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あの日の桜は、満開だった。その日の夜から雨が降るとニュースで言われていた。あの年最後のお花見日和だった。だから、この川沿いには、多くの人が集まっていた。いつもよりもずっと多くの人が訪ねていた。
お花見をしている間、私がはぐれてしまわないようにあの人は、手を握っていてくれていた。私は、あの人の手が好きだった。なんだか、安心するようで好きだった。
夕日が沈み始め、反対側の空を雲が覆い始めた時のことだった。
あの人は、私に目線を合わせるために少し腰を曲げた。
「ねえ、そろそろ帰ろうか」
とあの人は優しい口調で言った。
私は、両親から言うことを聞くように言いつけられていたから、その言葉に頷いた方がいいと思っていた。けれど、頷くことが出来なかった。なんだかもう会えなくなるような気がした。だから、少しでも長くいたいと思ってしまった。
「帰ろうか」
と言うと私の手を優しくひいた。
「いや。やだ」
と私は言ってその場に突っ立った。
「もうすぐ雨も降りそうだし、帰ろう」
「やだ。まだ見たい」
「また今度お父さんかお母さんとかに連れてきてもらおうよ。頼んでみるからさ」
「やだ。この桜今しか見れないんでしょ。きれいだよ」
「でも、今度見に来るときも今と違ってもすてきだよ」
「やだ」
「雨が降る前に帰らないと大変だからさ。帰ろうよ」
「ねえ、今明かりついた。きれい。これ見てからがいい」
「じゃあ、ちょっとだけだよ」
「うん」
と私は言った。
それでもこの時の私は、全く帰ろうとは思っていなかった。そして、そのことに気づいたうえであの人は同意してくれたようにも思っている。
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