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布団の中で目が覚めた。何度も繰り返して見る夢は過去の思い出。額に滲んだ汗を手の甲で拭いながら、そっと息を吐く。……十七歳になった今も、あの日の衝撃を忘れることなんて出来ない。
第三皇子の婚約者でなくなっても、私が一族の村へと帰ることは許されなかった。真っすぐな焦茶色の髪と茶色の瞳を持つ私は、私の祖母の若い頃に良く似ているらしい。祖母は皇帝陛下の幼い初恋の相手だったと聞いている。
周囲で眠る侍女仲間を起こさないようにそっと起き上がる。皇帝陛下のお気に入りの侍女として、後宮外に個室を与えられていたこともあった。ところが、その特別待遇が気に入らない者がいたらしく、就寝中に何度も襲われそうになったので後宮内の集団部屋への移動を希望した。
部屋には侍女十二名が布団を並べていて、男子禁制区でもあるから安心して眠ることができる。大多数の侍女は私が過去に第三皇子の婚約者候補だったことを知っていて、待遇が落とされたと思っているからか優しく接してくれる人の方が多い。その憐れみの眼差しに苛立つことはあっても、多くの女性の中で波風立てず生き抜く為には諦めて感情を飲み込むしかなかった。
皇帝陛下との約束で、結婚が許される十八歳になれば侍女を辞めて外に出ることができる。辞めずに試験を受けて官位を上げれば女官になることもできる。期日までにどちらを選ぶか考えるように言われていても、外に出ることしか考えていない。あと一年が本当に待ち遠しい。
木戸の隙間からは白い月灯りが漏れていた。今日は白い月が満ちる夜。白い夜着の上に淡い茜色の深衣を羽織って部屋から抜けだして、後宮の裏庭へと向かう。
空には常に輝く赤と緑の月と、満ち欠けを繰り返して毎夜空に昇る小さな白い月が並んでいる。白く輝く月の光が周囲を優しく照らし、木々に茂る葉が風に揺れてさやさやと静かな音楽を奏でる。名もない雑草やありふれた木々しかないこの小さな裏庭は、誰も関心を持つことがない。常に人がいる後宮の中で、唯一独りになれる場所。
白い月を見上げ、両手を合せて願いを呟く。
「……姉の明凛が幸せでいますように」
私の双子の姉は、祖母が亡くなった直後に十二歳で村から姿を消したと聞いている。一族の女の中で唯一魔力を持たなかった姉は父母からとても可愛がられていて、魔女であり精霊使いでもあった母が自らの精霊の加護を姉に移していたから無事だとは思う。時折こうして祈りながらも、ふわふわと柔らかで可愛らしい姉の笑顔にちりちりと燻されるような嫉妬の気持ちが消えなくて、自分の心の黒さに溜息が出てしまう。
この世界には精霊や魔法を行使する力である魔力と、無から有を生み出す奇跡を実現する神力という特別な力を持つ者が存在している。香魔の一族は魔力を持ち、皇帝陛下を筆頭に皇族男子は神力を持って生まれてくる。貴族や平民にも力を持つ者はいても、自らの意思で力を行使できる者は稀有な存在。
「夜中に女性の一人歩きは危ないと思いますよ」
唐突に掛けられた声に驚いて振り向くと、背の高い男が立っていた。濃灰色の短髪に赤茶色の瞳。文官であることを示す深緑色の深衣を着用している。歳の頃は二十から二十二前後だろうか。怜悧な印象を受ける美形。その髪色のせいなのか、故郷の草原で見た灰色狼を連想させた。
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