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1話 雨天の朝、神社にて
【Timedefy】
1話〈雨天の朝、神社にて〉
*
いつか、晴れるときが来るのなら、私はそれを強く望む。
窓の外は、嵐の如く雨風が強い。
私の頭から足の先まで、それにやられてびしょ濡れである。
ぽた、ぽた、と床に落ちる雨雫。
「戦様、大丈夫ですか」
図太い声が耳を刺し、私はきゅっと唇を噛んだ。
右手は血塗れ。
その拳を握って、つたりと流れる赤いものも床に落ちる。
「怪我の手当をしましょう。さぁ、こちらに来てください」
木造の古い神社。
その社務所で今、生まれて始めて悔しいと感じた。
「海、私は、弱いか」
その質問に、返答はなかった。
遡ること、数十分前のことである。
*
私はこの神社の娘で、代々受け継がれる名高き『地支神社』の巫女をしている。
朝早くに起き、赤と白の行灯袴を着、神社の掃除をする。
一番最初は庭の落ち葉掃き。
広い神社の全てを掃くのには時間がかかるため、住み込みの従業員である巫女や、姉妹たちに手伝ってもらう。
そんな作業をしていた矢先だ。
今朝は、早く起きすぎてしまった。
五時でいいものを、私は四時に庭の掃き掃除をしていた。
「四時は外に出るな」と当主様に言われていたが、寝ぼけていたか何なのか、早く掃除を終わらせたい一心で外に出た。
馬鹿だった。
古風な扉の引っ付いた大きな大きなご神木から、猿と虎のような生き物が、水面から顔を出すように出てきたとき、そう思った。
猿と虎のような見た目だが、猿の方には白い翼が生えている。四足歩行でこちらに来る姿は、天使か悪魔かわからない。
虎の方は、角が生え、長い牙をむき出しにした、悪魔を徹底している姿だ。
どちらの生物も、本物の猿や虎より、ひとまわりもふたまわりも大きい。
今すぐに逃げなければ、と思ったときには遅かった。
彼らはこちらに鋭い目を向け、歩く足を止めた。
命の危機を私は感じた。
彼らが飛ぶようにこちらに襲ってきたとき、高ほうきを左手で構え、右手では所謂指パッチンの完成形をした。
「“意気阻喪”!!」
そう言ってすぐに指を鳴らしたけれど、一秒よりももっと短い時間、少し動きが固まってから、鋭い目でまたこちらを睨んだ。
高ほうきは猿に折られ、私は死を覚悟した。
ああこいつらは、私を殺すつもりなのだ。
突然冷静になり、ほうきを手放した。
それに捕まっていた猿は地面に落とされ、ギャアと声を上げてからすぐに私を睨んだ。
虎は今すぐにでも私を食らいつくしそうなふうに、上から降ってくる。
「意気阻喪……」
そう言っても、効果はなかった。
わかっていてもまた、指を鳴らす。
ガリッ
そんな音がした。
指を鳴らしたはずの右手は、血に塗れていた。
虎に食われた。
「美味しい?」
やはり自分は馬鹿だと思えた。
右手は痛くも痒くもなかった。
「出るな」と言われていた四時に外にい出て、それから間もなく襲われた。
こんな恥晒しを朝っぱらから私はやっているのだ。
いっそ殺してくれとあの二匹に心中頼んだほどだ。
しかしその頼みは果たされなかった。
雨がぽつぽつ降ってきて、それが滝に変わるのはたった数秒の間の出来事だった。
その間に私は右手の指を一本なくしかけた。
が、虎は雨が苦手らしい。噛み砕く前に止めた。
猿は翼を縮め、あの嫌な目でこちらを睨んでいる。
まるで、「俺は殺されたがっているやつを殺したくなんなかない」とでも言いたげな目だ。
殺されたいわけではなかったが、自分が自分で恥ずかしかったのは確かだ。
と、不意に雨が止んだ。
違う。空中で止まった。
虎も瞬きをしたまま目を開かない。
猿もほうきの毛を口に運んだまま、噛まない。
私以外の時間が止まっている。
すると、私の持っていたものとは違う高ほうきを使い、虎と猿を一太刀で私から離れさせた男が来た。
白と水色の斎服を着た短髪の男で、名を雪華海という。
地支神社に住み込みで働く男で、親はおらず、当主が養子とした私の義兄妹だ。
「戦様。無事ですか」
そう言いながら、返答を待たずに私の左腕を引いて社務所へ走る。
その速度は驚くほどに速い。
後ろを見れば、猿と虎はもう動き始めている。雨はまだ落ちないというのに。
社務所へ急いで入ると、海は肩で息をして私の右手を取った。
「これは不味い。急いで医務室へ往かなければ」
そんなことを言って心配する海から手を振り払い、私はそっぽを向く。
窓の外で猿と虎は何処かへ走っていくのが見える。私を探しているのか。
あの生物は、動物ではない。
猿の方は夕、虎の方は暁と呼ばれる、化け物だ。
午前四時にうちのご神木から出てきて、午後四時にうちのご神木から帰る。
ご神木の先は“時間の狭間”と呼ばれる空間だ。
私は行ったことがないが、そこには時間の流れがないらしい。私もよくわからない。
しかし、あのご神木についている古風な扉。
あの先に何があるのかは知っている。
あそこの先は、他の時代だ。
私は行ったことがある。一度だけ。
当主様が「少しだけ、見学だよ」と言って、扉のドアノブ付近にある、『壱百』だの『弐百』だの書かれた、途轍もなく長い数直線のようなところに矢印を合わせて扉を開いた。
その先は江戸時代だった。
あの数直線は、行き先を決める線。
『弐百五拾』と『弐百六拾』の間の長い線のところに矢印があったため、そこは大体二百年程前の日本だと知れた。
出た先の扉は、それもご神木のような大木に付いていた。木から出るなど、不思議な気持ちでたまらない。
どういう原理でそうなるのかは分からないが、あの暁や夕はこの扉と扉のあいだから毎朝四時に出てきて、午後四時に帰るのだと、なんとなく想像する。
この地支神社はそんなタイムスリップをさせないために無双する組織である。
“神社”と言ってはいるが、本来は化け物退治のほうが上である。
それを公にするわけには行かないため、神社としているのだ。
暁や夕は、時間の狭間にいる、時間を操る何者かの配下である。言うに、神社の狛犬だ。
その狛犬らには部下がいて、その部下たちを倒すのが私達『時間士』の役目。
生まれつき使えるような体質の不思議な技。これらは全て四字熟語から成っている。
例えば私は『意気阻喪』。
相手のやる気を損なわせるものだ。
しかしもとからやる気のある相手にしか効かないのが欠点である。
海は『永々無窮』。
時を止める技である。
先程は、自分と私以外、すべての時間の進みを止めた。
自他に便利な術である。
暁、夕の配下である『宵闇』は、そのような四字熟語の使える時間士によって、弱らされ、封印される。
『消滅』という単語を言いながら指を鳴らせば、自動的に封印箱へ入るよう、力の制限をしている。
簡単なことではないのだが、慣れれば意外とできるもんだ。
そんなこんなで、私達は時間士として戦っていた。
*
私の頭から足の先まで、それにやられてびしょ濡れである。
ぽた、ぽた、と床に落ちる雨雫。
「戦様、大丈夫ですか」
図太い声が耳を刺し、私はきゅっと唇を噛んだ。
右手は血塗れ。
その拳を握って、つたりと流れる赤いものも床に落ちる。
「怪我の手当をしましょう。さぁ、こちらに来てください」
木造の古い神社。
その社務所で今、生まれて始めて悔しいと感じた。
「海、私は、弱いか」
その質問に、返答はなかった。
ただ、薬箱を漁る音だけが聞こえてくる。
雨音は私の耳を湿らす。
その湿り気が、目頭まで来るようで嫌だ。
雨野家は何百年も前から続く、時間士の家系だ。例え四字熟語よ使えない人と結婚したとしても、生まれる子は四字熟語が使える。
そんな家系に生まれた私は、居間まで強くなることに専念してきた。
神社の仕事は勿論だが、四字熟語をうまく使えるよう、特訓させられてきた。
暁と夕は強い。
神様的存在の配下なのだから。
今まで戦ってきた、宵闇とは比べ物にならない。
私はこの家でも強いほうだと自覚している。海とはいい勝負で、ライバルだとも思っている。私の四字熟語は、あの二匹にはあまり効かないものだった。もともとやる気のある相手にしか使えない術。
彼らは、やる気がなかったわけではない。しかし、相手を襲うことが“普通”になっているため、然程殺気もなかった。
海は、それをきっとわかっている。
「もっと、強くならねぇと」
握りしめる拳が痛い。
熱い血が滴り落ちるのがわかる。
「暁と夕を目的にしちゃ駄目ですよ。あいつらは強すぎますから。倒せる時間士なんて、そういない」
慰めるように私の肩に手を置く海。
その様子に少し虫唾が走る。手を払い退けて、私は庭へ出ようと歩き出す。
もうあの二匹はいない。
この社務所に、海と二人きりなのが苦しい。
あの時、圧倒的に海のほうが暁と夕と張り合えていた。
悔しい。
悔しかった。
しかし、後から右腕をパシンと掴まれた。
「駄目ですよ。雨降ってますし、手当てしてないですし」
右手の傷をじっと眺め、痛そうに顔をしかめる海。何故。何故君が痛そうにする。
「さっきのことは誰にも言いません。生憎、僕たち以外はあの場にいませんでしたから、言わない限りバレません」
いたずらっ子みたいに笑う姿が、憎らしい。
だってそれは、私を思っての行動だろう。
次期当主の有力候補な私が、暁と夕に殺されそうになったのだと知られたら、私は次期当主を降ろされるに違いない。
それを回避するため、「言わない」と言っているのだ。
また彼への不満が大きくなる。
「クソが」
私の口から出たのはその言葉だけだった。
彼は悲しそうに笑ってごまかした。
包帯の巻かれる右手は、やけに暖かい。彼の丁寧さが伝わってくる。
だけのその暖かさと裏腹に、私の心は冷え切ったていた。
どす黒い“何か”が渦巻き、私の脳まで洗脳してくる。
彼と私は、正反対だ。
相手のことを思える彼は優しい。
自分のことしか考えられない私は。
ホント、正反対だ。
降雨、朝焼けは見えないようだ。
包帯に包まれた右手は、暖かい。この暖かさは海、彼自身だ。
私は左手で右手を包んだ。
この複雑な気持ち、どうか、あの猿や虎に食われてしまえ。
そしたら私は彼と対等になれるだろうか。
*一話〈雨天の朝、神社にて〉完
(漢字表記)
雨野 戦(あまの せん)
雪華 海(せっか かい)
暁(あかつき)
夕(ゆう)
宵闇(よいやみ)
地支(ちし)
意気阻喪(いきそそう)
永々無窮(えいえいむきゅう)
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