第一章

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第一章

動物の話 4月のとある日。もう少し具体的に言うなら、高校に入学して2週間と少し経った水曜日。 天気のいいのどかな放課後に、俺はいつもの秘密基地で自販機の缶コーヒー片手に一服していた。 秘密基地とはいっても特に隠れているわけではないし、しかも別に基地でもない。校舎脇の森の中ほどにぽつんと置かれている、ただの古ぼけたベンチのことだ。 この学園の生徒の大多数を占める良家のご子息、いわゆるいいところのお坊ちゃん達は寮に併設されているお高いカフェで優雅にティータイムとしゃれこむことが多いらしく、山奥という立地柄虫も多い屋外にわざわざ集まることはまずない。つまりこんな所まで足を伸ばす物好きは俺ともう1人しか存在しないため、自動的にここは俺とその人の秘密基地のようになっているのだった。 そしてそんなもう1人の物好きが、 「あー可愛いなあ、お前。名前なんつうの?」  ――にゃーん 「そうかそうか、ここ撫でると気持ちいいの? はーもう、なんでそんなに可愛いんだよー。あ、写真撮っていい? ほら、おいでおいで」  ――うにゃっ!  にゃー! 「えっ、嫌なの? なんで……ああ行っちゃった……」 今まさに全力で猫を愛でている最中だった先輩である。 先輩について、俺はほとんど何も知らない。 現在分かっているのは、制服のネクタイの色から3年生だということ、そしてたとえ顔をふにゃふにゃにしながら猫を全力で可愛がっていても残念な感じにならない超絶イケメンだということ、以上2点のみ。 そんな羨ましい顔面を持っている先輩は、しょんぼりと肩を落としてとぼとぼとベンチに戻ってきた。もちろんしょんぼりした顔もイケメンである。 女だったら母性本能をくすぐられころっと落ちてしまうのかもしれないが、ここにいるのは俺だったので残念ながら先輩のイケメンオーラは正しい効果を発揮しなかった。 「あーあ、行っちゃったよ」 「残念でしたね」 「本当になあ。また来てくれるかな、あいつ。教職員の飼い猫だと思う?」 「いやーどうでしょうね、首輪はつけてなかったみたいでしたけど」 「野良かなあ。あーあ、寮がペット可だったら良かったのに」 猫が去った方向を名残惜しそうに見やりながら向かいのベンチに腰を下ろした先輩は、すらりと長い足を組んで飲みかけの紅茶の缶に手を伸ばした。 紅茶とはいえ缶飲料がこれほど似合わない人も珍しい。 ごく自然に気品のようなものを漂わせているこの先輩は、こんな所くんだりまでわざわざ足を伸ばす物好きだし、俺のようなごく一般庶民である外部生(小中高大までのエスカレーター式のこの学園に途中入学してくる生徒をそう呼ぶらしい)にも気さくに接してくれる優しい上級生だが、おそらくやっぱりいいところのお坊ちゃんなのだろうと俺は踏んでいる。 「好きなんですね、猫」 「うん。小動物系は何でも好きだな、昔から」 「小動物系って犬とか兎とかですか?」 「だな、あと鳥とかハムスターとか。亀とか熱帯魚とかもいいな」 「へえ」 「まあやっぱり猫が一番だけど」 生憎俺は先輩の言う小動物系に対して、好きだの嫌いだのという感情を抱いたことはない。猫を見ればああ猫だと思い、犬を見ればああ犬がいると思う程度。例えば人気のない廊下で誰かとすれ違った時にああ人がいると思うのと同じことである。 兎はある意味好きと言えば好きだが、やっぱり実物を見ても兎だなあくらいにしか思わないだろう。 しかし、猫の良さについて滔々と語り始めた先輩の楽しそうな笑顔は、なるほど猫も可愛いのかもしれんと勘違いしてしまいそうなほどに輝いていた。 「実家では飼ってるんですか?」 そんなに好きならば、と聞いてみたが、先輩は首を横に振った。 「小さい頃は弟が体弱くてさ、毛が生えてる動物は厳禁だったんだよな。部屋で金魚は飼ってたんだけど」 「へえ、金魚」 「あ、写真あるけど見る? 可愛いんだこれが。去年の夏に屋台で金魚すくいしたやつなんだけど」 ポケットから携帯を出した先輩は、その画面を俺に向けた。大きな水槽の中を3匹の赤い金魚が優雅に泳いでいる。ああ、確かに金魚だ、と頷いてからちらりと視線を上げれば、先輩はわくわくした様子で俺の反応を待っている。 おそらく何か感想を言った方が良さそうだ。 「魚ですね」 「金魚だからな」 「……赤いですね?」 「金魚だもんな」 「ええと、美味し……くはなさそうですね」 なんとか絞り出した俺の感想に、先輩は一瞬目を丸くしてからはじけるように笑い出した。 「はは、何だよそれ。食うなよ俺の可愛い金魚達を!」 そうか、可愛いと言えばいいのか。ただの魚に可愛いもくそもないような気もするが、なるほど勉強になった。 内心頷きながら先輩を見ると、腹を抱えて笑っていても変わらずイケメンだった。やっぱり羨ましい。
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