番外編3:放課後

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番外編3:放課後

 彰人は放課後、誰もいない廊下を急いで歩いていた。ポケットからスマホを取りだし時刻を確認すると、既に十八時を回っている。時間が経ちすぎている、彰人はさらに足を進めるスピードを早め、一年生の教室へと向かった。  彰人が急いでいる理由、それは恋人である悠哉を待たせているからだった。放課後進路について話したいことがあると担任から呼び出された彰人は、悠哉に先に帰ってくれと伝えた。けれど悠哉は教室で待っていると聞かなかった、待たせることに申し訳ないと思いつつも頑固な悠哉が何を言っても聞かないことは分かっていた彰人は、なるべく早く終わらせると言い渋々承諾した。それに話と言ってもそこまで長くならないだろうと彰人は予想していたのだ。  しかし彰人の考えは甘かった。三十分程度で終わるだろうと予想していた彰人の考えは大きく外れ、実際は一時間以上も拘束されていた。彰人自身も何故ここまで長引いたのか分からない、だが彰人が何度切り上げようとしても担任の話は止まらずに永遠と終わりが見えなかった。これも彰人がモデルという物珍しい職業を進路としているからなのだろう、彰人を心配しての行動なのだろうが、彰人にとってはありがた迷惑にしかならずに気疲れさえも感じてしまった。  二時間近くも悠哉を待たせてしまった、数時間待たされただけで自身の恋人を嫌うような人間では決してない、彰人だって悠哉がそこまで心が狭い男だとは思っていないが、悠哉に嫌われたら人生が終わると思っている彰人にとっては万が一の可能性も油断出来なかった。焦る気持ちを抱えながら、彰人は駆け足で階段を下りた。    一年二組、目的の教室へと辿り着いた彰人は扉を開け中に入った。すると、机に突っ伏している自身の恋人の姿が目に入る。彰人は悠哉に近づくと、その黒い髪をひと撫でした。  悠哉は静かな寝息を立て眠っていた。これだけ待たされていたのだから眠っていてもなんら不思議ではなかった。  眠っている恋人の姿に思わず彰人は目を細め、愛おしさに胸が潰されそうな気分になった。普段はあまり気にならないが、瞳を閉じていると長いまつ毛がより強調されているように感じる。悠哉は決して女顔というわけではない、誰が見ても男にしか見えないだろう。しかしタレ気味の瞳にふっくらとした唇、白い肌に細身な体型、他の男と比べても悠哉はとても魅力的な容姿をしていた。惚れた欲目というやつかもしれないが、彰人には悠哉以上に惹かれる人間は存在しないだろうと考えている。  普段は仏頂面をしがちな悠哉も、寝ている今は穏やかな表情で寝息を立てている。悠哉の寝顔を見るのはこれが初めてというわけではない。何度か同じベッド夜を過ごしている彰人は悠哉よりも先に起き、悠哉の寝顔を拝むことが密かな楽しみだったりした。あどけない悠哉の寝顔は実年齢よりも幼く見え、普段は大人っぽい悠哉の数少ない子供らしい姿を見れる時間だった。  彰人の指は自然と悠哉の唇へと触れた。ふにっと柔らかい感触が指に伝わり、彰人の鼓動はさらに大きく高鳴った。ふにふにと指で触っていると、今すぐにでもキスしたいという衝動に駆られる。  彰人は身体をかがめ、顔を傾けると悠哉の柔らかい頬にキスをした。頬に触れるだけのキス一つをしただけで、先程の疲れが吹っ飛んだかのような幸福感を得ることが出来た。  満足気に顔を緩めた彰人は、悠哉を起こそうと肩に触れようとしたその時だった。がばりと悠哉が起き上がり、彰人の胸ぐらを掴むとそのまま唇へキスをした。 「どうせするなら口にしろよな」  彰人の胸ぐらを離した悠哉はグッと腕を上げ伸びている。そんな悠哉の姿に頭が追いついていない彰人は「お前…起きていたのか…?」と問いかけた。 「別に最初から寝てないし」 「…そうか」 「そんなことより彰人、寝込みを襲うのかと思ったのにほっぺにちゅーだけで済ますなんて可愛いやつだな」  彰人の事を揶揄うような口調で悠哉はニヤリと口角を上げた。彰人は「狸寝入りなんて酷いぞ」と分が悪いとでも言うような表情で悠哉を見た。 「お前が勝手に寝てるって勘違いしたんだろ」  悠哉はスマホを手に取り「もう六時なんだ」と時計を確認して呟いた。 「悪いな、何時間も待たせて」 「別にいいよ、俺が待つって言ったんだし」  すると、悠哉のスマホからピコンという音が鳴った。おそらく通知音であろう、悠哉がスマホを開くと「あっ、那生だ」と反射的に声を上げた。 「那生だとっ…?」  彰人は聞き間違いなのではないかと確認するために「今那生と言ったのか…?」と再度悠哉に聞き返した。 「そうだけど…?」 「お前、那生と連絡先を交換してたのか?」 「あ、ああ…お前に言ってなかった?」  悠哉はきょとんと可愛らしく瞳を丸めている。そんな悠哉の姿を可愛らしいと思った直後、今は見とれている場合ではないと頭を切り替え「那生と連絡先を交換していたなんて聞いてないぞ」と答えた。 「なんでそんなに怖い顔してんの、別に俺が那生と連絡先交換してようがお前には関係ないだろ」 「関係ある、大ありだ」  彰人は即答した。彰人の知らぬ間に悠哉と那生が連絡先の交換をしていた、この事実は彰人にとっては大問題だった。 「あいつは根っからのゲイなんだぞ?男が恋愛対象ということは必然的にお前もその枠には入るんだ」  那生は彰人の元恋人であり、彰人と同様にゲイだということは分かりきっていた。だからこそ万が一にでも那生が悠哉を狙っていたら、という不安が彰人の中には存在していた。  しかし悠哉は彰人の考えを全く理解出来ないという冷めた瞳で「何言ってるだよ、那生が俺の事を好きになんてなるはずないだろ」と断言した。 「そんなこと分からないだろう、それに那生はお前のことを少なとも気に入っていた。いつお前に対して恋愛感情を抱いてもおかしくない」 「お前は心配しすぎなんだよ、まったく…」  「でも…」と言葉を続けようとした彰人は、悠哉の呆れきった態度を見て咄嗟に言葉を飲み込んだ。これ以上悠哉の機嫌を損ねても厄介だ、そう考えた彰人はこれ以上那生について言及することを辞めた。 「分かった、那生のことはこれ以上言わない。だけどお前は那生に限らず人たらしの才能があるからこんなに心配してるんだ、俺が卒業したら会える機会だって減るんだって考えると…」  すると彰人が言い終わる前に悠哉は立ち上がり、彰人にギュッと抱きついた。 「悠哉…っ?!」  突然の悠哉の行動に状況がついていけていない彰人は、行き場のない両手を宙に浮かせることしか出来なかった。 「俺が他の奴とどうこうなるって思ってるのか…?お前にはそんな薄情な男に見えるのかよ…」  残念ながら彰人から悠哉の顔は見えなかったが、確実に不貞腐れているようだった。悠哉は彰人の言葉を受けて、自分が信用されていないのだと受け取ってしまったのだろう。彰人は「違うんだ」と悠哉の身体を優しく抱き締め返した。 「お前を信用してないわけじゃない、だけどお前がその気でなくとも相手はそうとは限らない。予期せぬ事が起きる可能性だって十分にあるんだ」 「予期せぬ事って…俺は男なんだからそうそう起きないよ」 「いや、実際に事例もあるだろ」  彰人が言っている事例とは数ヶ月前のあの出来事のことだった。以前彰人が身体の関係を持った女生徒の彼氏が彰人に恨みを持ち、仕返しと言わんばかりに彰人と親しかった悠哉を襲おうとしたのだ。あの時は手遅れになる前に彰人が助けることが出来たが、またあのような事が起きてしまったらと考えると彰人は気が気でなかった。  悠哉も彰人の言っている事がわかったようで、顔を上げた。 「あれは俺がどうこうっていうよりもお前と仲が良かったから巻き込まれただけ、そうだろ?」 「いや、まぁそうだが…」  悠哉の見つめる瞳が彰人には痛かった。確かに悠哉の言う通り、あの男の目的は彰人に仕返しをすることで悠哉自身ではなかった。しかしゲイでもないやつが男である悠哉を襲おうとした、ノンケが男を抱くなんて少しは抵抗を持つだろう。少なくともあの男は悠哉に魅力を感じていた、だから抱いてもいいと思えたのではないだろうか、と彰人は考えている。 「でも…まぁ…ここ最近はお前とずっと一緒だったからお前が卒業してあんまり会えなくなるっていうのはその…ちょっと調子狂うかも…」  悠哉は伏し目がちな瞳を逸らして小さな声でそう言った。肌は少し赤らんでおり、照れているのだろうとその見た目から感じ取れた。  彰人は悠哉の愛らしさに目眩がするようにぐらっと視界が歪んだ。分かりずらいが、彰人が卒業する事に寂しいと悠哉は言っているのだ。卒業して会う頻度が減ることに対して寂しいと感じているのは自分だけではない、悠哉も同様に同じ気持ちを抱いていることの嬉しさに顔が緩みきってしまっていた。 「なぁ悠哉、同棲しないか?」 「…は?」  彰人は悠哉の肩を掴み、同棲という単語を口にした。悠哉は突然のことに理解が追いついていない様子で、瞳を見開いている。 「同棲って…本気で言ってるのか…?」 「ああ、実は少し前から考えていたんだ。お前も俺も一人暮らしだろ?二人で暮らした方が何かと便利だろうし、それにお前と毎日一緒に居られる」  前々から考えていた悠哉との同棲、自分が卒業してしまったら確実に会う頻度が減ってしまうと想像していた彰人はいつか同棲のことを悠哉に相談しようと考えていた。  しかし同棲の提案を今ここでするつもりは無かった、悠哉の態度に思わず口から漏れ出てしまったのだ。そして言ってしまったからには引き返せなかった、悠哉にも前向きに考えてほしいと思っている彰人は、自分の正直な気持ちを伝えた。  悠哉は少し考え込むような素振りで俯くと「それって今すぐにでもってこと?」と問いかけた。 「俺としてはそうだな、今すぐにでもお前と共に暮らしたい、けれどお前の意見を一番に尊重したい」  彰人は悠哉の頬に右手を添え、悠哉の答えを待った。しばらくの沈黙の後、悠哉はゆっくりと口を開いた。 「お前が本気で同棲したいって考えてるなら、俺もちゃんと考えたい。だから少し時間をくれないか」 「ああ、もちろんだ」  彰人は悠哉の返答にほっと胸を撫で下ろした。同棲なんて無理だ、と断られることだって当然あっただろう。だからこそ悠哉の答えが否定的でなかったことに安心したのだ。 「だけど急に同棲しようだなんてびっくりした、よりにもよってなんで今なんだよ」 「いや、俺だって今言うつもりはなかったんだ。だけどお前が俺が卒業したら寂しいなんて嬉しすぎることを言ってくれるからついな」  彰人の言葉にカッと顔を赤くした悠哉は「寂しいとは言ってないだろ…っ」と声を上げた。 「俺にはそう聞こえたけど違ったか?」  彰人は鼻と鼻があたるぐらいの距離まで顔を近づけ、悠哉の瞳をじっと見つめた。悠哉は恥ずかしそうに目を泳がせしばらく無言でいたが、小さな声で「違くはないけど…」と呟いた。  彰人はそんな恋人の愛らしい姿に、今度こそ唇にキスを落とした。まだ同棲が決まった訳ではないが、悠哉と一緒に暮らしたら毎日でも愛おしい恋人にキスをすることが出来る、そんな幸せすぎる未来に今から心が踊るような気分だった。
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