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16、悔恨
「なんてこった……」
血の惨劇となっている現場には既に、武家の事案を扱う目付方の依頼を受けた松村純瞠が臨場しており、無惨な屋敷内にて検視を始めていた。
旗本1200石・水野勝美邸である。
かつては3000石の、水野一族きっての大身旗本の名家であり、大叔父はかの傾奇者で有名な水野十郎左衛門である。大名の蜂須賀家の姫を母に持ち、将軍家との拝謁も叶う血筋ながら、小普請組を志願し、果ては町奴と争って殺害し、一時は水野家を断絶させてしまった件の人物である。
勝美の父・忠丘が後に赦されて小普請組の小身から堅実に家を守ったことで、何とか永らえ、1200石までに禄を戻していたのであった。
そしてこの屋敷こそが、佐藤丈太郎が勘定方として勤めを始めたばかりの屋敷であり、雪絵の床上げが成ったら、家族でこの家人長屋に越してくる筈であった。
「武家でありながら、抵抗した様子もなく斬られてるってのが解せない。井戸水に眠り薬でも入れられたか……台所で亡くなっている小女だけが、引き攣ったような顔をして死んでるんだ。どれ……」
純瞠は女の爪の中から皮膚片を掻き出した。
「こいつぁいい。この女は下手人を引っ掻いてらぁ。断末魔の人間のやるこった、深く深く引っ掻いたに違いない。或いは……おおい、誰か」
純瞠が顔を上げて誰か呼ぼうかと辺りを見回していると、後から駆け込んできた清十郎がその役目に志願した。
「女の身元、急いで探ります」
「ああ。微かだが、この女からは白粉の匂いがする。見た所化粧っ気は無ぇが、ただの下女とは思えねぇ。見なぃ、剣だこだ」
「剣ダコですと」
「内股の肉付きを見ても、軽業のような柔軟な体術が得意なのは間違いないだろう。全身が鍛え抜かれた鋼の体と言ってもいい」
「忍、ですか。という事は、引き込み役⁉︎」
引き込みとは、予め雇い人として標的となる家に潜り込み、中から閂を外して手引きをする、盗賊の一味の者を指す。
「そこはあんたの領分だろ」
公儀の隠密方……そう見当をつけて言い切る純瞠に、清十郎は降参とばかりに苦笑して見せた。
「敵いませぬな、先生には」
「ま、医者をみくびるもんじゃねぇやな」
賊の手先の引き込み女か、或いは公儀が紛れ込ませていた隠密か……いずれにしても今は仏となった女の遺体に、純瞠は丁寧に手を合わせた。
「清さんよ、ここは俺一人でいい。蓮之介には声をかけてくれるな……大ェ事な弟子とそのレコを、これ以上妙な因縁に巻き込みたくはねぇんだ」
何でもお見通しだと、清十郎は頷いた。
役人達の検証の場から外れた清十郎が家人長屋の陰に身を潜めると、町衆の姿をした男女が2人、どこからともなく集まってきた。
「女は軽業か忍崩れの引き込みに間違いない。とにかく、霞一座の足取りを追うぞ。江戸を売って他へ逃れたら、我らの面目はないと知れ……それと」
「結城水野家の借財についてでしたら、大方分かりました」
「うむ」
「結城水野家は次女の婚礼の為に、出入りの商家は言うに及ばず、一族の末枝に至るまで、家紋料なる借財を申し込んでいます。全てが焦げ付いており、この家の当主も度々催促をしておった様子」
「いよいよ首が回らず、賊を使って口封じ……些か単純すぎる絵図だな」
「それと……信州高遠の一色綱堅が、火事に巻き込まれ亡くなりました」
「何だと」
「或いは水野家の差し金でしょうか」
無意識に、清十郎は刀の鍔を親指で撫でていた。悪い予感がした時の、彼の癖だ。
「予断は禁物だ。一座は私が追う、お前達は高遠と吾妻に飛んでくれ」
「承知」
伊賀者で、微禄で苦しい生活を強いられていた忍の中でも腕の立つ者を、清十郎ら隠密方は手足として使っていた。御庭番と同郷の甲賀者ではすぐに将軍吉宗に筒抜けになってしまうからである。
清十郎も、血の臭いを追いかけるべく、練塀小路の石畳を走り出した。
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