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蒼汰から今まで一度も攻撃的な態度を向けられたことがなかった私は、時折見せる彼の「らしくない」言葉や表情に戸惑っていた。
ふてくされた彼の顔を見つめていると、事故の前はむしろ私のほうが彼に腹を立てていたことを思い出す。それも一度や二度じゃない。しょっちゅう怒っていた。
原因は、彼と同じ学部の女子学生だった。
全学部共通の教養科目の授業で蒼汰とたまたま一緒になったときに、彼が同じ学部の女の子たちと親しげに喋っている姿を見てしまったのだ。
私は蒼汰を責めながらいつも、自分の言い分のほうがおかしいことを知っていた。彼は誰に対しても優しい。声をかけられたら男女の区別なく親切に答えるし、冗談にも付き合う。そこに他意はないのだ。
知っていて私は不満をぶつけてばかりいた。今思うと、彼の愛情を試したかったのかもしれない。
蒼汰は異性から人気があったし、仲が良さそうに喋っていたアイリという女の子が蒼汰に片思いをしていることは有名だったから。
彼に言い寄る女子は、自分の顔とかスタイルに自信がある子が多かったように思う。アイリもその一人だ。小柄で、猫のように目がぱっちりしていて、いつもは強気な表情だが微笑むと小動物みたいに愛くるしい。SNSでも目立っており、タレント事務所にスカウトされたこともあると聞いた。
そんな煌びやかな女の子たちが、しょっちゅう彼に声をかけるのだ。
蒼汰とは授業で一緒にならない日でも、教室の移動中や空きコマなどに学内で見かけることが多かったので、嫌でもそんな場面を目撃しなければならなかった。
誰も恋人である私には遠慮しない。周囲には同棲どころか二人が付き合っていることすら伝えていなかったので当然だった。学内ではほとんど言葉を交わさず、目を合わせることもしなかった。
内緒にしてほしいとお願いしたのは私だ。女子から敵意を向けられるのが怖かったし、何より注目されたくなかった。
だから外では言えないぶん、家や帰り道では文句を言ってばかりいた。
「あのアイリって子、蒼汰のことが好きなんだよ。態度見ればわかる」
「どうして二人っきりで喋るの?」
私が興奮気味に問いつめても、蒼汰はたいてい飄々としていた。うーん、と頭をぽりぽりかきながら、「話しかけられたら喋んないとまずいだろう」とか、「アイツそんなに悪いやつじゃないと思うよ」と女の子のほうをかばったりする。
面倒臭がりのわりに、口先だけで私を安心させるような、不誠実な嘘はつかなかった。
「それより腹へったな。きょうの夕飯当番、どっちだっけ」
蒼汰は大きなリュックを床に置いて私に抱きついてくる。「もう、危ないでしょ」と振り払おうとしても、はなしてくれない。リュックの口からはレンズがのぞいていた。授業の帰りにひとりで撮影して回っていたらしい。
「どこで撮ってたの」
「東京タワー」
「また? 人が多くて大変だったでしょう」
私は調理の手を止め、蒼汰を振り向いた。そうでもなかったよ、と微笑みながら私を見て、私がもう怒っていないことを確認して彼はほっとしていたのだ。
「蒼汰……」思い返すと後悔しかなかった。
どうしてもっと労ってあげられなかったのだろう。すねてばかりいた。知らないうちに彼を疲れさせていたのではないか。
「はやく会いたい」
いつもの蒼汰に、はやく会いたいのに。
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