欲したものは

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──君と居ればいつも心もおなかも満たされていた。味蕾を擦る言葉はやわらかく、届いた先のかんばせは幸せそうに綻んでいた。 一緒に作った野菜炒めは少々濃い味付けだったものの『ご飯が進むよね』なんてやさしさで包んでしまえばどんなお店のものよりも絶品の味付けだった。『おかわりを貰ってもいい?』『もちろん』。二人の食卓にはそんな声のやり取りと笑い声が絶えなかった。 紐解けばいくらでも思い出せる、君との記憶。 「──」 うすぐらい部屋。二人で囲んだ食卓には中身が空になったビールの缶と見慣れた店の名前の惣菜がいくつか。酒を入れ酩酊状態の頭では味の濃い薄いの判別も鈍っており、傍らには調味料の瓶が置かれている。 「──……物足りないな」 胡椒の瓶を手に取って蓋を親指で跳ね上げたところで『今の味付けがちょうどいいんだから、それ以上かけたら身体を壊しちゃうよ』──君の声が頭を過ぎる。あの頃はきちんと静止の言葉に従っていた。ひとり暮らしの時は味に頓着しなかった俺だったが、二人で過ごすようになってからは君のために少しでも長生きしともに未来を歩みたかったからだ。 だが今、いま。隣に君の姿は無い。不器用だが優しく、二人で歩む未来のために料理を懸命に勉強してくれていた君は居ない。この先君のために料理を学ぼうとも、笑って食べてくれる姿はもうここに無いのだ。 「──」 何より待ち望んだ君との未来は、卵の殻のように力を込めたら簡単に潰れてしまった。砕けた殻は再び中身を包むことはなく無残に割れた黄身を滴らせ、泣いていた。──本当は手のひらでくるんで大事にしたかった。大切にしたかった。ただ、その方法が分からなかった。 可愛い可愛い卵は孵らず、また、二人で作る美味しいなにかに変わることもなかった。ただ、ぽたぽたと内包する中身を滴らせて泣いていた。 会えるのならば謝りたいが、それも叶わない。 俺はひとりの部屋で日々の食事を続けている。 今日も変わらない日、そのいちにちのはずだった。 「──おなかが空いたな」 だが。そんな中ふいに、口からまろび出た言葉。自らの耳を疑うような気持ちにはならなかった。むしろ妥当とすら思えた。──どれだけ店の味に舌を慣らそうともいちばん空腹が満たされるのは心が愛した味なのだ。心が愛した味は単なる空腹だけでなく、おなかが空いた時の寂しさすらも埋めてくれる。 だがこの空腹は、寂しさは、俺への罰だ。 俺は満たされてはならない。 それが君への償いになるはずだと信じている。 「……」 だから今日も俺は生命活動を維持するために食事を続ける。万人に愛される味を噛み締めながら、二人だけの味の名残を追い求め続ける。
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