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『食欲は最も根源的な欲求の一つ。適度な空腹は、最高のスパイスとも言われます。
そんな「おなかが空いた」にまつわるあなたの妄想をお待ちしています!』
スマホの画面に映る表示を睨み付け、俺は叫んだ。
「違う違う違う! こんなのが見たいんじゃない! 俺は電話を掛けたいんだ。海上保安庁の緊急電話番号は、えっと……何番だったかな?」
思い出せずにいる間に、スマホのバッテリーが切れた。俺は悲鳴を上げた。画面にタッチしたり本体を振ったり祈ったりしたが、画面は黒いままだった。落胆した俺は砂浜にへたり込んだ。疲れて動けなかったのだ。
俺は海で遭難し、見知らぬ島に流れ着いていた。スマホは無事だったが、島のどこへ行っても通話不能だった。バッテリー切れを恐れる俺は、スマホを省電力モードに替え、出来る限り触れぬようにした。そして、回数を決めてスマホを起動させ、そのたびに電波状態が改善していないかチェックすることにしていた。ここは人界から離れた土地のようで、通話可能になることがなく、もう諦めかけていたら、突然アンテナが立った。大喜びで電話しようとしたら、漂着前の平和な時間の最後に見ていたエブリスタの画面が出て来て、それを消そうと慌てているうちに……スマホのバッテリーがとうとう無くなった。
最後に見ていた画面が、よりによって「おなかが空いた」にまつわるあなたの妄想を募集するページとは、泣けてくる。俺は腹が減って死にそうだった。
・無人島に漂着して一週間。空腹で死にそうな俺の前に、謎のレストランが現れて!?
「いらっしゃいませ」
「助かった! 店員さん、何でもいい、何でもいいから、早く食事を持って来て!」
「かしこまりました」
ウェイターが水を入れたコップとポットを置いて去った。俺は氷の浮かんだ水をガブガブ飲んだ。生き返る気分だった。
「お待たせいたしました。どうぞお召し上がりください」
テーブルにたくさんの皿が並べられた。どの皿にも美味しそうな料理が載っている。例を挙げよう。刺身の舟盛、和牛ステーキ、春の山菜天ぷら、こってり濃厚スープの豚骨ラーメン、銀杏の入った茶碗蒸し、ハンバーガー、イチゴのムース……畜生、書ききれない!
「ふ~食った食った! いや~もう本当に美味かった! ご馳走さん!」
「ご満足いただけたようで、何よりです」
「ここが無人島とは思えない豪華なメニューだったなあ! あれ? 島の中をずっと探したけど、今までこんなレストランはなかったぞ? スマホのアンテナだって、どうして急に出てきたんだ? おかしくないか?」
ウエイターは不気味な笑みを浮かべた。
「それは、この店が悪魔の運営するレストランだからです」
「え、ちょ、ちょま、ねえ、ちょっと待ってよ! 悪魔の運営するレストランって、なに?」
「あなたには呪いが掛けられました。これから先、あなたはどれだけ飲み食いしても、満足感を得られなくなります」
「それって、どういうことなの!」
「どうもこうもありません。あなたは死ぬまで苦しみます。我々は、その様子を見て楽しみます」
「酷い! お前は悪魔か! そうか、悪魔だったな……納得している場合じゃなかった! そんなの酷いぞ! 何とかしろ! いや、えっと……助けて! そんな酷いことしないでよ!」
「ご安心下さい。救助要請を出しておきました」
「そりゃどうも。じゃないや、呪いはどうなるの?」
「それはそのままです」
「そんなの酷すぎるだろ!」
「ご安心を。悪魔の呪いは愛で解けますよ」
「愛でなく電子レンジで解けるようにしろ!」
喚いているうちにレストランがフッと消えた。俺は元通り砂浜に座り込んでいた。救助船が来たのは、それから間もなくのことだった。
・どれだけ飲み食いしても空腹が治まらなくなった。けどあるものを食べると、腹が満たされて……。
助かった! と思ったのは、ほんのわずかな間だけだった。あのウエイターが言ったのは本当だったのだ。どれだけ飲み食いしても空腹が治まらない。朝食を食べて通学したのに、一時限目から早弁だ。その後も休み時間のたびに間食する。昼休みになったら売店にダッシュしてパンやおにぎりを買い、さらに学食へ行ってカレーとラーメンと水を腹に収めるのだけれど、それでも放課後になったら空腹で眩暈がしてくる。そのうち小遣いが無くなってきた。このままだと餓死するかもしれない、と俺は怯えた。これだけ食っても太らないことには驚きだ。もしかしたら俺の胃袋は異世界へ通じているのかもしれない……なんてことを考えながら靴箱を開けた。すると靴箱の中に異世界が広がっていた。間違えた。そこにあったのは俺の靴ではない。腹が減りすぎて目が回り、間違って隣の靴箱を開けたのだ。閉じようとして気付いた。靴の上に何か置いてある。よく見るとチョコレートの入った箱だった。そういえば今日はバレンタインデーだったなあ……とボンヤリ思った。悲しいことだが、俺には縁のないイベントだ。苦笑いして靴箱を閉じかけて、手が止まった。激しい空腹を感じたのだ。今にして思えば、それはもしかしたら、魂の飢えだったのかもしれない。愛に飢えているってやつだ。だが、そのとき俺は、そんなことを考えもしなかった。誰も見ていないのをいいことに、隣の靴箱からチョコの入った箱を盗み出す。物陰に隠れ、包装紙をビリビリに破き、箱からチョコを出して貪り食った。包装紙と一緒に、添えられていた手紙も破れた。それを俺はゴミ箱へ投げ捨て下足場を後にした。
そのとき俺のやったことは、悪魔の所業そのものだった。恥ずかしい行為だ。俺は自分を情けなく思った。しかし、俺の中に今まで何を食べても得られなかった満腹感が得られたのは事実だった。俺は考えた。呪いは愛で解けると悪魔のウエイターは言っていた。バレンタインデーのチョコには愛がいっぱい詰まっているはずだ。それを食べたから、呪いが解けたのではないか?
そう思ったけれど呪いは解けなかった。校門を出る頃には、また空腹になったのだ。どうやら、俺に飯を食わせてくれる親の愛だけでは足りないと見える。呪いを解くために俺は、もっと多くの愛が必要なのだ。だが、どうしたらいい? 俺はモテない。誰も俺に愛なんかくれない……このままじゃ俺は将来、愛妻弁当泥棒になってしまう。人の妻を奪う男ではなく、人の妻の作った弁当を盗み食いする男に。恥ずかしいにも程がある。死んだ方がましかもしれない。その方が世の中のためになるだろう。
だが、この世からおさらばする前にやることがある。俺は近くのコンビニに入ってセロハンテープを買い、下足場に戻った。その場に誰もいないのを確認して、ゴミ箱から破れた手紙を取り出し修復した。手紙を書いた女の子の名前が分かった。隣のクラスの、おとなしい子だった。手紙の修繕は、かなり大雑把な仕上がりになってしまったが、手紙の送り主が誰か分かるから良しとしよう。その手紙を隣の靴箱へ放り込み、そそくさと後にする。チョコはないけど、気持ちは伝わったはずだ。隣の靴箱の奴と隣のクラスのおとなしい女の子が手を繋いで帰っているのを後で目撃したからだ。俺はキューピットの役を果たしたのだ。凄く良いことをした気分になり、空腹を少し忘れることができて、それは良かった。でも、他は特に変わらない。俺は愛のキューピットといより飢えた獣だった。
・昼前になるとおなかが鳴る隣の彼。気まぐれにお菓子をあげたら、満面の笑みに一目惚れしちゃった!
彼女が俺を好きになってくれた理由が、それだった。人生、何が起こるか分からない。今春、彼女と結婚する。彼女の手料理は旨いので、つい食べすぎてしまい、痩せの大食いだった俺は異常に太った。彼女の愛情たっぷり大盛り愛妻弁当を毎日食べるようになったら、どうなるだろう? 何を食べても飢えていた学生時代を懐かしく思うのだろうか? そうかもしれないが、それでも彼女の作ったご飯を俺は食べ続ける。空になった弁当を出すと、彼女はとても嬉しそうに笑ってくれるからだ。その笑顔を見るたびに、俺の心は満たされる。
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