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翌朝、史呉は始発に合わせて帰った。
俺は二度寝して、それから出勤。
従業員用の通用口前で明香里に会ったけれど、気まずそうにしたのは向こうだけだった。
俺は不思議となにも感じない。
居酒屋でひとりでヤケ酒をしていた時は、一生引きずるんじゃないかと思うほど苦しくて悔しかったのに、とても穏やかな気持ちで明香里の顔を見られた。
「おはよう、く…浦くん」
「おはよう、加瀬さん」
一緒に過ごした時間は確かに記憶の中にあるけれど、未来は交わらない。
その事がはっきりしているからか、それとも昨夜、史呉と溜まった気持ちを吐き出せる限り吐き出し合ったからか…びっくりするくらいすっきりしていて申し訳なく感じてしまうくらいだ。
更衣室で着替えていたらスマホが震えた。
見ると史呉からのメッセージ。
『昨日はありがとう。久遠の寝顔、可愛かった』
「!!」
寝顔!?
顔が熱くなってきて、なんと返したらいいのかわからなくなる。
男の寝顔が可愛いわけない……変な男。
でもそんな変な男と付き合う事になった。
同性と付き合うなんて初めてだからわからない事だらけだけど、わくわくする。
知らない事を知れるって楽しいし好きだ。
「……?」
あれ。
「好き…?」
俺は好き…なんだろうか、史呉の事。
惹かれているのは確かだし、興味もある。
もっと知りたい。
それは好き、でいいんだろうか。
そして史呉は俺をどう思っている?
やっぱり、女の子に疲れたから男…っていうだけなのかな。
昨夜のキスからの様子を思い出すとちょっと違うようにも感じられるけれど。
……キス。
優しい感覚と温もりがまだ鮮明に残っている。
キスは初めてじゃなかったけど、男とは初めて。
初めてのキスじゃないのに、初めてのキス……こういうの、不思議で面白い。
着替えを終えて更衣室を出ると、窓の外には向かいに史呉の働く店が見える。
次に会えるのはいつだろう。
◇◆◇
仕事を終えて店を出ると史呉が立っていた。
次会えるのはいつだろうと思っていたのに、もう会えた。
…なんて思っていたらなぜか加瀬さんが史呉に駆け寄る。
「長内さん! 迎えに来てくれたんですか!?」
え…どういう事?
「あの人、向かいのレストランのイケメン店員でしょ?」
「加瀬さんと付き合ってるの?」
一緒に店を出た他の従業員達がこそこそ話している言葉が耳にザラッと触れる。
史呉の腕に手を伸ばす加瀬さん。
なんとなく視線を落としてふたりの前を通り過ぎようとしたら手を引かれた。
「久遠!」
「!」
「え? 浦くん…?」
加瀬さんの手を避けて史呉が俺の隣に並び、ほっとする。
「なんでひとりで帰ろうとしてんの?」
「だって…」
「久遠を迎えに来たのに」
うわ、すごい笑顔…。
「なんで長内さんが浦くんを迎えに来るんですか…?」
加瀬さんが、避けられた手をどうしたらいいかわからないという感じで反対の手で握りながら呆然と俺達を見ている。
なんて説明したらいいんだろうと史呉を見ると。
「久遠は俺のものだから」
「えっ!?」
この『えっ!?』には加瀬さんだけじゃなく、その場にいた従業員達、そして俺の声も含まれている。
史呉のものってなに?
あ、付き合ってるって事…かな。
それ言っちゃうんだ…。
史呉がいいなら俺は別に構わないけど。
「…? 浦くんが長内さんのものって、どういう…?」
「そのままの意味だけど。な、久遠」
俺に振られても。
「帰ろう、久遠。早くふたりきりになりたい」
「!!」
頬にキスをされ、手を引かれて店を後にする。
振り返る事はできなかった。
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