ!とドラ◯エモンの まさにジャイアンとなって、 その関わりが当時あった上級生を 問答無用にフルボッコ超えてドツキ廻して 返り討ちにしたというから、相当腕が立つ少年だったに違いない。 とはいえ、向こうの親御さんや 先生からはお冠だったそうだ。 (今こんな事があれば、 父の時代以上にクレーム以上に 警察沙汰なのかもしれない。) ま、無理もないが。 やんちゃ通り越して、これは問題児 も良いところだし今の時代なら 色々とあらゆる大人からだけでなく ネットからでも言われそうな勢いだと 私は、話していたら父は笑っていた。 後で、上級生関係者のママさんグループ 達にクレームがお約束で来たらしいが 本人は華麗にスルー。 そこそこ、食えないマイペースな 少年時代に拍手喝采した私自身は 父のそういう性格をある意味羨ましくさえ 感じたが、少し恥ずかしくも思えるので 他人のふりをその頃いたら していたに違いないだろう。 では父の少年時代に起こった 天から地獄へ落ちていった話を ここからしようと思う。 今の今まで、娯楽が当たり前の生活から コロコロ転がって、彼ら一家は 今迄味わったことの無い苦労を 味わうことになる。
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