1.再開

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 神童彰人、彼の名前を口にするだけであの時の後悔が悠哉を押し寄せる。悠哉にとって彰人は思い出したくない記憶の中の一部だった。  彰人は悠哉よりも二つ歳上で、悠哉と中学が同じだった。そんな二人の出会いは三年前、悠哉が中学一年生の時であった。  当時美化委員に入っていた悠哉は、二人一組となって週に一回当番制で花壇の水やりを任せられていた。ペアはその場で適当に決められ、悠哉の相手は三年生の男子生徒らしく、その時の委員会の集まりには来ていなかった。学校を休んだわけでもなく、どうやら集まりを放り出したようでそんな奴が真面目に当番に来るのか、と悠哉は些か不安に思ったのを覚えている。  案の定男は来なかった。だろうなとは思っていたものの、本当に来ないとなるとそれはそれで腹が立つ。委員長にその事を話し当番活動への催促を促したが、一ヶ月経っても一度だってその男が当番に来ることはなかった。  そんなある日、悠哉がいつもの様に一人で花壇の水やりをしていると、その横を中学生にしては大きな図体をした男が横切った。その風貌から一瞬教師なのだと思ったが、その男の顔を見た途端悠哉は「おい」と男を呼び止めた。 「なんだ?」 「お前、神童彰人だよな?なんで委員会の当番に来ないんだ」  神童彰人、クラスの女子が噂していたのを悠哉は耳にしたことがあり、その男の名前となんとなくの風貌は知っていた。そしてこうして間近にするのは初めてだったのだが、この男が神童彰人なのだと悠哉は男を目の前にして確信できた。彰人はくっきりとした目鼻立ちが特徴的な日本人にしては顔の堀が深く、端正な顔立ちをしていた。そしてなんといっても金に近い髪色、物珍しい青い瞳が悠哉の耳にしていた特徴と合致していたのだ。 「当番…」  少し考えるような仕草をして彰人は「ああ、そのことか」と特に悪びれる様子もなく悠哉の方へ距離を詰めた。 「確かに佐原から金曜に美化委員の当番に行けと言われたが、別に俺一人が来ないだけで特に支障はないだろ?だから行かなかった、これで納得したか?」  彰人は面倒くさそうにそう言った。そんな彰人の態度に悠哉の沸点はふつふつと見る見るうちに上がっていった。「は?それが理由か?」と問いかけると、もう話は済んだと言ったように「そうだ」と悠哉に背を向け彰人は歩き出した。  プチン、と自分の中で何かがキレた音がした。途端に悠哉は相手が上級生だということも関係なしに彰人の胸ぐらを力強く掴んだ。 「納得した?そんな理由で納得するわけないだろふざけんな。こっちが年下だからって舐めんな」  彰人はまるで珍しいものでも見たかのように目を見開き悠哉を見ていたが、すぐにキッと睨みあげる。そして悠哉の腕をガっと掴み上げ「お前こそ調子に乗るなよ?」と再度鋭い瞳で悠哉を睨んだ。 「は?別に調子になんて乗ってねぇよ。お前の方こそ調子にのってるんじゃねぇの?自分の任された仕事すらできないような奴がよ」 「お前いい加減にしろよ」 「なんだ殴るのか?そうやって理不尽に自分の腹が立つことがあったら相手を黙らせる、でかい図体してるくせにやってる事がだせぇーんだよ」  悠哉の言葉を受けた彰人は瞳をカッと見開いた。その姿に、今にも怒りの感情が露になっていることが見てわかった。すると、彰人が悠哉の顎をグイッと上に上げ力強く引き寄せる。ゆらゆらと揺れている青い瞳が目の前にあり、悠哉の喉は思わずゴクリと鳴った。 「その生意気な口を今すぐ閉じろ、今すぐお前を襲ったって俺は構わないんだぞ」  悠哉の言葉に彰人は本気で腹を立てているようで、先程よりも掴んでいる手には力が込められており悠哉の腕はじんじんと痛んだ。それでも腹が立っているのは同じだったため、悠哉は彰人の脅しに物怖じせずに負けじと睨みあげた。 「そんな脅し使っても無駄だぞ、俺はお前のことなんてちっとも怖くないんだからな。でかい見た目してれば誰でも怖がって言うこと聞くと思うなよ」 「俺が怖くない…?はっ、強がるなよ」 「強がってなんかない。とにかく離してくれないか?そして俺の言うことを聞いて当番に来い」  しばらくの沈黙が続く。物珍しい青い瞳がこちらをじっと見つめている。悠哉はここで目を逸らしたら負けだと思い、彰人の瞳から視線を外すことなく見つめ続けた。  すると彰人は悠哉の顎から手を離し、するするとその手で身体をなぞると悠哉のケツを揉んだ。その瞬間ゾクリと嫌な寒気が悠哉の全身を走り、悠哉は堪らずに彰人の頬を思いっきり手のひらで叩いていた。  「…っ、なにすんだお前…っ!」と彰人は叩かれた頬を痛そうに撫でた。かなりの力で叩いてしまったため、彰人の頬には立派な手のひらの跡が残ってしまっている。 「それはこっちのセリフだ…!この変態が…っ!」 「だからって叩くことないだろ?ただの嫌がらせを本気にするなよ」 「はぁ?!嫌がらせって…男相手に冗談じゃねぇ…っ!」  嫌がらせにしてもタチが悪すぎる、と悠哉は顔を顰めた。なぜ男に尻を揉まれなければならないんだ。  当の彰人は叩かれたことに納得がいっていないようで「普通上級生を叩くか…」と怒っているというより半ば呆れているような様子だった。 「お前みたいなやつとは初めて会った。俺を見てもビビりもせずにむしろ噛み付いてくるなんてな、そしてまさかビンタされるとは思ってなかった」 「それは完全にお前が悪いだろ?男のケツを揉むなんていい趣味してるよほんと」 「お前はもう少し危機感を持った方がいいぞ、そんなに誰これ構わずに噛み付いていたらいつか痛い目を見る」  彰人は悠哉に憐れむような視線を向けてそう忠告した。 「はぁ?お前にそんなこと言われる筋合いはない。とにかく、来週当番に来なかったらもう一発くれてやるから」 「それは怖いな。まぁいい、お前みたいなガキにそもそも興味なんて無いしな、それにこれ以上言い争っていても埒が明かないから俺は帰る」 「あっ、おい!!」  背を向けた彰人に、このままでは逃げられてしまうと思った悠哉は咄嗟に彰人の手を握った。「来週は絶対来いよな」と自分より十センチ以上は大きな人間に対して下から見上げるような形で訴える。彰人は一瞬驚いたような仕草を見せたがすぐに顔を背けてしまった。握っていた手を払われ「気が向いたらな」とだけ言い残し、彰人は今度こそ背を向け歩き出した。  自分より一回りは大きかったであろう彰人の手。触れた瞬間なんて冷たい手なのだろうと悠哉は思った。まるであの冷めきった青い瞳のようだ。  彰人への第一印象は最悪だった。初対面でケツを揉まれたのだから、こうした印象を抱くのだって仕方がない。それに不真面目で愛想が悪い、悠哉自身曲がったことが大嫌いだったため当番に来ない彰人のことが正直気に食わなかった。だけどそんな彰人を放っておくことが出来なかったのは、彰人が陽翔と出会う前の自分に似ていたからなのだろう、と悠哉は考えている。これが悠哉と彰人の出会いだった。  それからというもの、悠哉は彰人を見かけてはしつこく声をかけ続けた。彰人のことは嫌いだったが、当番に来ないことには単純に腹が立ったため、どんなに嫌いな相手だろうと悠哉は自ら関わろうとした。彰人はというと、最初こそ反抗してたものの、そんな悠哉のしつこさに根負けしたのだろう、ついには当番に来るようになった。二人の関係が変わっていったのはそれからだ。学年は違えどなんだかんだ気兼ねなく話せる仲になり、よく二人で何気ない会話を交わしていた。彰人も徐々に口数が増え、自分自身が抱いているコンプレックスを教えてくれたこともあった。  彰人は母親が日本人、父親がアメリカ人のハーフということもあり、父親の遺伝子が色濃く残ってしまったがために目の色が深い青色だった。その事で差別をする人間もいたようで、彰人自身自分の目の色を嫌っていたのだ。それに加え成長するにつれて背も徐々に伸びていき、中学生にしては大人のような容姿をしていた彰人は周りから怖がられ、時には持ち前のルックスから親しくもない女が擦り寄ってくるなど、自分の容姿に関してかなりのコンプレックスを抱いていた。そんな彰人は自分の容姿しか見ていない周りの人間を軽蔑していた。悠哉からしてみればそんな奴ら気にしなければいいと思うのだが、彰人にとってはそんな自分も周りの人間も毛嫌いしてしまっていたのだろう。そんな彰人のことを余計に放っておくことが出来ず、あの頃は彰人のことばかり考えていたような気がする。しかし、二人の関係は長くは続かなかった。  事件が起きたのはその年の冬、悠哉は実の父親に無理やり襲われかけた。親からの性的被害、陽翔が助けてくれたおかげで未遂で済んだものの、たった一人の肉親であった男に襲われそうになったことは悠哉の中で言い表せないほどのトラウマとして刻まれることになった。それから悠哉は大人の男性に対して恐怖心を抱くようになり、彰人のことも同様に怖がった。悠哉は彰人と父親の姿を重ねてしまい、彰人のことを強く拒絶してしまったのだ。あの時の彰人の傷ついた顔は今でも鮮明に悠哉は覚えており、忘れられずにいる。それから彰人が卒業するまで一度も会話を交わすことなく二人の関係は疎遠になった。  そしてその時の出来事は自分の中で後悔として現在まで残っていた。彰人のことを思い出すとあの人のことまで思い出してしまいそうで悠哉にとって恐怖だった。そのため彰人の存在ごと自分の中で忘れようとしていたけれど、彰人に対しての罪悪感が強く自分の中に根付いていたため、悠哉にはそう簡単に忘れることなど出来なかった。
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