10.恋人

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 彰人の提案を受け入れてしまった悠哉は、結局二人で文化祭を抜け出し悠哉の家へと移動する事となった。 「お前の家に入るのはこれで三度目か」 「その内の一回は不法侵入だけどな」  彰人は靴を脱ぎながら「語弊があるぞ、あれは陽翔に鍵を借りただけで不法侵入でない」と否定した。未だにあの時の行動を悪いと思っていないようだ。  俺としては考えられない事なんだけどな、と白い目で彰人を見ながら「先に俺の部屋に行っててくれ、お茶入れてくる」と言い悠哉はリビングへと向かった。  冷蔵庫から適当にお茶を取り出した悠哉はコップを二つ用意してお茶を注ぎながら、今日起きたことについて考えていた。  自分は彰人と恋人同士という間柄になったのだ。その事実に頬が赤く熱を帯びていくのが分かった。 「恋人同士…か…」  この言葉を口にするだけで胸の内側がじんわりとした熱で覆われていく。これが幸せなのだろうか、自分が愛している男に愛されている、今までに感じたことの無い幸福感に悠哉は口元を押えた。  彰人にお茶を差し出した悠哉はベッドの上へと腰掛けた。 「お茶、ありがとう」 「ん、お前もこっち座れば?床だと冷たいだろ」  悠哉はお茶を一口含みコップをテーブルの上に置くと、ベッドの上をとんとんと叩いた。 「…いいのか?」 「…?別にいいけど?」  何故彰人が躊躇っているのか分からなかった悠哉は不思議そうに彰人の顔を見た。そして少しの沈黙の後「分かった、じゃあ遠慮なく」と彰人は悠哉の隣へ腰掛けた。 「そういえば文化祭、結局お前のクラスには行けなかったな」  彰人は話題を切り出すかのような口調でそう口にした。彰人の言葉に「あ!そういえば!」と悠哉はハッとしたような声で彰人の方を勢いよく向く。 「お前の執事姿見れなかった…」 「…なんだ見たかったのか…?」 「そりゃあ見たかったに決まってる、お前みたいな男前が執事なんて格好してたらものすごく似合ってたんだろうな」  結局一度も彰人の執事姿を拝めなかったことに対して、悠哉は後悔の念を述べた。 「でも俺は執事なんて柄じゃないし、正直小っ恥ずかしかったからお前に見られなくて良かったと思ってる」  恥ずかしそうにして頬をかいている彰人に「那生はお前の執事服見たの?」と問いかけた。 「いや、文化祭で那生と会ったのは悠哉を助けたあの時が初めてだったし見られてはいないと思う、どうしてそんなことを聞くんだ?」  不思議そうな表情を浮かべている彰人をチラッと横目で盗み見た悠哉は「だってなんか悔しいから」と口を開いた。 「悔しい?何がだ?」 「俺が見てない彰人の姿を那生が見てたらなんか悔しいだろ」  口にしてから恥ずかしくなってしまった悠哉は思わず俯いてしまう。那生が彰人の元恋人であるせいか変に嫉妬してしまう自分がいるのだ。 「嫉妬か…?」 「そうだよ…!前も言ったけど那生がお前の恋人だったと思うとやっぱり嫉妬する…」 「悠哉…やばい、嬉しすぎるな…」  口元を押えた彰人はなにかに耐えているようだった。そんな彰人の姿を見たらますます恥ずかしくなってしまい言わなければ良かったと今になって後悔する。 「まさか俺のためにお前が嫉妬してくれる日が来るとはな」 「大袈裟だな」  本当に嬉しそうにしている彰人が可愛らしくて、これからはもう少し素直になろうと悠哉は心の中で思った。 「でも那生のことは嫌いじゃないんだ、那生に対して嫉妬はするけど嫌いにはなれないというかさ、むしろなんであんないい男をお前は振ったんだ?」  那生が教えてくれなかった二人が何故別れたのか、その原因がどうしても気になってしまったため悠哉は彰人に問いただした。 「別に対した理由はない、他の奴と同じように那生とも本気ではなかったしその時の気まぐれだ」  彰人の言葉に引っかかった悠哉は「でも那生とは半年も付き合ってたんだろ?」とすぐさま横槍を入れた。 「…っ、誰から聞いたんだ?」 「難波から、彰人は長続きするタイプじゃないのに那生とは半年も続いてたって驚いてた」  難波の名前を聞いた彰人は「慶のやつ…」とここには居ない難波への殺意をメラメラと漂わさせていた。 「本当は那生のこと好きだったんじゃないのか?」  彰人は青い瞳を大きく見開くと黙り込んでしまった。一向に口を開かない彰人に「別に俺に気を遣わなくてもいいよ、俺が知りたくて聞いてることなんだしさ。だから本当のことを教えてくれ」と真剣な眼差しを向ける。 「いや、結局は那生と付き合っていた時だって悠哉のことが忘れられていなかった。だから本気で那生のことを愛せてはいなかったよ」  彰人は顔を上げ、優しい笑みを悠哉に向けた。 「だけど、那生は他の奴とは違った。最初は一度や二度の関係で断つつもりだったのに、いつの間にか俺は那生という男に惹かれていたんだ」  やはりそうだったのか、と悠哉は目を細めた。彰人にとって那生は特別な存在だったのでは無いだろうか、そんな気がしていたのだ。 「だけど俺は結局那生と悠哉を重ねていたんだ、あいつは真っ直ぐで俺にとっては眩しい存在で、お前と似ていると感じたよ。でもいつの間にかそんな自分が虚しくなってしまって、いつまでも過去に縋りついて目の前の男のことも愛することが出来ない自分が嫌になったんだ、だから俺から別れを告げた」  彰人から本当の理由を聞けた悠哉は「そうだったんだな」と意味もなくベッドへ寝転んだ。 「俺の事を酷い男だと幻滅したか?」 「何言ってるんだよ、お前が遊び人だったことは知ってるんだし今更幻滅なんかしねぇよ。ただ那生に同情はした」 「同情?」 「ああ、俺のせいで那生は彰人と別れてしまったんだって」  すると「違う、お前は何も悪くない」とすぐさま彰人は否定し、悠哉の頭を優しく撫でた。 「だけどお前と那生が別れてくれて良かったと思ってるんだ、だってそうじゃなきゃ俺は彰人と付き合えてないんだし、那生には同情はするけど彰人のことは渡さないって思ってる。俺って性格悪いか?」  悠哉は彰人の手を掴み、起き上がると骨ばった大きな手を撫でた。  いつの間に自分は彰人のことをこんなにも好きになっていたのだろうか。那生と付き合っていた時でさえ自分の事を想ってくれていた彰人に、那生への同情ようも嬉しさが上回ってしまう。 「驚きだな、お前がそんな風に思ってくれていたなんて知らなかった」 「だけど那生には本当のこと言った方がいいぞ?彰人が自分と付き合ってた理由をあいつは自分の顔が良すぎるからだと勘違いしてる」  呆れたようにそう言うと「ふっ、なんだよそれ、あいつは本当に自己評価が高すぎる」と彰人は肩を揺らして笑った。 「ほんとにな、だけどそこが那生の魅力なんだろうな」 「なんだ?妙に那生のことを評価するじゃないか」 「そうか?まぁ最初の頃よりはかなり印象は良くなったけど…逆に最初が悪すぎて上がるしかないというか、だって初めて会った時なんて俺を見下してきたし、彰人のこと何も知らないんだなって煽ってきたり…」  そこまで口にすると、悠哉はハッと目を見開き「彰人っ!」と声を上げた。 「なんだっ?急に大声出して?」 「そういえばお前なんでモデルにスカウトされたって言ってくれなかったんだよ!」  最近色々とあり過ぎてこんなにも重要なことを悠哉は忘れてしまっていた。  彰人は「那生から聞いたのか…」と部が悪そうな表情を浮かべる。 「ああそうだ、那生の事務所からスカウトされたんだってな?なんでそんな重要なこと教えてくれなかったんだよ」  「那生には教えたのに…」と悠哉は不機嫌な態度を露骨に出す。 「まだ自分の中で答えは出せていなかったからまだ言うべきではないと思っただけだ。それに那生に教えたというのは少し語弊がある。以前事務所へと足を運んだ時に偶然那生に会ってスカウトの件について聞かれたから答えただけだ、どうせ那生は元から知ってたんだろ」  彰人の答えを聞いても納得ができなかった。まだ答えが出せていなかったのなら尚更自分に相談して欲しかったというわがままが悠哉の中に芽ばえる。 「前にお前は彰人のこと何も知らないんだなって那生に言われたんだ。本当にその通りで何も返せなかった、俺はお前のこと何も知らないんだ」  「だから…」と悠哉は身を乗り出し、彰人の左手を両手でギュッと握る。 「お前のこと教えてくれ、些細なことでいいから俺はお前のことが知りたい」  これは純粋な願いだった。今まで知ろうとしなかった分、これからは彰人のことを知っていきたい、俺だけが知っている彰人の事を。  するといきなり彰人に手を引かれ、力強く抱きしめられた。すっぽりと彰人の胸の中に納まった悠哉は、状況が上手く掴めず「彰人…?」と尋ねる。 「お前が知りたいならなんだって教えてやるさ、だからあまり俺を煽らないでくれ」  ゆっくりと身体が離され彰人の顔を見ると、そこには耳まで赤くしている彰人が目に入る。途端に自分まで恥ずかしくなってしまい頬が紅潮していく、鼓動までもがドクンドクンと激しく音を立て始めた。  まだこういった雰囲気には不慣れだったためについ視線を彰人から外してしまう。しかし、彰人はそれを許すまいと言うように悠哉の頬を両手で掴み上へとあげた。  悠哉が口を開く前に彰人からのキスが降りてくる。拒むことなど出来ずにぎゅっと目を瞑り甘い快感に悠哉は身を委ねた。彰人の指が悠哉の背中をゆっくりと撫で上げ「んっ…」と甘い吐息が口から漏れ出る。  長いキスに息が持たなくなった悠哉を見かねて彰人は一度唇を離すと「悠哉、鼻で息をするんだ」と優しく言葉をかけた。  休む暇もなく再度唇を塞がれる。先程よりも深く激しいものへと変わったキスは耐えるだけで精一杯だった。彰人に言われた通り鼻で息をしてもキスの激しさで頭がクラクラする。それでも彰人とのキスが気持ちよくて、彰人の背中に腕を回ししがみつくようにキスに応えた。  夢中でキスをしていると、二人はもつれるようにベッドへ倒れ込んだ。それでもキスが終わることはなく、限界が来た悠哉は彰人の胸を軽く叩いた。 「ん…っ、はぁ…彰人…っ、もう…無理だって…」  やっと解放された唇からは唾液が垂れてしまっており、悠哉の瞳もとろんと溶けてしまっている。呼吸も整っていないため彰人の下で悠哉は胸を上下に揺らした。  そんな悠哉の姿に彰人は一瞬瞳を獣のようにギラつかせたが、すぐに悠哉の上から退き「すまない」と謝った。 「やりすぎた、驚かせたな」  キスの余韻に浸りつつもゆっくりと身体を起こした悠哉は、胸の内側が熱く疼いていることに気がついた。彰人になら何をされてもいいという感情がふつふつと自分の中で湧き上がってくる。  悠哉は堪らなくなり、背中を向けている彰人の首に腕を回し抱きついた。 「悠哉…っ?」 「なぁ彰人、俺の事を抱いてくれないか?」 「何を言ってるんだ悠哉?!」  彰人は悠哉の腕を解くとすぐにこちらに向き直り、悠哉の肩を掴んだ。 「…嫌か…?」 「嫌なわけないだろ!いや、そういう問題じゃない、お前にとって初めてのことなんだから急がなくていいんだ悠哉。それにお前はそういう行為に対してトラウマがあるんだから、もっと自分を大切にしてくれ、俺はお前を傷つけたくない」  彰人の優しさがじーんと染み渡る。彰人に大切にされている、その事実が嬉しくて、愛おしくて、悠哉は彰人の頬を掴みキスをした。 「…っ、悠哉…っ?」 「俺はお前としたいんだ、彰人なら絶対に俺の事を傷つけない、だって心から俺の事を愛してくれているから。確かに俺は父さんとの事があってから性行為に対して嫌悪感があったけど…お前とならしたいと思えたんだ、俺は彰人とひとつになりたい、愛し合いたい」  一秒たりとも彰人の瞳から目をそらすことなく自分の気持ちを伝えると、最初は驚いた表情で固まっていた彰人も困ったように眉を下げ「全く俺の恋人は本当に男前だな」と微笑んだ。
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