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蒼汰は久しぶりの大学にも馴染んでいるようだった。彼の学科は実習が多いので疲れないか心配だったが、出席日数が危ないといって真面目に通っている。
授業に出ると些細な記憶が抜けていることに気づくという。涼介さんにそう話しているのを聞いた。
例えば授業で一緒だった友人のこと。科目ごとに微妙に入れ替わるので混乱するらしく、雑談を交わしながら彼らの存在を思い出せたり思い出せなかったりするのだという。
それでも問題ないよと笑って話す蒼汰を見て背中が冷やっとした。
もしかしたら事故のショックのせいではなく、元から彼の中で学友たちの印象が薄かっただけではないか。だから忘れられたのだとしたら……。私のことは、と考えかけて、怖くなってやめた。アイリのことは覚えていた。
そっけない態度の蒼汰が珍しくうちで笑顔を見せたこともあった。
彼の好物の「鶏つくねのしそ巻きハンバーグ」を作ったときのことだ。「うまい、うまい」と勢いよくご飯をほおばる蒼汰を見て、昔に戻ったみたいで嬉しかった。それまではいい雰囲気だったのに、つい私が余計なことを口走ってしまったのだ。
「これ、前も好きだったもん。味覚は変わってないんだね」
言ったあと、あっと後悔したが、もう遅かった。
蒼汰の表情が曇るのと同時に、箸の動きがぴたりと止まってしまったのだ。彼は顔を強張らせたまま、口を閉ざしてしまった。
次の日から、「ごめん。おれ、こっちで食うから」とリビングにお皿を運んで、テレビやスマホの画面を見ながら一人で食事をとるようになった。文句は言えなかった。過去のことを持ち出したときの蒼汰は、一瞬かなり傷ついたような顔をしていたから。
失敗やすれ違い。不機嫌。日常生活の些細なことで蒼汰とうまくいかないときほど、優しかった頃の彼の面影を呼び起こしてしまった。優しかった頃の彼を忘れないように。
「結愛は寝てて」
私の体調が悪いときはよく自分の担当以外の家事も手伝ってくれたっけ。洗い物が得意だって自慢していたけど、蒼汰が洗ったあとのお皿には、いくつも泡がついたままになっていたことは知っていた。
「蒼汰、はやく会いたい。寂しいよ」
私はキッチンに飾ったポトスの葉をそっとなでる。蒼汰とホームセンターに行ったときに、葉っぱの模様が可愛いねと眺めているうちに二人して欲しくなって買ったのだ。そんな日常の些細な風景も、今は切ないくらい懐かしい。
「……いつ戻ってくるの?」
テーブルに突っ伏しながら私は振り絞るようにつぶやいた。
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