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13. 枝葉
蛇骨長屋の浪人・佐藤丈太郎宅で、妻・雪絵の出産が始まった。
「雪絵様、赤子は順調です、そのまま、落ち着いて呼吸を整えてください」
出産を促す漢方薬が功を奏し、何とか赤子が骨盤を通れるうちに出産が始まった。
「思った通り、これ以上赤子が成長したら、雪絵さんの骨盤を通らず、外科処置になるところでした。大丈夫です、順調ですよ」
産室に見立てた裏長屋の佐藤家の一室。長屋の女たちに湯沸しや蓮之介への伝令を頼み、長屋付きの産婆と共に紫野が昨晩未明から詰めていた。
「姫先生、陣痛だ」
「……おりきさん、舌を噛まぬように雪絵様に布を。そろそろ決めましょう、子宮口も開いてきました」
「よっしゃ。雪絵さん、しっかりやんなよ」
呻く雪絵に布を噛ませ、気合いを入れる一方で、未明からの出産の立会いにすっかり疲れ果ててしまって気絶したように転がっている夫の丈太郎を叩き起こした。
「何やってんだい、御新造が命かけてんだよ、しっかり声をお掛けな」
「は、はいっ」
丈太郎は弾かれたように雪絵の枕元に膝を進め、唸り続ける妻に頰を寄せた。雪絵が荒れた呼吸を繰り返し、両目から涙をこぼした。
その雪絵が、白い歯を見せてグッと食いしばった。
「おりきさん、きたっ」
「あいよっ」
紫野の合図で、おりきが背中を起こし、自らその下に潜り込むようにして雪絵の腰を両手で押した。
天井から下げておいた握り紐にしがみつき、雪絵が唸り声を上げる。
「頭、見えてきたっ、雪絵様、次でいきみますよ」
気絶しそうになる雪絵の頰を丈太郎が軽く叩き、紫野の指示が聞こえたかと問いかける。すると、うむ、と雪絵が頼もしく目を見開いて頷いた。
「うわぁぁ、あっぐっっっっ……」
雪絵よりもむしろ、丈太郎の方が歯を食いしばって唸り声を上げている。
「さぁ、息を飲み込んで腹の下に押し込むように、そう、いいですよ、さぁ、吐いて、吐きながら力を逃して! 」
部屋中に、血の匂いが充満する。
命だ。人間はこうして、血の中から誕生するのだ……!
「ぐぅぁぁぁ! 」
雪絵が断末魔のような叫び声を上げた時、蓮之介が飛び込んできた。
「出た! 」
にゅるりと、紫野の腕の中に血まみれの肉塊が滑り落ちてきた。
「任せろ、おまえは雪絵さんの後産を」
「承知。おりきさん、雪絵様に気付薬を。雪絵様、お腹の中が綺麗になるまで後少し、眠らずに頑張ってくださいね……兄上」
「大丈夫だ、この子はしっかりしている」
蓮之介が素早くへその緒を切って真新しい晒しの上にその塊を置き、羊水を鼻と口から吸い上げて軽くお腹を押してやると、それは火がついたような鳴き声をあげた。
真っ赤な肉塊が、今まさに、『赤子』となってこの世に誕生したのだ。
命が繋がったのだ。血の海の中から、命が繋がれたのだ。
後産も無事に終え、紫野はドブ板が並ぶ通路に立ち、月を見上げた。
蓮之介はまだ、赤子の全身状態を丁寧に診察している最中だ。
上弦の月が、青白く夜の長屋を照らしている。
「姉上……」
自分が血の中から命を繋ぐ仕事をしている事を、姉は喜んでくれるだろうか。武士としての生き方を捨て、愛しい男と二人、命を繋ぐ仕事をしている自分を、褒めてくれるのだろうか……。
いや、きちんと決着をつけねば、涅槃で姉と見えることも叶わぬだろう……紫野は診療所の私室に戻り、血塗れの白衣を脱ぎ捨て、かつて榊原政邦から拝領した古青江派の一刀・朧月を、刀架から持ち出したのだった。
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