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「傷」
もう一度、香奈に会わないといけない。
いっそのことスマホを解約して、会社も辞めて、またどこか違うところに行ってしまおうか……
そんなことはできない。
逃げたらダメなことはわかっている。
家に帰って1人になるのが怖い。
上椙さんにも話せない。
かっちゃんにも言えない。
気がつくと、YUKIに向かっていた。
でも、まだお店が開く時間ではなかったから、前にユキちゃんが言っていた通り、お店のドア前には隣の花屋の看板があって、その前にもたくさんの花が置かれていた。
どこかで時間を潰す気にもなれなかったから、そのまま立ち去ろうとしたところで、スマホにメッセージが届いた着信音が聞こえた。
上椙さんからだった。
<用は済んだ?>
スマホの画面を見たまましばらくその場に立ちすくんだ。
<まだ>
一言だけ返信した。
既読と同時に電話がかかってきた。
しばらく着信音を聞いて、ようやく通話のアイコンをタップした。
「何かあった?」
「何も」
「今から会える?」
「会えない」
「だったら明日――」
「会わない。もう、会えない」
上椙さんの声を聞いて、言いたくない言葉を口に出した。
「ごめんなさい」
「やっぱり何かあったよね?」
「もう、会いたくない」
一方的に電話を切った。
香奈のお姉さんに言われた言葉を忘れたことはない。
『どこかへ消えてしまって! この先、幸せになろうなんて思わないでよ! あなたのせいで――』
その後に続く、夢の中でさえ思い出したくなかった言葉も。
『あなたのせいで、子供は怪我をしたのよ! 傷が残るような怪我! あなたが雄介と会っている間に、ひとりでいて怪我したの!』
わたしが雄介さんと朝まで一緒だった日は、いつも香奈のお姉さんが夜勤の日だった。その間に、3歳の男の子は、傷が残るような怪我をした。
1人で、どんなに心細かったか……
どれだけ泣いたんだろう?
誰にも声が届かなくて、どれだけの時間泣いたんだろう?
そのことがなかったら、こんなにも自分を責め続けなかったのかもしれない。
わたしのせいで、小さな子供に一生消えない傷を残した。文字通り「傷」を。
もう一度、ちゃんと香奈に聞かないといけない。
あの頃も、怪我のことを詳しく聞けなかった。
だから、島根を去る前に、通っている保育園の近くまで行ったことがある。
でも、子供の顔を知らなかったし、いきなり訪ねて行っても不審者でしかないから、結局知ることはできなかった。
傷がせめて目立たない場所でありますように。そう、願うことしかできなかった。
二度と顔を見せないでと言われて、直接謝りに行くこともできなかったから。
償わないといけない。
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