父を買う

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 「……俺に、どうしろっていうんだよ。」  彼の話を聞いた上での、正直な感想だった。  俺にどうしろと言うんだ。同じ施設で育ち、同じ家に暮らし、子どもまで作った女に逃げられたというあの男は、その過去を俺に知らせて、なにをしたいのだ。  きれいな男娼が、だよねー、と相槌を打ち、笑みか皮肉か、曖昧な形に唇を曲げた。  「敬吾さんは、ひばりさんしか愛さない。そんなこと、きみに知らせてどうするつもりなんだろうね。」  父親からの愛情なんて、受けたことはなかった。少なくとも、母親が消えてからは。だから彼の台詞に今更ショックを受けたりもしなかった。ただ、深く同意するだけだ。なんのつもりで俺に抱かれたのか、なんのつもりで過去をばらまいたのか、全然分からない。  きれいな男娼は、唇を例の形に曲げたまま、訊いてみるしかないね、と言った。  「敬吾さんに、訊いてみるしかないよ。なんのつもりなのか、どうしたいのか。」  それかね、と、彼は月から俺に、視線を流した。それは、どきりとするほど色っぽい流し目だった。  「それか、黙ってもう、出ていきなよ。こんな街。」  なにもかも捨てて、生きていきなよ。きみなら多分、大丈夫でしょう。  彼は、真剣な目をしていた。十数分前に顔を合わせただけの、なんの縁もゆかりもない俺に向けるにしては、それは真剣すぎる眼差しだった。  彼も、ここを出たいのかもしれない。ずっと、ずっと、そう思っていたのかもしれない。彼の眼差しから、そんな色を勝手に読み取った俺は、半ば反射で言っていた。  「出ていくなら、一緒に来てくれますか?」  彼は、驚かなかった。ただ、大きな目をまた俺から月に移し、今度は確かに笑みに唇を曲げた。  「俺は、ここを出ては生きていけないから。」  短い台詞だった。笑ったままの唇から吐き出された、ごく短い。でも、その台詞は血がにじむほど内臓の奥深くから掘り出されたものに聞こえた。数秒の沈黙の後、彼は淡々と言葉を繋いだ。  「一回、出ていったことがあるんだ。この街の外の大学に進学した。……でも、駄目だったよ。ここに戻ってきた。なんでかって訊かれたら分からないけど、俺、買われてるときしか、生きてる感じしないし。」  売春を覚えるのが早すぎたね、と、彼は目を細めた。  「今はこの街で、まあまあ上手くやってるんだ。ここを離れたりは、どうしたってできないから、そうするしかない。」  俺は、彼にかける言葉を探した。必死で。でも、俺の中のどこをひっくり返しても、目の前で悲しそうに笑っている人を慰める言葉なんて出てこなくて。  彼は、そんな俺を見て、優しいね、と言った。  「俺のことより、自分のことで精いっぱいだろうに、優しいね。」    
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