第一章

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危険の話 週末前の金曜日。球技大会は煩わしいが、授業が終日潰れるのは喜ばしい。 目論見通り1回戦で適当に負けた俺は、ジャージ姿のまま早々に秘密基地のベンチにやってきていた。学校用のナイロンバッグの中には、売店で買った昼飯用のパンとコーヒーに、そろそろ読み終わりそうな先輩から借りた本。プラス暇つぶし用の雑誌と勉強道具も揃え、球技大会終了までここに居座る気は満々である。 さっそく1本、と煙草に火をつけた俺は、手慰みにまずは雑誌を開いた。 しかし、何かが妙だ。 と、やけに違和感を感じて辺りを見回すこと数秒、気づいたのは向かいのベンチに先輩がいないことだった。 ふらふらと学園内をさ迷ってからここを見つけてから今まで、俺がここに来る日は必ず先輩もやって来る。ここに来だしてから初めて先輩に会うまで1週間あまりのブランクがあるので実際はそれよりもう少し短い期間だが、ともかく先輩とここで過ごすのがいつの間にか俺にとっては当たり前になっていたらしい。 どうも居心地が悪いと思ったこと、それ自体に居心地の悪さを覚えた俺は雑誌を閉じて代わりに先輩に借りた本を開き、 そしてほどなくして心地よい眠りに落ちた。 * 誰かが俺の名前を呼んでいる、ような気がする。浮上しかけた意識は未だ浅い眠りを漂い、ゆらゆらと体が揺れるような心地よさを感じている。しかしその揺れはどんどんと激しくなり、そしてついに、 「大谷!」 あまりの激しさに飛び起きると、眼前には顔色を変えた先輩の顔が広がっていた。 「う、わ……? 先輩?」 「おい、大丈夫?」 「何かって何……え、あれ……?」 「誰かに何かされた!?」 「は? いや別に何も、あれ、俺寝て……?」 両手で掴んだ俺の肩にほっとしたようにぐたりと頭を預けてきた先輩は、いつも隙なく着こなされている制服ではなく緑色のジャージ上下に身を包んでいる。寝起きの働かない頭で、はて、と考えこんだ俺は、ようやく自分が球技大会をさぼった途中にうたた寝していたことに気がついた。 「やべ、閉会式……。今何時ですか?」 「とっくに終わったっつうの……もう6時だよ」 「……6時?」 そんな馬鹿な。俺が寝たのは1回戦が終わってすぐ、まだ昼飯さえ食べていない午前中で、ということはつまり? 「どんくらい寝てたんだよ、こんなとこで」 「ええと、7、8時間?」 「お前……っ!」 昨夜だって普通に寝たはずだったんだが、と首を捻った途端、がばりと顔を起こした先輩は両目をつり上げた。 怒っている、しかしなぜ。 「危なすぎんだろ! こんな人気のないとこでしかも1人で無防備に!」 「は、はあ……?」 「寝てるうちにヤられちゃったりしたらどうすんだよ!」 「や、殺られる?」 そんな物騒な学園だったのか? と唖然とするが、しかしそれは俺の脳内での変換ミスだったらしい。正確には殺される、の方ではなく犯される、の方だったわけで、いやそれにしたって物騒なことに変わりはないのだが、 「え、俺が?」 先輩は怒っているようには見えるがここは笑うところだったのだろうか。 「いやそんな心配はいらないでしょ、だって俺だし」 自分で言うのも哀しいものがあるが、俺は特に人目をひくような外見ではない。我ながら大勢に埋もれてしまうような地味な見た目をしているし、中学時代も女の子達に騒がれるようなタイプではなかった。それは男相手でも同様なはずだが、しかし先輩に言わせれば、 「甘い!」 ……ということらしい。 「学園内でそういう事件があんの知らないわけじゃないだろ。そりゃ褒められたことじゃないしつうか完全に悪いことだけどさ、女相手じゃないんだから多少無茶していいって考えの奴は少なからずいるんだよ」 「はあ、まあそりゃそうかもしれませんけど。だからって俺がその対象になるわけじゃ」 「あのな、好みってのは千差万別だろ。女相手だって別に美人ばっかりがモテるわけじゃないんじゃないの? 男相手だって同じだよ」 「う、でも……」 「大体な、ここに何人男がいると思ってんだよ。1クラス40人で1学年10クラスが3年分、プラス教職員だろ、その中に大谷が好みの奴がいないって何で言えるんだよ。現に俺は大谷を可愛いと思うし十分その気に、……」 「……は?」 息もつかせぬ勢いでまくし立てられ何を言われたか分からないまま数秒、ぽかんと口を開いた俺の目の前で、先輩は石のように固まった。一拍置いてその口がやばい、と動き、俺の肩に置かれていた手がおずおずと離れていく。 「あの、先輩?」 「悪い、失言。今の忘れて……」 「あ、ああ、ですよね。さすがに俺じゃその気になりませんよね」 「……いや、なるよ」 そう言って両手で顔を覆った先輩は、小さく呻いた。 それはええと、 「つまり先輩が小説同様B級好きだという……?」 「違うだろなんでだよ! だからつまり」 「つまり?」 「十分気をつけてください、という……」 「……先輩に?」 「俺、いや俺は何もしないから、あの、身の回りに」 「……分かりました」 気がつけば辺りはすっかり暗く、俺の腹はひもじさを訴えている。顔を覆ったままうなだれてしまった先輩に何と声をかけようか悩みながら、俺はとりあえず昼飯用だったパンを取り出した。 「1個食べます?」 「……うん、ありがとう」
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