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初恋の君 1
旧友の加賀見からの手紙が柾宗春のオフィスに届いたのは2週間前。
宗春は差出人の名前に一瞬、目を疑ったが、思えば然したることでもない。
2ヶ月程前に宗春が代表取締役を務める外食産業グループ『f・k・春』がテレビで特集されたからだろう。
本人の希望により、宗春自身が画面に登場することは無かったが、若き創業者として経歴が紹介され、名前が連呼された。
お陰で、旧友からの連絡は後を絶たない。
それにしても、手紙とは……
加賀見ならでは、と言えばそれまでだが……
加賀見純一郎は宗春の初恋の君。
宗春は言いようのない雑感を胸に封を開けた。
【前略、春になったとはいえ、まだまだ寒さの名残が感じられる日々です……】
手紙は、時候の挨拶から始まり、無沙汰を詫びる言葉、宗春の安否を訪ねる定例句。
大学卒業後は化粧品メーカーに就職したらしく、自分でも意外だったと……
そして、未だに独り身の実家住まいを、自虐気味に書き綴り、最期は自愛下さいの言葉で一旦結ばれて、追伸……
【携帯の番号は変わっていないので連絡下さい】と……
控えめな要求が書かれていた。
宗春は意図して携帯番号が記されてないことを憎らしくも加賀見らしい、と思いながら、消さずにおいた加賀見の名前をタップした。
加賀見に会うのは10年ぶりだ。
それなのに……
急いでいる時に限って不案内なドライバーを引き当てるもの。
歓楽街は一方通行が多く、一度、右左折を間違えると、延々なる迂回が続きドツボに填まる。
宗春は後部座席から前のめり状態で、懇切丁寧に道案内をしているのだが、
運転席のドライバーは平謝りを繰り返すばかりで、埒があかない。
日没間近の街は薄ぼんやりと、まだ明るいが、街灯が仄かに浮かんだ。
春はPM6時30分に点灯される。
約束の時刻には間に合わないだろう。
宗春は諦めたように、シートの身体を沈めると、外を見る。
車窓を過ぎていく景色は子供の頃から馴染みのもの。
建ち並ぶ雑居ビルには、クラブ、ラウンジ、スナックと、数多の店が軒を連ねる。
母がオーナーのクラブも直ぐ先のビル。
柾宗春はこの界隈を遊び場として育った。
そして立体駐車場を左手に、老舗の中華飯店を通り過ぎると角は内科医院。
「ここで……」
「あっ、はい……」
タクシーが滑り込むように路肩に停まる。
次いで、点滅するハザードランプ。
宗春は目的地より、1キロ程離れた地点でタクシーを止めた。
そして、運賃表を確認。
5,000円札を差し出すが……
この期に及んで、ドライバーは小銭を探すのに、もたつき始める。
どうやら、宗春の怒りを買ったと思ったらしい。
釣り銭袋を持つ手が震えているのだ。
宗春はフッと苦笑い。
強面は重々承知している。
「もう、いいから……130円は運転手さんが取っておいてくれ」
ドライバーは、その言葉に手を止めると、頭を下げ、下げ、恐縮している。
宗春は努めて優しい。
ただでさえ、出がけに受けた報告に時間を食ってしまっているのに、全くもって憑いていない。
「ありがとな」
それでも、宗春はドライバーに労いの言葉。
焦燥感など噯にも出さない。
「ありがとうございました」
そこで、漸くドライバーの安堵の声と共に後部座席のドアが解除。
宗春はテーラーメイドのスーツで包んだ体屈は屈強で窄めると、程よく磨かれた革靴でアスファルトの歩道を踏む。
降り立った上背は優に180センチを超え、嫌でも人目を引くが男振りだ。
幸い、この界隈は未だ人通りもなく、配達に向かう酒屋の青年が軽トラックにビールケースを積んでいるぐらいだ。
宗春は、チラリと腕時計に視線を落と、徐に地面を蹴って駆けだした。
酒屋の青年が、その様子に手を止めて目を見張るが、当の宗春は気にする余裕もなく走り去って行く。
およそ500メートルは紛う事なき歓楽街。
暫くすればチラ、ホラ、ネオンも点り、露出の多い衣装の娘達が出没しだす。
そして国道に向かうほどに華やかな有様は薄れていき、点在するのはどれも古い雑居ビルに……
しかし、道路を挟んで反対側は様変わりしているようで、宗春の左目端がモダンな外装を捉えた。
新築マンションだろうか……
1階のガラス張りはフラワーショップ。
歩道からでも南国を彷彿させるエキゾチック花が目を引く。
久しぶりの疾走に息も少し上がってきている。
宗春が歩調を緩めて歩き出した。
すると、向こうから4,5人の若者達が近づいてきて、擦れ違う。
皆、それぞれにスタイリッシュで粒ぞろいだが、通りは、いつしか薄墨に暮れている。
双方共々、視界に留めることない。
「清史郎、何やってん、だ……」
ただ……
1人の青年だけが、ほんの、僅か……
友人達に背を向け立ち止まっていた。
けれども、角を曲がった宗春の背中はアッという間に、もう見えない。
「置いてくぞ……」
「悪い……今行く」
清史郎と呼ばれた青年は踵を返して友人達の後を追っていく。
羽虫が集る街灯に、昭和の面影を残す乾物屋がひっそりと照らされていた。
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