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【-執着-】
史呉は毎日俺を迎えに来て、俺の部屋に泊まっていく。
最初は始発で帰っていたけれど、大変だろうから着替え置いておけば?と俺から提案したら史呉はとても喜んでいた。
休みが合うと約束通り一緒に料理をしたりしてふたりで過ごす。
キスまでの関係だけど、シャワーは一緒に浴びたいと言われるのでそれは少しだけ慣れてきた。
抱き締め合って眠りにつくまで、史呉はうちの店の事を聞きたがるのでぽつぽつと浮かぶ事を話すのは日課になった。
さすがに競合店で働く相手には話せない内容もあるから、ぼかしながら話すと史呉はいつもなにか含んだような笑みを浮かべる。
「なに…?」
「ん?」
「なんか変な笑い方してる」
前髪を避けて額に柔らかいキスが落ちてくる。
「店の事を話す久遠が可愛くて困ってる」
「いつもそう言うけど、ほんと?」
「疑ってるの?」
「……」
そういう返し方をされると『うん』とは答えられない。
俺が微妙な顔をするとキスをたくさんくれて、そのままごまかされてしまう。
ずるい男だ。
「おやすみ、久遠」
「おやすみ…史呉」
穏やかな眠りの間、安堵する温もりに包まれる。
そして朝には抱き締められた状態で目を覚ます。
史呉にどんどん心を持って行かれて、俺はひとりの時間を過ごす方法なんて忘れてしまうくらいだった。
◇◆◇
気が付けば史呉と出会ってから三か月が経ち、季節が変わっていた。
暑い陽射しの下で、オープンの準備をしていたら店の前を通って行く女性達の会話が耳に滑り込んできた。
「こっちも美味しかったけど、同じ感じのメニュー向こうにも増えてきたから、行くならイケメンのいるあっちかな」
「だねー。同じ感じだけど向こうのほうがちょっと遊び心あるし」
「ここのオリジナルに似たのも向こうのおすすめで出てるからこっち来る理由なくなっちゃった。あっちイケメンいるし」
「やっぱそこ大事だよね!」
……?
イケメンが史呉なのは確かだけど、うちと同じ感じのメニューが向こうに増えてきたってどういう事だ。
オープンした時に店長や料理長、数人の従業員が向かいの店に行ったけれど、メニューはほとんど被っていなくて和創作レストランなだけあって和を強調した創作料理が多いって言ってた。
和洋折衷で洋を強めに出しつつ和も大切にしたいうちとはまずコンセプト自体が違うはず。
それがなんで似たようなものを置くようになったんだ。
メニューが変わったんだろうか。
それでもそんなに被るのがわからない。
向こうもうちに競合店調査とかで来た事があるはずだから、偶然被るって事はないだろう。
「……」
なんだか嫌な感じがして、ひとつ息を吐く。
そんなはず、ない。
◇◆◇
史呉は今日も俺を抱き締めて店の話を聞いてくる。
俺は言葉を止めて史呉の顔を覗き込む。
澄んだ瞳に映っているのは俺だけだ。
「なに?」
「……史呉はなんでうちの店の話、聞きたがるの?」
史呉の笑顔が消える。
あ、と思ったら噛み付くようにキスをされた。
呼吸を絡め取られて息苦しさに史呉の胸を叩くと、少しだけ唇が離れる。
「どうしてだと思う?」
「……」
「久遠?」
「………今日――…」
女性達の話していた内容を話すと、史呉が優しい笑みを浮かべる。
でもそれがなぜか怖くて、俺は小さく身震いする。
「震えてるの?」
「……」
「ねえ、どうして久遠の店の話を俺が聞きたがったと思う?」
「………メニューを真似する、ため…?」
すっと史呉の笑顔が消えて、また口角が上がる。
最初からそれが目的だった…?
俺を好きだって言ったのも、そばにいたのも、裏にそういう気持ちがあったから?
息を吸ったはずがうまく吸えずに、ひゅっと変な音がした。
「久遠の俺以外への“好き”を潰すため」
「え」
「久遠は店が好きだって言ってたから。お客さま奪えば自然と経営傾くかなって」
「……」
「これまでそっちに行ってたお客さまも、メニューを被らせたら喜んでうちに来てくれるようになったよ。久遠が隠す事もあるから全く同じじゃないけどね。どう? そっちは暇なんじゃない?」
「……それは…」
確かにお客さまが減ったし、常連だったお客さまも顔を見なくなった。
呆然とする俺に史呉がキスをする。
なんでこの状況でそんな事ができるのかわからない。
「働く店がなくなっちゃったら久遠は困るね。でも俺がいるから大丈夫だよ。一生守ってあげる」
「は?」
「久遠には俺だけいればいいんだよ。久遠の“好き”を受け取れるのは俺だけでいい」
「………なにそれ…」
そんな自分勝手な理由で色んな人を巻き込むつもりか。
店が続けられなくなれば、他の従業員だって大変な思いをする。
そういうところまで考えが回らないのか…?
「……離せ」
「久遠?」
「帰れ! 史呉の顔、見たくない!」
史呉の腕の中から抜け出そうとするけれど、しっかり捕まっていて離してくれない。
こんな男の腕の中にいたくない。
俺が暴れると更に抱き締める腕の力が強くなり、苦しいくらいになる。
「ご近所迷惑になるよ、久遠」
「知るか! 離せ!」
「離さない。久遠は好きな人に独り占めされたら嬉しくない?」
「……好きな人?」
俺はこんな風に捕まるために史呉を好きになったんじゃない。
独り占めされるって、他に方法があるだろう。
こんなひどい独占欲に縛られたくない。
「久遠が好きだよ。どんどん好きになってく。だから俺は久遠を手に入れる」
「っや…!」
強引に唇を塞がれ、腹が立つ勢いのまま噛み付くけれど逆にキスが深くなった。
血の味のする苦しいキスに眩暈がする。
こんな男、無理だ。
俺には手に負えない。
「………無理だ。史呉、別れて」
「それはできない」
「このまま今まで通りになんていられない。別れたほうがいい」
「久遠は俺が好きだよ」
「違う」
「好きだよ。俺への好きが久遠の心にある」
そんなのない。
全部消えた。
そう思うのに、正面からまっすぐ目を見られたら心が揺れる。
でもやっぱり許せない。
許せないのに……言う事を聞かない自分が確かにいる。
「……なんで…」
「“好き”を消さないで」
「無理だ……史呉とはもう…」
「大丈夫だよ、久遠」
大丈夫じゃない。
史呉が大丈夫じゃなくさせているんだ。
温もりが安心するなんて、そんなのおかしい。
涙が止まらない。
溢れる涙を史呉が唇で拭っていく。
そういう事をするなら、最初から泣かなくて済むようにしろ。
言葉が詰まって嗚咽が漏れた。
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