童話 桜の見る景色

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 昔々のことです。  ある村に一本の立派な桜がありました。その桜は村が出来た際に植えられたもので、もう何十年とそこに植わっていたので村人たちには当たり前の存在でした。  この村では農作業の準備に入る前にお花見が毎年開かれていました。村人たちは厳しい冬が過ぎてもお互い無事であったことを祝い、また今年の平安を願って桜に集まり食事を楽しみました。  次第にこのお花見は近隣の村にも噂が広がって、春になると自然と周辺の人々が集まりたくさんの人が桜を楽しむようになりました。  ある年のこと。  雪が解けて春になり、皆が待ちに待ったお花見の季節がきました。しかし、集まった人たちはとても驚きました。いつもは淡いピンク色の桜の花が紅く染まっていたのです。  老人たちは不吉な気分になってお花見を辞めるよう言いましたが、若者たちは聞く耳を持たずにお酒や食事を楽しみました。  そして桜が真っ赤な花びらを散らしていつもの姿になると、村人たちはそのことを忘れたように畑を耕して種を植え、懸命に働きました。しかしそれから雨が降らない日が続き、梅雨になっても雨は降らず村は大変な水不足に陥ったのです。  作物は若葉が無残にもどんどんと枯れていき、さらに村人に病気が流行りだしました。そこで村長は重役たちを集めて対策を考えました。まず若者たちには離れた場所にある川まで水を汲みに行かせました。それでも村人全員を助けるには足りないため、老人や病人が少しずつ村から出ていくことになりました。村人たち、とくに家族はこの決定にとても悲しみましたが、出ていく者たちは村のためにと運命を受け入れて、淋しくも村を去っていくのでした。  そんな時、一人の若者が言いました。 「今年の桜は異常だった。あれが原因なのではないか」  村長も不気味な紅い桜を思い出し、何かせねばと思案しました。そして桜の根元に祠を建てて、自然の怒りを鎮めていただくようにと皆で祀りました。すると一週間後、待ち望んだ雨が降ってきたのです。  この年の秋はあまり収穫がなく、冬にも何人か亡くなる者が出てしまいました。  その翌年。また雪が解けて桜の季節がやってきました。村人たちはまた紅い花ではないかと恐れていましたが、桜はいつもの淡い色で花開いていつも以上に咲き誇りました。  村人たちはお花見をする前に祠を祀り、昨年亡くなった者たちへの鎮魂を祈りました。  それからまた何年かすると、飢饉があったことさえ人々の記憶から薄れていましたが、桜の木に集まってのお花見は続いていました。すると誰が始めたのか分からないものの、桜の花びらを押し花にして御守りを作るのが流行っていきました。花びらを入れた御守り袋は大切にいつも身に着けて、翌年のお花見の時に新しい花びらと入れ替えるのです。古い花びらは桜の祠に祀られてから桜の根元に埋めるようになりました。  そしてこのお花見で御守りを作る行為は若者たちに引き継がれて、やがて恋の告白に使われるようになっていきました。男たちは御守りを好きな相手に渡して告白、求婚します。それを受け取った女は秋の収穫祭で御守りを麦の穂に結んで男に返せば結婚を承諾するというものでした。  それからというもの、たくさんの夫婦が桜の花で結ばれ、子供たちも桜とともに育っていきました。  村のお花見は毎年続いていましたが、月日が流れて桜の木にある祠は最初の役目から大きく変わり、今では豊穣祈願や鎮魂だけでなく恋愛成就に安産祈願など色々な願いを受けています。  あれから桜が紅くなることはありません。  そんなことがあった事を覚えている者もいなくなりました。  ただ桜はそこにあり、人の営みを見続けているのです。 終わり
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!