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それからしばらくは、また仕事が忙しい時期に入ったため会えない日が続いていた。早乙女さんも新しくお店をオープンするために奔走しているらしく連絡も途絶えがちだった。
仕事からの帰り道、空には丸い月が出ていた。
ポケットの中のスマホが長く震えた。
「電話?」
取り出してみると早乙女さんからだった。珍しいな。
「うさちゃん?」
「はい、こんばんは」
「特に用事はないんだけど、月を見てたらうさちゃんの声が聞きたくなって」
「あ、偶然。私も今、月を見上げてますよ」
「今、外なの?」
「はい、帰り道で。早乙女さんはお家ですか?」
「そう……」
しばらく無言が続く。同じ月を眺めているのかもしれないな。
「……会いたいな」
耳を澄ませていなければ聞こえないような、小さな声だった。
「今から行きます」
「えっ?」
自分でも驚いている。会いたいと言われて衝動的に行きたいと思う、まるで恋人同士のようだ。
「あ、大丈夫ですか?」
「うん、待ってる」
「早乙女さん、最近寝れてますか?」
会った時から感じていた、早乙女さんの疲労感。
「え?」
「なんだか疲れてるような気がして、ご飯美味しく食べれてますか?」
ご飯が美味しいことと良く眠れることが、私の健康のバロメーターなのだ。
「ちゃんと食べてるよ、美味しいかどうかはあんまり考えたことなかったけど」
やっぱり元気がないような気がする。
「今日は私が早乙女さんの愚痴を聞きます」
「え、いいよ」
「いえいえ。いつも聞いてもらってばかりですから、たまには。ね?」
「もう遅いし」
「泊まったらダメですか? 私を湯たんぽにしてください」
少し強引だっただろうか。
「どうしてそこまで?」
「友達だから」
そう言ったら、ふっと笑みが溢れたから大丈夫らしい。
ベッドに入ってから、少しずつ話してくれた。
新店舗の開店準備中に起きたトラブルーー社員三人が辞めてしまったこと。
新店舗のために採用はしているが、新しい人ばかりでは難しいため現在の店舗から何人かが移動になる。ただでさえ人員が少なくなるのに辞められてしまったら業務が回らなくなる。新たに募集はしているがなかなかすぐには決まらないらしい。
「この時期に辞めたいだなんて、私の人望がないのかな」
「そんなことない」
思わず抱きしめていた。
ベッドの中だから、早乙女さんより身長の低い私でも頭を撫でることも容易い。
「仕事や業務の事はわからないけど、早乙女さんの人柄は私が保証します」
「うさちゃん……」
「人生の中でタイミングが悪い時ってありますよね、今じゃなければって思うこと」
「そうだね」
「今は、ゆっくり寝ましょうか」
「うん」
早乙女さんの、速かった鼓動が落ちついてきて、私の腕の中からスースーという寝息が聞こえてくるのに、そう時間はかからなかった。
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