1.再開

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 放課後の騒がしい廊下を部活動に入っていない二人はいつものように急ぎもせず、自然と互いの歩みに合わせた速度で歩みを進めていた。 「なぁ、お前って男が好きだったのか?」 「え・・・?!急にそれ聞く!?」  悠哉の唐突な質問に陽翔は大きな瞳を丸め、驚いたような表情を悠哉に向けた。 「急も何も無いだろ、お前だって急に恋人ができたって言ってきたくせに」 「ゔっ、それはそうだけどさ…そこはなんとなく触れないでいてくれると思ってたから…」 「普通触れるだろ」 「悠哉ってデリカシーないよね…」  陽翔は悠哉の無神経さに思わず眉を下げた。しかしそんな陽翔の態度に納得が出来なかった悠哉の口からは「は?」と低い声が漏れる。幼なじみであり親友でもある人間がゲイだった事実を確認しただけでそのような言い方をされるのは如何せん納得が出来ない。それに陽翔から今の今までそのような話を聞いたことがなかったため、親友として確認するのは当然のことだろう。触れないで欲しかったのなら最初から俺に話すなよ、と悠哉は思った。  陽翔から恋人がいると告げられたのがつい昨日のことで、出会ってから一度もそのような浮ついた話を耳にしたことがなかった悠哉にとって陽翔の告白は衝撃的だった。誰にでも好かれるような人柄をしている陽翔には友人と呼べる人間は多数いたが、所謂恋人と呼べる人間はいなかった。それは悠哉の知る限りの範囲内でしかないが、陽翔に恋人がいたら確実に気がつくことの出来る自信が自分にはあったため、陽翔に恋人がいなかったという事は事実と捉えて問題ないだろう。  そんな陽翔に恋人が出来た。正直ショックは受けたが陽翔に今まで恋人ができないこと自体おかしかったのだと悠哉は考えている。男にしては低い身長、オレンジ色の瞳はぱっちりと大きくまさに女顔と呼ぶに等しい容姿、一見男扱いされずに友人として付き合っていくのに丁度いい相手のように思われるが、柚井陽翔という人間は誰にでも等しく優しいお人好しだった。女が憧れるイケメンとは違うのかもしれないが陽翔の内面を知って好意を寄せる女も少なくはなかった。結論として、陽翔という人間は世間一般にいうモテる側の人間だった。それでも恋人がいなかったのはなぜか、多分俺のせいだろうな…と暗い気持ちを抱えながら悠哉は眉を寄せた。  陽翔は悠哉に対して異常なまでの庇護欲を持っている。例えば放課後遊ぼうと誘われても「ごめん、これから用事があるから」と言い断ることがほとんどだった。用事など悠哉の家で一緒にゲームをするといった特に優先するべきでもない有り触れたものだというのに、悠哉を一人にさせないためだけに陽翔はそういった行動をとる。何事にも陽翔は悠哉を優先してしまうため、いつの間にか悠哉の隣にはずっと陽翔がいた。そして悠哉自身もそんな陽翔に依存してしまっているのが現状だった。だから陽翔に恋人、しかもその相手が男である事に悠哉はショックを隠せずにいる。  すると、陽翔は困ったように眉を下げた。 「んー、別に男の人が好きって訳じゃないと思う…多分…」 「はぁ?!じゃあなんで男に告られてOKしたんだよ」 「いやぁ、僕自身告白されるのって初めてだったのもあるし最初はすごい戸惑ったんだけど、でも僕みたいな人間を好きって言ってくれる先輩の気持ちを無下にしたくなくて、それに実際に付き合ってみないとわかんないじゃん?」  陽翔の返答に悠哉は思わず立ち止まり固まってしまう。本気で耳を疑った、長年付き合ってきた親友がここまでお人好しの馬鹿だったとは知らなかった、と悠哉は陽翔の価値観を理解出来ずに困惑した。こいつは好きでもない、しかも男とボランティア感覚で付き合うつもりなのか?ありえないだろ、悠哉には到底理解できない考えだった。  そして悠哉の脳裏に嫌な疑問がひとつ浮かび上がる。お前のことが好きだと言ってくれる相手だったら誰でもよかったのか、性別など関係なく、相手に誠意があり真剣に好きだという気持ちを伝えることが出来る人間なら誰とでも付き合うことが出来るのか、それなら自分だって陽翔と恋人同士になることが可能だったのではないだろうか、そんな考えが悠哉の表情をより一層曇らせた。男同士という壁、さらに親友という間柄であり悠哉の人生に必要不可欠となっている陽翔の存在を失うことへの恐怖、そんなことをうだうだ考えた末に陽翔と恋人になることは自分には無理だと思った。だけどそんな考えは無駄であり素直に告白さえしていれば、陽翔と恋人同士になれたのではないか。 「じゃあ、俺が告白したら付き合うのか?」  そんな疑問が悠哉の頭の中を右往左往と飛び交い、ついには言葉として口からポロッと漏れた。  悠哉が立ち止まっていることに気がついた陽翔は自分も同じようにその場で足を止め、振り返ってふっと微笑みを悠哉に向けた。 「いや、それはないよ、だって僕たち親友でしょ?恋人にはなれないよ」  陽翔は特に考え込んでいる様子もなく、キッパリとそう言いきった。陽翔の笑顔でさえ今の悠哉にとっては残酷なものに見えてしまい、胸が苦しくズキズキと痛む、誰かに心臓を鷲掴みにされているようなそんな気分に陥ってしまった。  最初からわかっていたはずだった、陽翔が自分の事をそういう対象として見ていないことぐらい。  悠哉はふぅ、と一言呼吸を置き、なんとか平常心を保つことに集中する。 「…そうだよな、まぁよくよく考えたら陽翔と付き合うとか有り得ないな、普通に嫌だし」 「ゔっ、地味に傷つくなぁ」 「そもそもそいつ本当にお前のこと好きなのか?遊ばれてんじゃねぇの?」 「それ言う?!確かにみんなのヒーロー的存在な慶先輩が僕みたいな凡人好きになること自体おかしな話なんだけど、でも!すっっごい真剣に告白してくれたんだ…!あれが嘘なはずないし、疑うのも失礼ってもので…って?あれ?聞いてる?」 「あー、悪い、幼なじみの惚気を聞くことに対して体が拒否反応を起こしてるみたいで全く内容が耳に入ってこない」 「なんだそれ!?てか別に惚気けてないし…それにこの話始めたのは悠哉のほうだろ?」 「記憶にないな」 「えぇ~…」  悠哉の態度に半ば呆れた陽翔は情けない声を出しながら目線を正面に戻し、止めていた足を動かした。どうやらこの話はこれで終わりらしい。  聞くんじゃなかった、陽翔が友情以上の感情を自分に抱くはずがない、分かっているんだ。いや、分かっていたつもりだった。実際は陽翔と恋人同士という関係になれることに少し期待していた自分もいたのだろう。陽翔は自分の事を大切に思ってくれている、これは数年付き添ってきた経験から悠哉は断言できた。しかしその想いが恋愛感情なのか、はたまた親愛のようなものなのか、陽翔の場合は後者だった。どれだけ大切に想っている兄弟がいても恋人同士になろうとはしない、つまり陽翔にとって悠哉の存在はそういうものなのだろう。  ――だけど…陽翔のことをろくに知りもしないやつに取られるのはすげぇ腹が立つ、俺の方が陽翔のことを知っているのに、俺の方が陽翔を想う気持ちは強いのに。 「陽翔」  正面から高校生にしては良いガタイをした一人の男がこちらに歩みを寄せてくる。その男は悠哉にとって今一番会いたくない人物だった。そのため男の姿を視界に入れた瞬間、慌ててふいっと目をそらす。陽翔の名を呼ぶその人物、難波慶は一年生の教室の前を三年生であるにも関わらず堂々と歩き、こちらに近づいてくる。サッカー部のキャプテンでありエースでもある難波は学校内ではちょっとした有名人だった。その難波が何故こんな所にいるのか疑問に思っている生徒もいるようで、ひそひそとした話し声も聞こえてくる。上級生の難波が何故一年生の教室いるのか、そんなこと悠哉にとっては簡単な事だった。恋人である陽翔に会いに来たのだろう。  「慶先輩!」と陽翔が元気よく駆け寄っていく。難波を視界に入れた途端、陽翔の表情がぱあっと明るくなったような気がして悠哉の胃はキリキリとした嫉妬心で痛んだ。 「よぉ、今帰りか?」 「はい!先輩は部活ですか?」 「まぁな。あー、陽翔、今からちょっといいか?」 「今からですか?」  陽翔がチラッと悠哉の方へと視線をよこす。「えーっと…」と言い淀んでる様子から、自分の存在を気にかけているのだろうと悠哉は察した。これから一緒に帰ろうとしている友人を置いて恋人のもとへ行ってもいいのか。恋人ができた今でも陽翔にとって悠哉の存在はかなり大きいらしく、難波よりも優先度が高いのかもしれない。  陽翔の気持ちは嬉しかったが、この場面で変に気を遣われてもただただ気まずいだけだった。俺なんか気にせずに早く難波のもとへ行ってくれ、と悠哉は心の中で強く願った。  曖昧な返事しか返さない陽翔に対して疑問に思った難波は、悠哉の存在に気がついたようで視線を向け「お前、悠哉だよな」と、声をかけてきた。  まさか自分に話が振られるとは思っていなかったため、ビクッと身体が反応してしまう。悠哉は恐る恐る難波の顔を見た。真正面から見た難波慶という男は自分の人生で決して関わろうとしない人種であることがよく分かった。別に髪の毛を明るくしてるわけでも、制服を着崩しているわけでもない、難波の見た目は黒髪に短髪、キリッとした眉が特徴的な男前の面をしており、世間一般にいう優等生の部類だろう。だが、何故か難波慶という男から発せられるオーラ的なものが悠哉にとっては苦手意識が強く、陽なものに感じてしまっていた。順風満帆な人生を送っており、何不自由ない家庭で育ってきたおかけで真っ直ぐとした性格で誰にでも分け隔てなく対応出来る完璧な人間、悠哉からの難波慶という男のイメージはそんなところだった。 「そうですけど…」 「ちょっとだけ陽翔のこと貸してくれないか?」  わざわざ自分に許可を取ってきた難波に、悠哉の眉はピクリと動いた。陽翔と話したければ勝手に話せばいいのに何故こちらの許可を取ろうとするのだろうか。しかしここで無理です、なんて断ることも出来なかった悠哉は素直に陽翔のことを差し出した。 「別にいいですよ、ほら」 「ちょっ、人を物みたいに…っ」 悠哉は陽翔の背中をドンッと押し難波の方へ突き出すと「外で待ってる」とだけ言い残しその場を後にした。  玄関で靴を履き替えた悠哉の口から本日何度目かわからないため息が漏れた。先程の気まずい空気、自分の存在が二人の邪魔をしていることは明らかだった。恋人同士の二人の間に入る隙など一ミリもなかったではないか。唇をぐっと噛み締め、悠哉は自分の陽翔への独占欲を憎んだ。  柚井陽翔という人物は悠哉が今まで出会ったことのない存在だった。小学五年生の頃、転校生である悠哉に陽翔が話しかけてきたことが二人の出会いだった。当時、悠哉は人に対する興味が全くなく、誰とも関わろうとしなかったためわざと一人でいた。そんな悠哉に陽翔が声をかけてきたのだ。 「僕は柚井陽翔、困ったことがあったらなんでも聞いてね!」  屈託のない笑顔で自己紹介をしてきた陽翔の第一印象は、他人に気をつかえるほど人生に余裕を持っている幸せ者のお人好し、という小五にしてはひねくれ過ぎた感想だった。  悠哉が何度無視をしようが陽翔はしつこく付きまとってきた。友達や仲間、そういうものを毛嫌いしていた悠哉にとって陽翔の存在はただただうざいもので、本音としては放っておいてほしかった。そしてそんな陽翔に耐えられなくなった悠哉は、ついには陽翔に対して強く当たってしまった。普通の人間ならば「うざい」「しつこい」「放っておいてくれ」などの言葉を向けられたら軽蔑するに違いない。せっかく人が気を遣って寄り添ってやったのになんだその態度は、と離れていくのが普通だろう。しかし陽翔は違った。 「どんなにうざがられても構わない、だって僕お前と友達になりたいもん。それに悠哉を一人にしたくない」と悠哉に向けて真っ直ぐとした眼差しでそう言葉を投げたのだ。こんなに真っ直ぐな瞳は初めて見た、こいつのことなんか全然知らないのに、こいつだけは俺のことを裏切らないのではないか、そう悠哉は思うことが出来た。  人間不信で決して心を開こうとしなかった悠哉の心の扉を無理やりにでも開いてくれた人物こそが陽翔だった。それから陽翔は片時も悠哉のそばを離れることなくずっと隣に居てくれた。陽翔さえいればそれでいい、他に望むものは無い、そう思えるほど陽翔の存在は悠哉の中で異常なまでに大きくなった。  陽翔は悠哉にとって大切な友人であり、人生の支えだった。しかし現実は残酷なもので、陽翔に恋人が出来た今、陽翔は悠哉だけの陽翔ではなくなった。いつまでも子供じみたわがままも言ってられない、自分が陽翔を解放しなければならない。陽翔の幸せを祝福してあげることこそが悠哉に出来るせめてもの恩返しなのだ。そのため悠哉は心の奥底で陽翔を諦めることに決めたのだった。
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