8.那生

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 翌日、文化祭の準備をしている生徒が多いため、放課後でもどこのクラスも賑わっていた。幸い悠哉のクラスはそこまで文化祭に本気な者がいなかったため未だに準備を始めようとする生徒はいないみたいだ。そのためいつも通り帰り支度を済ませた悠哉は木原から連絡が来るのを待っていた。昨日木原に誘われた那生が出演するイベントを見に行くことになったのが今日で、なんだか落ち着かない気持ちで窓の外を眺める。  あれから那生について自分でも調べてみた。本名は白雪那生。その名前からファンの間で白雪姫と呼ばれていたらしいが那生本人が本気で嫌がったらしくそのあだ名は禁句になった様だ。歳は十八で彰人と同い歳、幼い頃から芸能界で活躍していた那生はモデルの仕事だけではなくドラマやCM、バラエティにも出演おりその活躍は名高いようだ。そしてあの特徴的な赤い瞳は生まれつきのものらしく、アルビノという病を持っている那生は肌や髪の色素が人並みよりも薄く、異常に透き通った白い肌や雪のように真っ白な白髪も赤い瞳と同様アルビノの症状の一瞬らしい。  結局ネットの情報だけでは那生という男の本性までは分からなかった。やはり直接那生本人に会ってみないことには何もわからない。  ふと周りを見渡すと教室の中は悠哉以外誰もいなかった。どうりで静かだと思ったが、このタイミングで彰人が来たらどうしようと不安が募る。彰人には一応LINEで「今日は放課後用事があるから一緒に帰れない」と連絡を入れている。それでも昨日のことがあったため彰人は教室まで来るのではないかと思ってしまう。那生に嫉妬した自分は彰人に対してまた酷い態度をとってしまった。つくづく自分の素直になれない性格が悠哉は嫌になる。素直に那生に嫉妬したと言えたらあんなややこしい事にならなかっただろうに、けれども今の悠哉は那生のことが気がかりで彰人とまともに話せる気がしなかった。  すると教室のドアがガラリと開いた。その音に反応し、悠哉は反射的に後ろを振り返った。 「なんだ、お前しかいないの」  扉を開けた人物、難波は「ここのクラスは文化祭の準備まだしてないんだ」と教室に入ってきた。 「なんの用だよ」  彰人でなかった事に安堵したが、難波にも会いたくはなかったため悠哉の顔は思わず引き攣ってしまう。 「そんなに嫌そうな顔すんなよな、ほんとに俺のことが嫌いだよな」  「気づいたら敬語も抜けてるし…」とボソッと呟いた難波は悠哉の元まで来ると悠哉の前の席、つまり陽翔の席に腰を下ろした。 「なんの用ですか」 「嫌々下手くそな敬語使うなよ、それならさっきの方がマシだ」  人が仕方なく敬語を使ったらこの言われ様、思わず「チッ…」と舌打ちしそっぽを向く。 「陽翔はもう部活か?」 「ああ、一応来週一週間は部活はないらしい。そんなことも知らないのか?」 「お前なぁ…俺は色々と忙しいんだよ、最近は陽翔とだってあんまし話せてないし」  難波は「はぁ…」と溜息をつきムスッとした顔で窓の外を眺めている。難波の顔をよく見ると目の下には隈がうっすらと出来ていた。前に陽翔も言っていたが受験勉強が相当大変らしく、その様子だと陽翔にすらまともに会えていないみたいだ。 「文化祭前なら教室にいると思ったんだけどな、陽翔は部活もあるしなかなかタイミングが合わなくて嫌になる」 「そんなんだと陽翔に愛想つかされるのも時間の問題だな」  悠哉がニヤリと口角を上げ嫌味を言うと「お前は本当にムカつく奴だな」とますます難波の機嫌が悪くなった。 「そういうお前はどうなんだよ、彰人とは上手くいってるのか?」  仕返しとばかりに彰人の話題を出した難波はニヤついた顔で悠哉を見る。今一番聞かれたくなかったことをよりによって難波に聞かれてしまい、今度は悠哉の機嫌まで悪くなってしまった。 「お前に言う義理はない」 「…そうかよ、まぁ陽翔への気持ちが恋じゃなかったみたいでこっちとしては有難い事だけどな」 「それ彰人から聞いたのか?」  自分自身の陽翔への気持ちが恋ではなかったということを難波に打ち明けた記憶などなかったため、不審に思いそう問いかけた。難波がその事を知っているとなると犯人は彰人しかいないだろう。 「まぁな、お前のことについては彰人からは色々相談を受けてるよ。あいつは不器用だから恋愛相談できる相手も俺ぐらいしかいないみたいだしな」  確かに彰人が難波以外の同級生とつるんでいる姿を悠哉は見た事がなかった。そう思うと難波は彰人にとって唯一の友人なのかもしれない。 「それでまた彰人の様子が変なんだが、また何かあったんだろ?そんなんじゃ愛想つかされても文句言えないぞ」 「…ほんとお前嫌い」  頬杖をついた難波はニヤついた表情を崩さないままさも面白がっているような口調で痛いところを突いてくる。  自分でもそんなこと分かっているつもりだ。いい加減素直にならないといけないと思っていてもなかなかに面倒くさい性格をしていた悠哉はそんなことも難しく、結局は彰人に対して素直になれていない。 「そんな顔するなって、これじゃあ俺が虐めてるみたいだろ」 「そう思うなら最初からそんなこと言うなよ」  顔を顰め曇った表情で俯いた悠哉の顔を覗き込み様子を伺ってきた難波に、俺は今不機嫌ですという態度を露骨に出してそう返した。  ふと脳裏にひとつの疑問が横切った。難波なら彰人と那生の関係を知っているのではないだろうか。 「お前って彰人と那生がどういう関係だったか知ってる?」 「は?那生と彰人?」  悠哉の質問に目を丸くした難波は「なんでそんなこと聞くんだ?」と不思議そうな顔で悠哉を見てくる。 「昨日、那生が彰人にキスしてきたんだ。それに那生は彰人にすごく好意的だった」 「なんだそれ、初めて聞いたぞ。だから彰人の機嫌が悪かったのか…」 「で、どうなんだよ?お前は彰人と那生について何か知ってるのか?」  難波は少し考えたような素振りをすると、ゆっくりと口を開いた。 「那生は彰人の元カノだ、男だから元カレか?まぁどっちでもいいか。俺の記憶だと高二の夏から冬辺りまで付き合ってた気がするな」  なんとなく想像はついていたが、やはり那生は彰人の元恋人だった。難波の口からその事実を聞き、悠哉の憶測だったものが真実となってしまったことに胸のもやもやが一層深く渦をまく。 「彰人にしては珍しく長かったな、あんまり詳しくは言えないけど彰人は付き合っても長続きしないタイプだった、それが半年も付き合ってたんだからすごいほうだ。あのモデルの那生と付き合ってるなんて知った時は驚いたけどな」  半年もの間彰人は那生と付き合っていた。あんなにも美しい容姿をした男と彰人は恋人同士だったんだ。でも彰人なら那生と恋人という間柄でも全く違和感は無い、彰人だって普通の人間よりも超越した見た目をしているため那生と並んでも見劣りせず、むしろお似合いに見えてしまう。自分なんかよりも那生の方が彰人には相応しいのではないか。 「やっぱり彰人のことが気になるんだな」 「は?」 「だってそうだろ?那生が彰人にキスしたところを見て二人の関係が気になった、本当は那生と彰人のキスだって内心面白くなかったんじゃないのか」  難波に図星をつかれ、悠哉は言葉に詰まってしまう。なんでこの男はこんなにも鋭いんだ。 「確かにあんたの言う通り俺は那生に嫉妬してる。彰人と那生のキスだってすげぇショックだったし、でもあの二人が並んでる姿を見てお似合いだと思ったんだ。あんただってそう思わないか?」  悠哉は訴えるように難波の瞳を見つめた。友人という立場で彰人の近くにいた難波だって俺なんかよりも那生の方が彰人の恋人として相応しい、そう思っているはずだ。  一瞬ぎょっとしたような態度を見せた難波は「今日のお前は随分と素直だな」と物珍しそうな瞳で悠哉を見ている。 「彰人のことが好きだって素直に認めるんだな」 「はぁ?別に好きだとは言ってないだろ?ただ那生に嫉妬したって言っただけで」  難波の物言いに納得ができなったため悠哉は反論した。 「それだけ嫉妬してんならもう好きだって認めたも同然だろ、彰人のことが好きだからうだうだ悩むはめになってる、違うか?」  よりにもよって難波に自分自身の気持ちを的確に当てられてしまいなんだか悠哉は嫌な気分になる。 「うるせー…っ、それよりも俺の質問に答えろよ」 「ああ、お前よりも那生の方が彰人とお似合いだって話か?そんなことはどうでもいいだろ」  悠哉の質問に答えることなく、難波は素っ気なくそう言いきった。 「そんなことよりお前は彰人のことを全く分かってないな」と呆れた様子の難波は悠哉に対して憐れむような視線を送っている。 「彰人のこと分かってないってどういうことだよ」 「そのままの意味だよ。例え那生の方が彰人とお似合いだろうが彰人が本当に好きなのは悠哉なんだからそんなこと気にしても無駄だろ。それにあいつは誰と付き合っても結局は頭の片隅に悠哉の存在があった、だから誰とも長続きしなかったんだ」  彰人の友人という立場の難波が言うと、かなりの説得力を感じた。確かに難波の言う通り、彰人は深い愛情で自分の事を一途に愛してくれている、それは事実なのだろうと悠哉は理解していた。しかしなぜ自分のような何も持っていない男のことを彰人がここまで愛してくれているのか、悠哉には未だに理解できなかった。だから悠哉は自分が彰人の恋人になることに対して納得ができないのだろう。自分なんかよりも那生や他にも彰人に相応しい人間がいるのではないかと思ってしまうのだ。 「しかしあれだな、お前は意外と女々しいやつなんだな」 「はぁ?なんだよそれ」  女々しいと言われ、悠哉は聞き捨てならないと言うように難波を睨みあげた。女々しいなど今まで自分自身で思ったこともなければ人に言われたことだってなかったというのに、よりによって難波に指摘されたことに悠哉は屈辱的だった。 「俺が彰人から聞いていた涼井悠哉という人間は、周りの目なんか気にせずに自分を強く持って真っ直ぐ生きてるような男だったんだけどな、見た目にコンプレックスを抱いてた彰人も悠哉の言葉に救われてたって言ってたもんだから、彰人は那生と付き合った方がお似合いだ、とか女々しいことは考えないと思ってたけど俺の勘違いだったみたいだ」  難波の口調はまるで悠哉を煽っているかのようだった。彰人と那生の方がお似合いだと言った悠哉の考えが女々しいと難波は言いたいのだろう。  そこで悠哉は初めて気がついた。那生の存在に圧倒された悠哉は自分なんか彰人に相応しくないと、無意識に自分と那生を比べていたのだ。今まで他人と自分を比べる事などなかったのに、今の悠哉は自分と那生を比較してしまっている。  悠哉はチッと舌打ちをつき、ドンッと自分の右手を机に叩きつけた。 「俺だってこんなこと初めてなんだよ…っ、今まで他人と自分を比較するなんて時間の無駄だと思ってたし、こんな卑屈な感情になることだってなかったんだ。なのに那生の存在が俺には大きすぎてそう思わずにはいられない…嫌でも彰人は俺みたいな人間とは住む世界が違うんじゃないかって思っちゃうんだ…っ」  悠哉が消え入りそうな声でそう言うと、教室内には沈黙が流れた。すると、ブーブーっとスマホのバイブ音が悠哉の耳に入る。悠哉がスマホを確認すると、木原から着いたというLINEが来ていた。悠哉は「もう行く」とだけ言い残し、荷物をまとめ立ち上がった。 「彰人と一緒に帰らないんだ」 「これから用事があるんだ」 「ふーん、ちなみに彰人はクラスのやつに捕まって文化祭の準備を手伝わされてるぞ。当の本人は悠哉に会いたくて仕方ないみたいだけどな」  難波も立ち上がり、悠哉の後に続いて教室を出ると「まぁ、あれだ」と口を開いた。 「俺はお前のこと応援してるつもりだから、彰人の気持ち無下にするなよ」  それだけ言い残すと難波は手をヒラヒラとさせ反対方向へ歩いていってしまった。  思いもよらぬ難波との接触に、悠哉の彰人への気持ちは尚更ぐちゃぐちゃと複雑なものになっていく。難波にも色々と余計なことを吐いてしまった、と悠哉は今になって後悔した。女々しい、確かに今の自分の考えは女々しいのかもしれない、彰人のことを考えると何故こんなにも面倒くさくなってしまうのか、悠哉は自分でも分からなかった。
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