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事故から数日経っても蒼汰は私を知らない人のように接した。
「ごめん、何学部のひとって言ってたっけ……。おれとは別?」
何度か説明したことをまた聞き返された。病室で最初に話した記憶があいまいになっていると言う。
「うん、別。私は心理学科だから文学部なの。蒼汰は写真学科でしょう?」
「うん、それは知ってる」
自分のことは覚えてんだよな、とつぶやいている。少し喋ると、「ごめん、疲れたみたいだ」と言って眠ってしまった。
他にも、例えば事故の前に二人で行ったカフェとか、そのとき頼んだ飲み物がクリームソーダだったこと、いちごが美味しかったケーキのこと、一緒に見た印象派の絵のことも、すっかり記憶から抜け落ちていた。
はっきりと覚えているのは、兄の涼介さんのことや、外国に住んでいるカメラマンの父親のこと、早くに亡くなったお母さんのこと、写真を撮るのが好きで大学の芸術学部で勉強していること。同じ学科の仲間のことや、住んでいるマンションの住所も。
それ以外のことは覚えているかもしれないし、いないかもしれないと言っていた。本人に喪失感がないので確かめようとしてもきりがなかった。
私は複雑な気持ちだった。
病院に運び込まれた彼の姿を見たときは、「命さえ助かってくれたら何もいらない」と思っていた。私を覚えていないと言ったときには驚いたし腹が立ったけど、時間が経てば思い出すはずだと軽く考えていた。
それに私は心のどこかで、これは蒼汰の悪ふざけなんじゃないかと思うことがあった。嘘をついて他人をからかうようなタイプじゃないけど、そうだったらいいなと願っていた。
だが何日過ぎても、きのうも、きょうも思い出せないと私を前に考え込んでいる蒼汰の姿を目にすると、「正気なの」とだんだん怖くなってきたのだ。
「気を悪くさせてたらごめんな」
一応は謝ってくれるし、記憶を取り出そうと努力はしてくれるので責めることはできない。彼が何かを考え込んでいるときの、ぼうっと中空を見つめる切なげな表情。目にかかりそうな前髪と、あらわになった喉の出っ張り。外見だけなら、いつもの蒼汰そのものだった。
脳神経外科医の橘(たちばな)先生は、面談室で私と涼介さんに向かって言った。
「MRIでは何の問題もないんですよ」
蒼汰の病状について説明を受けていたときのことだった。最初は家族にしか話せないと断られたが、無理を言って私も聞かせてもらった。
橘先生は私にもわかるようにホワイトボードを使って説明してくれた。ここね、と脳のいくつかの部位に青ペンで丸をつけていく。複数か所に打撲を負った衝撃で、一過性の記憶障害が生じているのではないかと先生は言った。
「いつごろ元に戻りそうですか?」
「さあ、現時点では何とも。患者さん次第と言うほかないんですよ」
橘先生は困惑気味に、特定の人間を忘れてしまうケースを自分は今まで診たことがないと頭をかいた。脳の血流に問題はなく、萎縮も見られず、若年性認知症や脳腫瘍などの重篤な病に繋がりそうな兆候も見当たらないという。
「大丈夫、きっと一時的なものですよ。優しく見守っていきましょう」先生が励ますように明るい声を出す。私はうなずくまでに時間がかかってしまった。
実は、自分の存在を忘れられた経験はこれが初めてじゃなかったのだ。
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