8.那生

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 一時間目が始まってもクラス中、那生の話題でもちきりだった。なんとか出し物は喫茶店で決まったが、学校行事に明るくない悠哉にとってはどうでもいい事で、この一時間の間ずっと悠哉の頭の中は彰人でいっぱいだった。  そして放課後になり、陽翔が部活に行ってしまうと悠哉の鼓動の高鳴りはよりいっそう激しくなっていった。彰人から先に帰ってくれというLINEがきてないということは、今日は一緒に帰るつもりなのだろう。あれから一度も彰人とは会っていない、彰人の前でどんな顔をすればいいのか分からず、落ち着かない気持ちで無意味にスマホを眺めながら悠哉は彰人が来るのを待っていた。  すると「悠哉」と自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。声の主である彰人は悠哉の机まで来ると「帰るぞ」といつもと変わらぬ様子で声をかけてくる。  彰人の声を聞いた瞬間、悠哉の身体はびくりと反応してしまったが、彰人には気づかれていないだろうかと不安に思いつつ、なるべく彰人の顔を見ないように平常心を保って立ち上がった。  教室を出て廊下を歩いていても、なんだか緊張してしまい悠哉は言葉が出てこなかった。昨日のことがあって彰人は自分の事をどう思っているのだろうか、と悠哉は気になったが、彰人の態度からは全く読み取れない。 「悠哉のクラスは文化祭何をやるんだ?」 「へっ?」  突然声をかけられたせいで悠哉は思わず声が裏返ってしまった。「あ、ああ。喫茶店に決まったみたい」と動揺している気持ちをなんとか落ち着かせ、あくまで冷静な態度で答えた。 「喫茶店か、うちのクラスと同じだな」 「そうなのか。三年生は随分気合い入ってるみたいだけどそんなに大変なのか?」  よし、いつも通り普通に話せてるぞ、と心の中でガッツポーズをしながら彰人との会話を続ける。 「そうだな、衣装から自分たちで全部作るみたいでかなり大変そうだな。朝早くから集められるのは勘弁して欲しい」  まさか衣装まで自分たちで作るとは予想していなかったため「それは大変そうだな…」と彰人に同情してしまう。 「そういえば、那生っていうモデルが文化祭に来るみたいだ。今日はその話しでクラス中うるさくて参ったよ」  悠哉が那生という名前を出した途端、彰人の眉毛がぴくりと動いた。何も言わない彰人を不審に思った悠哉は「どうかした?」と首を傾げると「…なんでもない」と微笑まれる。そんな彰人の様子を不思議に思いつつも、これ以上深掘りすることなくこの話は終わってしまった。  玄関に着き、悠哉はげた箱からスニーカーを取り出しふぅと一息つく。いつも通り彰人と話せていることに悠哉は胸を撫で下ろした。  しかし彰人の様子がいつも通りすぎて昨日のことは夢なのではないか、と半ば不安に思ってしまう自分もいた。たかがキスでここまで動揺してしまっているのは自分だけなのだろうか。  外に出ると既に靴を履き替えた彰人が待っていた。 「なぁ悠哉、今日お前の家に寄ってもいいか?」 「は!?」  突然そんなことを言われ、また声が裏返ってしまう。本日二度目だ。 「なんだよ急に…っ」 「昨日のことで話したい事があるんだ」  昨日のこと…恐らく、いや確実に彰人はキスのことを言っている。このまま彰人を家に呼んだらどうなるのだろうか、彰人に対しての気持ちが恋なのかまだ確信的ではないのにどう自分の気持ちを伝えたらいいのか、悠哉にはまだ分からなかった。  言葉に詰まり、言い及んでしまった悠哉は彰人から視線を外すと校門の方へ視線を向けた。すると、校門に寄りかかっている一人の男が目に入る。遠目で顔はよく見えないが、白髪の髪はふわふわと少しパーマがかかっており、顔には丸いサングラスを掛けている。右足を曲げ、スマホを眺めているその姿はまるでモデルのようにスラッとしていて恐らく身長もかなり高いはずだ。  悠哉が校門の男に目を奪われていると「おい、悠哉?」と彰人は何も言わない悠哉を不思議に思い、悠哉の目線の先を辿り後ろを振り返った。 「那生…?」  男の存在に気がついた彰人は男の姿を一点に見つめ、ボソリとその名前を呟いた。 「彰人…っ!」  男がくるりと身体をこちらに向け、駆け足で走ってきた。彰人の名前を呼んだその声は弾んでおり、嬉しげな様子が声からして理解出来た。 「なんでお前がここに…っ」 「やっと会えた…!」  男は勢いよく彰人に抱きつくと、彰人の顔を両手で掴みキスをした。  ズキリと悠哉の心臓に鋭い痛みが走る。目の前の光景がまるで信じられない、信じたくなかった。  「っ…、やめろっ…!」と彰人が男の身体を無理やり引き剥がすと「久しぶりに会えたっていうのに全くつれないな」と全く悪びれる様子もなく男はニヤリと笑った。 「急に何するんだ」 「そう怒るなよ、お前と俺の仲だろ?」  男はサングラスを外すと、くるくると指で回し首元に掛けた。露になった男の姿に思わず悠哉の喉がひゅっと鳴る。大きな瞳は赤く光り輝いており、まるで宝石が散りばめられているかのように美しかった。キメ細かく滑り落ちそうなほど滑らかな白い肌、重量感のある真っ白なまつ毛は男の美しさをより引き立たせている。男の容姿は人間とは思えないほど美しく、その美しさに疑問を感じるほどであった。その瞳は赤いルビーのように輝き、一度目に入れると目が離せなくなる。男はまるで、異世界からやってきた美しい存在のようだった。 「那生、一人で行ってしまうなんて酷いじゃないか」  また一人、見知らぬ男が目に入る。男を彰人と同様那生と呼んだその人物は校門からこちらへ向かって歩いてくる。 「お前がノロイのが悪いだろ?」 「ノロイって、車を駐車場に止めてただけでしょ?それぐらい待てないと」  「うるせー」と不機嫌そうに那生と呼ばれた男は黒髪の男に一蹴りを入れ唇をとがらせた。そんな那生の態度に慣れきっているかのように黒髪の男は悠哉と彰人の方に向き「那生がお騒がせしました」と詫びた。 「私たち今月開催される文化祭の下見に来たんです」 「そうだった!なぁ彰人、お前がこの学校にいるって知ったからわざわざこの俺が来てやったんだぞ、驚いたか?」  那生は自信満々な態度で彰人にそう言った。 「お前は相変わらず自分本位なやつだな。悠哉、行くぞ」  彰人は冷めた目で那生をひと睨みすると悠哉の手を取り早足で歩き始めた。悠哉は黙って彰人の後をついて行くことしか出来ない。 「悠…哉…?」 「ほら、那生もう行くよ。誰かに見つかったら大騒ぎになる」 「ちょっと待てよ、あんたが悠哉なの?」  那生が悠哉の肩をガシッと掴んだ。突然の出来事でビックリしてしまい、何も言えない悠哉は那生の顔をただ見つめていた。彰人とそこまで変わらない身長をした那生に見下ろされ、思わずたじろいでしまう。実際に那生という男を目の前に、悠哉は圧倒される。 「へぇー、あんたが彰人の想い人ね。はっ、大したことねぇじゃん」  上から下まで舐めまわすように悠哉の事をじっと見つめていた那生は、まるで悠哉を見下すかのように鼻で笑った。先程まで状況についていけなかった悠哉も、そんな那生の態度にだんだんと腹が立ってくる。一言言い返そうと口を開こうとした瞬間「おい」と彰人が怒気の孕んだ声で瞳をキッと光らせた。 「悠哉のことを悪くいうとお前でも容赦しないぞ」  怒りを顕にした彰人の様子に、那生は赤い瞳を歪ませせっかくの整った顔が台無しになるような表情をする。 「なんでこんなちんちくりんがいいのか俺にはさっぱりだな、俺の方が絶対彰人とつり合うってのに。もういい、行こうぜ」 「はぁ…君は本当に口の利き方がなってないね。すみませんね、うちの那生がご迷惑お掛けしました」  校舎に入っていく那生に続いて黒髪の男もその後を着いていく。すると那生はくるりとこちらを振り返り「でも俺ぜってぇ諦めないから」とだけ言い残し今度こそ校舎の中へ入っていった。  那生達がいなくなり、ハッとした悠哉は彰人の手を振りほどき急いで歩き始めた。 「ちょっ、悠哉待ってくれ…!」  悠哉の後を慌てた様子で彰人がついてくるが、そんな彰人を無視して悠哉は足を進める。先程のキスが脳裏から離れなかった。那生と呼ばれた男は恐らく、今度文化祭にゲストとして来るモデルの那生本人なのだろう。あの常人離れした容姿ならモデルといわれても納得出来る。彰人とは一体どういった関係なのだろうか、しかし先程の様子から二人がただならぬ間柄であったことは確かだ。那生の名前を出した途端彰人の様子がおかしくなった事がそれを証明していた。 「おいっ、悠哉!」  一向に返事を返さない悠哉に痺れを切らした彰人は、悠哉の腕をパシリと掴んだ。相変わらずの馬鹿力なためいくら悠哉が腕を振りほどこうともがいても彰人の手が離れることはなく、悠哉は思わずちっと舌打ちをする。 「離せよ」 「嫌だ、とにかく俺の話を聞いてくれ」 「話を聞くって何の話だよ?お前から聞きたいことなんてない」  悠哉の素っ気ない態度に眉を歪ませた彰人は「もしかして那生に妬いてるのか…?」と聞いてきた。 「は…?そんな訳ないだろ?なんで俺があんな奴に嫉妬しないといけないんだ」  図星だった。彰人と那生のキスを目にしてショックを受けた。キスの一つや二つ、彰人にとってはどうとないことで自分とのキスだってその程度だったのではないかと嫌でも思ってしまう。しかしそんなこと素直に言えるはずもなかった。 「じゃあなんでそんなに不機嫌なんだ?」 「別に、たださっきの那生とかいう男の態度にイラッときただけだ」 「本当にそれだけか?」 「しつこいやつだな、そう言ってるだろ?それよりさっきの答えだけど、今日は家には来ないでくれ」  今度こそ彰人の手を振りほどき悠哉は足を進めた。すると、横断歩道を挟んだ向こう側にスマホを片手に信号待ちしている木原の姿が目に入る。信号が青になったことを確認し、悠哉は駆け足で横断歩道を渡り木原の元へと向かった。 「木原っ!」  木原に声をかけると「おお悠哉、奇遇だね」と木原は笑顔を見せる。 「おい悠哉待ってくれ」 「君はこの間の…そういえば君が襲われそうになった悠哉を助けてくれたんだってね」  慌てた様子で悠哉の後を追いかけてきた彰人に、木原は「君のおかげで悠哉を守ることが出来た、本当にありがとう…!」と彰人の両手を握りしめ感嘆の声を上げた。 「俺、これからこいつと用事あるから」 「えっ?」  悠哉は木原の腕を掴み、家とは反対方向に向かって半ば強引に木原を引きずりながら進む。木原は状況についていけていないようで「用事?どういう事だ」と困惑した表情で悠哉に問いかけてきた。 「いいからついて来い」  小声で木原に耳打ちしながら、ちらっと後ろを振り返った。彰人はその場に立ち止まりこちらをじっと見つめている。どうやらついてくるつもりはないらしい。  それからしばらく木原を連れて歩いたが、特に目的もないため足を止めた。 「急に連れ出して悪かったな、もう大丈夫だから」 「えっ?俺に用事があるんじゃないのか?」 「は?別にないけど」  素っ気ない悠哉の態度に「ええ?!ここまで連れ出しておいてそれはないだろう!?」と木原は声を上げた。いちいちリアクションがオーバーだな、と悠哉は冷たい視線を木原に向ける。 「そうだ!せっかくだからどこかでお茶でもしないか?」 「はぁ?お茶?」 「兄弟水入らずでいいだろう?」  木原は悠哉の背中をぽんぽんと叩き「ね?」と促してきた。先程の那生のことをまだ根に持っていた悠哉は気を紛らわすために丁度いいかと思い「あんたの奢りなら」と渋々木原からの誘いを承諾した。
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