8.那生

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 少し歩くとひとつの公園が目に入る。既に五時を回っておりすっかりと日も短くなってしまった為、薄暗い夕焼けの公園には遊んでいる子供は一人もいなかった。  悠哉は丁度いいと思い、公園にあったベンチに腰をかける。やっと座ることが出来たため足への負担が一気に解消され「ふぅ」と一息ついた。  先程の出来事を振り返ると本当に現実だったのか疑いたくなるほど悠哉にとっては非日常すぎた。華やかなステージの上を可憐に歩くモデルたち、そしてあの中で一際観客たちの目を引いていた男、白雪那生の姿が頭から離れない。悠哉の姿を捉えては離さなかったあの赤い瞳、あの大勢の観客の中から悠哉の存在を見つけることは果たして可能なのか疑わしいが、確かに那生は悠哉の事を見つめていた。  結論として、やはり那生という男は只者では無かった。ステージ上に立っている那生はプロのモデルとして自分の仕事を全うし、人々を楽しませていた。まだ自分と二つしか変わらないというのに、ずっと大人に見えた那生の姿と自分を比べる。自分なんかよりも那生は立派な人間なのだと嫌でも実感してしまう。気がついたら悠哉はまた自分と那生のことを比較してしまっていた。やはり彰人の元恋人だからか、那生のことを意識せざるを得ない。  手持ち無沙汰になってしまった悠哉はスマホの画面を開くと、彰人からLINEが来ていたことに気がつく。 「来週は一緒に帰ろう」というメッセージが目に入り、なんだか目の前がぼやけてきた。何故こんなにも自分に自信が無いのだろうか、自分と他人を比べたことなど今まで無かったのになんで那生と自分を比べてしまうのだろう。彰人は自分の事をこんなにも愛してくれているのに、それに応えることが出来ない自分が悔しくて悠哉の瞳からは涙がこぼれた。彰人のことが好きなはずのに…何故俺は悩んでいるのだろう…なんでこんなに胸が痛いんだ…。 「いたっ!!」  一際大きな声が静かな公園に響き渡る。悠哉はその声に反射的に顔を上げた。 「やっと見つけたぞっ…って、なんで泣いてんだよ!?」  そこには息を切らした那生が立っていた。なぜ那生がこんなところにいるんだ…?まるで状況が理解できない悠哉は目を見開き那生の姿を見つめていた。 「ステージ上でお前のこと見つけてお前が来てるって分かったから探してたんだよ」  「そしたらなんか泣いてるし」と那生は身体を横に曲げ、悠哉の顔を覗き込んできた。  那生に泣いている姿を見られ、悠哉は咄嗟に涙を拭った。こんなところを見られるなんて最悪だと思いながら立ち上がりこの場を去ろうとした。しかし、その時だった。 「ちょっと待てよ!」 「…っ、何…?」  突然那生に腕を掴まれた。強い力で腕を掴まれ、こいつも馬鹿力かよ…、と悠哉は内心舌打ちをする。 「お前、本気で彰人のことが好きなのか?」  真剣な眼差しで悠哉の姿を見つめる那生に、悠哉は顔を逸らして黙り込んだ。  言葉が出てこない、彰人のことが好きなのかと聞かれて素直に好きだと答えることが今の悠哉には難しかった。 「なんで答えられねぇの?」  那生は不思議そうな顔をして尋ねてくる。しばらくの間沈黙が続いた。しかし、何も答えない悠哉に痺れを切らした那生は悠哉の腕を離し「はァァァー」と大きなため息をついた。 「彰人がそんなに惚れ込んでる男だから相当凄いやつなんだと思ってたけど全然そんなことないのな。俺の質問には何も答えてくんねぇし」  イラついた様子で「なんでこんなガキ好きになるんだよ」と那生は足元にあった石を力強く蹴った。 「あんたの言う通りだよ、ほんとなんで彰人は俺なんかを好きになったんだろう」  悠哉は静かにつぶやく。 「ステージを見て思った、俺なんかよりもあんたの方が彰人には相応しいよ。あんたはすごく輝いてたし何よりプロとしてたくさんの人を楽しませてた、俺には持ってないものをあんたは持ってる」  悠哉の言葉に那生の眉毛がピクリと動いた。 「それって俺がモデルだから言ってるのか?俺がモデルで彰人もモデルだから一般人の自分は彰人に相応しくないってそう思ってるってことか?」  那生の発言に悠哉は大きな違和感を抱く。自分の聞き間違いなのではないかと思ってしまい「彰人がモデル?」と聞き返した。 「え?なにお前、彰人がモデルにスカウトされたこと知らねぇの?」 「は?そんな話聞いてない」 「高校卒業したらうちの事務所に来ないかって俺の所属してる事務所からスカウトされたんだ。当の彰人はかなり悩んでるみたいでまだ答えは出せてないみたいだけど。って、お前ほんとに彰人から何も聞いてねぇの?」  悠哉は自分の耳を疑った。彰人の口からモデルの話など一度だって聞いたことなどない。 「そんな大事なことも教えられてないなんて、お前彰人のことなにも知らないんだな」  那生の言葉が鋭く胸に突き刺さる。確かに悠哉は彰人について何も知らなかった。彰人の好きな食べ物、得意な教科、将来の夢、今回のことだってそうだ。何一つだって教えられていない、いや…自分が知ろうとしなかったのだ。 「まぁ、俺には同業者だから教えてくれたのかもしれないけど。だけど彰人のこと何も知らないようなお前が彰人の恋人として相応しいとは確かに思わないな、それにお前は自分に全然自信がなくて彰人のことを好きだと言うことすら出来ない、そんな奴が彰人と恋人になることに俺は納得いかない」  鋭い瞳で悠哉を睨みあげた那生は「俺は彰人のことが好きだ。しかも彰人を幸せにできる自信がある」と力強く言い放った。  那生は彰人に対して強い気持ちを持っていた。彰人のことを想うその気持ちは本物で、那生には強い愛あることがその瞳から理解出来る。途端に自分がとても惨めに見えてきた。那生という存在の前に自分が存在していることが恥ずかしくなり、消えてしまいたいという衝動に悠哉は駆られる。自分が那生に対して何も言い返せないことが悔しくて唇を強く噛んだ。  すると那生は「もういい」と言って悠哉をひと睨みするとくるりと背を向け公園を出ていった。その際に「あ”ーーーっ!!むかつく…!!」と一人声を荒らげている那生の声が耳に入った。  一人取り残された悠哉は那生が去っていった後を見つめる。那生という人間と一対一で話してみて、那生がどのような男なのか何となくだが分かったような気がした。自信に満ち溢れていた那生は悠哉とは真逆の存在で、まるで怖いものなどないかのような佇まいにこちらが圧倒される程だった。自分勝手で強い言葉遣いが鼻に触るが、彰人への気持ちが本物である事があの真っ直ぐな瞳から容易に感じとれた。自分なんかよりもよっぽどできた人間ではないか。  すると「全く那生は容赦ないね」と聞き覚えのある声が聞こえたと思ったら、黒髪の男が公園に入ってきた。 「あんたは…」 「やぁ、涼井悠哉くん」  男は悠哉の前で立ち止まるとニッコリと微笑んだ。この男、以前那生と共に学校へ訪ねてきたあの男だ。 「なんであんたがいるんですか…?」 「ショーが終わった途端那生の姿が消えたから探していたんだよ。そしたら君と二人で何やら話し込んでたみたいで出てくるタイミングを逃してしまった、盗み聞きするつもりはなかったんだけどね」  男は笑顔を崩すことなく淡々と言葉を紡いでいく。しかし、そんな男の姿が妙に不気味に見えてしまい、悠哉は一歩後ずさった。 「知ってると思いますけど那生だったらもういませんよ、戻ったんじゃないですか?」 「うん、そうだね」  そう言っても男は動こうとしなかった。那生を探していたのではないのか…?何故男がこの場から離れないのか理由が分からずに、ますます男に対する不審な気持ちが高まっていく。  すると、突然男の手が悠哉の頬を撫で上げた。ビクッと背筋が凍るような感覚に、悠哉は堪らず男の手を払い除ける。 「なにすんだ…っ」 「そんなに警戒しないでほしいな、猫みたいで可愛いけど」  男の笑顔が気持ち悪い、その笑顔の裏で何を考えているのか全く想像が出来ず男の意図が読み取れない。 「ねぇ、俺と付き合わない?」 「は?」  突然の男の発言に理解が及ばず、驚きとともに動揺を覚えた悠哉はこれ以上言葉が出てこなかった。そんな悠哉とは対象的に男は余裕のある笑みを崩すことなく、悠哉の方へまた一歩近づいた。 「初めて君に会った時に好きだって感情が芽生えたんだ、一目惚れってやつだね」 「ちょっと待ってくれ、あんたは何を言っているんだ?」 「何って、そんなに複雑に考えなくてもいいんだよ?俺は悠哉くん君のことが好きだから付き合いたいっていう話」  俺に一目惚れした?この男がか?男の言っていることを信用出来ない悠哉は眉を寄せ訝しげに男の姿を見る。 「その様子だと俺の告白を信用してないね?」 「当たり前だろ?あんたと俺は一度しか会ったことがないんだし」  「だから一目惚れだと言っただろう?」と男は自分の発言を否定するつもりはさらさらないようだ。 「それに俺はあんたの名前すら知らない」 「ああ、そういえばそうだね。俺の名前は御影、歳は二十五で那生のマネージャーをやっている」  男は御影と名乗り「親交の意味を込めてまずは握手でも」と手を差し出してきた。そんな男、御影の言葉を無視して悠哉は「悪いけど俺はあんたの気持ちには応えられない」と素っ気なく返す。  男の名前や歳を聞いたところで悠哉の答えは変わらなかった。よく知りもしない男の告白になど応じるはずも無い。 「もしかして神童彰人のことが好きなの?」  御影の言葉にドキリと心臓が跳ね上がる。何も言えない悠哉に対して「そんなわけないか」と御影は目を細めて嫌な笑みを浮かべた。 「だってさっきの那生との会話、君は神童のことが好きなのかと聞かれて何も答えられなかった、つまり神童のこと別に好きじゃないんだよね?」 「…っ、彰人のことは関係ないだろ、とにかく俺はあんたとは付き合えない」  彰人の話を出されては分が悪かった、変に同様してしまい上手く言葉を返せない。  しかし、御影は悠哉の動揺を瞬時に感じ取りニヤリと口を開いた。 「神童の名前を出した途端なんだか顔色が変わったね?やっぱり好きなんじゃないか?」 「しつこいな…っ!俺が彰人のこと好きだろうとなかろうとあんたには関係ないだろ?!」  彰人のことをあれこれ聞かれ頭にきた悠哉は御影を睨みつける。御影のこちらを煽るような話口調に悠哉のイラつきはさらに上がっていった。 「関係なくないよ、それに俺と付き合うことで君にもメリットが生まれる」 「は?どういうことだ…?」 「君は自分と神童は釣り合わない、そう思っているんだろう?確かに俺もそう思うよ。彼はこれからモデルとして芸能界に生きる人間になる、そんな彼と一般人の君とじゃ住む世界が変わってくるからね」  自分の中のネガティブな感情を生んだ原因を鋭く指摘されてしまい言葉に詰まる。那生という存在が現れてからずっと自分自身が感じていた気がかり、俺みたいな人間は彰人とはつり合わない。 「だったら俺が神童の代わりになってあげる、君も新たな恋人が出来て神童のことを忘れられるし俺も君と付き合える、なかなかいい取り引きじゃないかい?」 「彰人のかわりに…」  ざわりと自分の胸が嫌にざわめく。この人と付き合えば彰人のことを忘れこんなにも辛い思いをしなくてすむのではないか、そんな考えが悠哉の脳裏に過った。  しかし、そんな馬鹿げた考えをしてしまったことにハッとし「ふざけるなっ…!」と御影に向けて怒鳴りつける。 「あんたみたいな奴を代わりに恋人にしようとするほど俺は落ちぶれちゃいない、そんな事しなくたって俺は…」 「ただの強がりだね、だったらつり合わない君は一人でどうするの?神童のこと忘れられるのかい?」  冷ややかな御影の声がまるで氷の矢のように悠哉の胸に突き刺さる。彰人のことを忘れる…?そんなの無理に決まってる。あの頃だって出来なかったのに、今更になって彰人のことを忘れるなんて出来るはずがない。 「それとも神童と付き合うのかい?つり合わない君が?」  御影の言葉を受け、悠哉は頭を押しつぶされているような感覚に目をくらます。自分がどうしたらいいのかまるで分からない、この男の言っていることが正しいのではないかと思ってしまう。 「そんな顔しないでよ、君を追い詰めようとしてるわけじゃないんだから。俺は君を救いたいんだ」  御影は悠哉の顎に触れると、グイッと上に向かせた。御影の瞳と目が合う、真っ黒で吸い込まれてしまいそうなその瞳はまるでブラックホールのように渦を巻いているように見えた。 「いい加減にしろ、俺は救いなんて求めてない」  喉の奥から絞り出た言葉はどうしようもなく弱く力が入っておらず、言葉として発することが出来たのか分からない。それでもこの男に抵抗すべく「ここから消えてくれ」と悠哉は御影の腕を払い除けた。 「ふっ、君は強いね」  御影は悠哉の姿を見て目を細めると「いい答え待ってるよ」と軽い足取りで去っていった。  御影の後ろ姿を目で追っていた悠哉は御影の姿が見えなくなると、一気に身体の力が抜けガクッと膝から崩れ落ちた。「はぁ…はぁ…」と嫌な汗が全身に伝い動悸も激しい。  御影の誘いに少しでも同意しそうになった自分がどうしようもなく惨めで自己嫌悪に吐き気を催す。自分自身の彰人への気持ちを御影を介して無くしてしまおうと、そう考えてしまったのだ。自分が傷つきたくないからといってまた俺は逃げようとした、いつまでたっても俺は弱い人間なんだ。苦しい、苦しい、苦しい、とにかく胸が苦しい。  悠哉は立ち上がることすら出来ず、すっかりと日が落ち暗くなった公園の中で自分の胸を押さえ、内側からズキズキと突き刺さってくる苦しみにただ耐えていた。
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