皇女と侍女

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皇女と侍女

メアリーはしつこかったけれど、リリィはてこでも動かなかった。今となってはもう海に入りたくもない。  夕空はどんどん暗くなり、あっという間に日が暮れた。まばらではあるが、海辺には兵士たちがまだ残っている。リリィは相方の不機嫌そうな顔を見て、暗澹(あんたん)たる気持ちになった。さっさと城の私室に引き返して夕食を食べたい。でもこの分では、メアリーは明日の朝までへそを曲げたままだろう。 「いいわ。誰かさんが意地でも外に出ないっていうなら、私一人で行くもの」  メアリーがいきなりそう言うと、立ち上がって出ていこうとした。リリィは慌てて引き止めようとする。気が変わって兵隊たちを館の中に引き入れようとするかもしれない。一度など、寝室に庭師の息子を入れられたことがあった。あの時の恐怖と恥ずかしさときたら、もう思い出したくもないほどだ。 「あなたが父の兵隊たちと口を聞くのなら、私お城に帰るわよ。アビゲイルにも言う。まったく、恥を知りなさいよ」  リリィが怒ってメアリーの腕をつかんだ。 「痛いわよ!」  メアリーは叫ぶと、軽蔑しきったような表情を浮かべて、リリィの手を振りほどいた。  リリィは親友の怒りに燃える瞳を見るなり、一気に疲れが押し寄せてくるのを感じた。この人は皇女が泣こうがなぶろうが、おのれの主張を曲げないのだろう。メアリーは無情にも、この世の全ての騎士どころか、古今のあらゆる英雄を見下すような顔つきを崩さない。実際、蔑さげすむような、冷淡な表情はメアリーを魅力的に見せた。頬が紅潮し、瞳はめらめらと燃え上がる。(つや)やかな金髪を手で振りはらい、黒い大きな瞳でこちらを睨んでくる。唇は真っ赤で、それがまた色っぽいのだった。    喧嘩する度にメアリーの魅力と美しさを思い知る。そしてメアリーには敵わない、と悲しい思いをするのだ。  リリィだってメアリーに負けず劣らず美しかった。月夜の森に現れたら妖精の女王と見紛みまごうほどだろう。腰までのびた漆黒の髪に、透き通るような肌。瞳の色は薄く、朝は淡い緑に夜は灰色に変わる。唇は薄いが均整の取れた形をしていた。ほっそりとした体つきは優美で、男たちの視線を吸いつける。  問題は容姿の美醜ではなかったのだろう。色気があったのだ。その上、メアリーの魅力は官能以上のものでもあった。黒い瞳はユーモアと気概を備えており、一度見たら生涯忘れることはない。明るい金髪。豊かな胸に見事なくびれ。姿勢はよく、歩き方も美しい。メアリーだって、あまりに色っぽい自分の体が嫌になることもあった。しかし、魅惑的な体を覆い隠すのはもっと我慢のならないことである。派手好きなメアリーらしく、体の曲線を際立たせるようなドレスを着るのが常だった。  リリィにだってメアリーに嫉妬しないで、劣等感を感じずにいるのは難しい。メアリーには溌剌とした魅力があった。だが、リリィにはない。喧嘩の後に、敗北感を感じるのはきまってリリィの方だった。それに、皇女の地位だってメアリーの方が相応しい。少なくともメアリーならリリィのようにオドロオドロすることはないはずだ。  メアリーは皇女を置いて館の外へ出て行ってしまった。外はもうすっかり夜である。侍女の帰りを待つつもりはなかった。マントをかぶり、館の裏側へ回った。崖の上のお城に帰るのだ。
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