蛸のインサラータ

1/1
42人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

蛸のインサラータ

「ハングリッヒ家の専属シェフ、セバスチャンの特別コースを存分に堪能してください」 リアンが告げたタイミングで、線の細いシェフが料理を運んでくる。前菜は蛸のインサラータ。 イザベラとシモンヌは、すでにこの晩餐会の意味に気づいていた。 ふたりはリアンに好意を寄せていたものの、みずから踏み込めずにいた。玉砕し涙する者の姿を散々、目の当たりにしてきたからだ。 けれど突然届いた手紙は願ってもない機会をふたりに与えた。 『あなたをハングリッヒ家の晩餐会に招待したく存じます。日時は――』 ふたりとも貴族の家系ゆえ、ハングリッヒ家の晩餐会の意味は容易に調べがついた。 ――この絶好の機会、逃してはならない! ふたりは神経を尖らせテーブルマナーに注力する。優雅に、そして繊細に振舞わねばと。 そのとき突然、ギュュルルルーと腹の虫の暴れる音が響く。全員の視線が音源である女性に向けられた。ニーナだ。 「あっ、すいません! 今日のために三日前からご飯を抜いていたのでぇ!」 ニーナが照れ笑いをすると、リアンの母、トリンケンは口元を緩めて楽しそうな顔をした。父であるゲゲッセンも笑顔で応じるが目は笑っていない。リアンは頬の筋肉が痙攣を起こした。 その向かいでは、イザベラとシモンヌが蝋人形のように硬直している。 イザベラは――なんという大胆なアイスブレイキング! しかも餓死を恐れず晩餐会に挑むストイックさ、まさに一般市民の雑草魂! ――と慄いた。 シモンヌは――まさか自身の肉体を用いて、料理への期待を示すなんて! しかも生命力アピールの作戦とはこの子、侮りがたいわ! ――と深読みした。 ニーナは臆することなく、「どれにしようかなー」と指を弾ませている。手にするナイフとフォークを選んでいるのだ。その様子を見てリアンはニーナに目配せをし、小刻みに首を横に振る。違う違う、そうじゃないってば、と。 しかし当の本人はリアンのサインに気づくことはなかった。結局、蛸はスープ用のスプーンに乗る羽目となった。リアンは肩を落とした。 ――ニーナ、どうか父に気に入られてくれ! そう、リアンの想い人とはニーナのことだった。 ただ身分の違いゆえ、みずから想いを打ち明けることができず時が流れていった。 各々の思惑が交錯する中、ニーナは早々にインサラータをたいらげ、次の料理を待ちわびている。 「ああ、まーだお腹ペコペコ。つぎの料理とっても楽しみ~♪」
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!