天井の木

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 木が生えていた。  杉の木だろうか。松の木だろうか。  定かではないが、とにかく常緑針葉樹が一本、私の目の前で、逆さまの状態で、生命力を振り撒いていた。  その一本の木は私の部屋の中にいる。  わさわさと葉を躍らせて、天井からぶら下がるように生えている。  下向きになった天辺が、床に敷かれたお気に入りの絨毯に付いてしまいそうだ。 「姉さん、教えて欲しいことがあるんだけど」  いつの間にこんな木が天井から生えてきたのだろうかと、不思議に眺めていると、蒼太が私の部屋のドアをガチャリと開けて入ってきた。 「わあ。随分大きく育ったね」  蒼太は目を輝かせて言った。  なんだかこの木の成長過程を知っているような物言いだ。 「あんたの木?」  私は蒼太の方に視線を移し、そう質問した。 「それって、僕のものかってこと?」  無邪気に微笑み、蒼太は首を傾げた。  私はそのまま口を開くことはなく、また常緑針葉樹の細い葉に視線を戻した。 「植物の生命力って、圧倒されるよね」  しばしの沈黙が流れた後、蒼太が私の隣にやってきて、前にも聞いたような言葉を口にした。  私は木に向き合ったまま、視線だけを蒼太に送った。 「天井から生えてきちゃうなんてね。しかも、よりによって太陽の光が一切入らない姉さんの部屋にさ」  蒼太が横目で私を見つめているのが分かる。 「本当に、あり得ないところから生えてきたりするのね」  私は無表情のままそう言った。  当たり障りのない返事をしたつもりだ。 「でもさ、あり得ないって思ってたことも、実は知らなかっただけ、って時、ない?」  蒼太は私の顔を覗き込むようにして前かがみになった。  その唇は緩やかに弧を描いている。 「姉さん、木の根っこを引っこ抜いてみたことある?」 「そんなこと、するわけないでしょ」  表情はそのままに、私は呆れたような声色でそう返した。  蒼太は木の根元を見上げた。 「じゃあ姉さんは、木の根っこの先がどこにあるのか、正確には知らないんだ」 「土の中に決まってるでしょ」 「何故言い切れるの?」  蒼太は木の先端付近にしゃがみ込んだ。 「この木はやがて、姉さんの部屋の床を突き破るよ」  床に敷かれた絨毯を指先でなぞって、蒼太は言う。 「その後は家の土台を突き抜けて、土の中へ。そして地層深くまで、この葉っぱを全部引き連れて、黙々と沈んでいくんだ」  妙に和らいだ微笑みを私に向け、蒼太は語る。 「地球の中心を目指してどんどんどんどん成長し、やがてマグマを通り過ぎ、地球の反対側で、顔を出す」  蒼太は逆さまの木の幹に手を当てて、何かを感じ取るかのように目を瞑った。 「そしてその地上の空気を吸いながら、まだ成長を続けるんだよ。あそこに生えている木々と全く同じような姿で」  目をゆっくりと開き、窓から見える道路脇の木々たちを指差して、蒼太は言った。 「そんなこと、あり得るのかな」  私は地球を突っ切り終えたこの木の姿を想像した後、淡々とした声でそう呟いた。  蒼太は振り返り、私を見つめる。 「姉さんがもしも知らないだけで、これがあり得る事実だったのなら、姉さんにはどれご地球の裏側から来た木かは識別できないね」  まるで忠告をするような強さで、蒼太の言葉は吐き出された。  私は思わず眉をひそめる。 「コキアの木と間違えるんじゃないかな」  蒼太は片手を口元に運び、からかうように笑って、両肩を愉快そうに揺らした。  私はムッとして、蒼太から視線を外し、天井から生える常緑針葉樹を睨んだ。 「でも、地球を突き抜けてきた木はきっと、怪しまれないように地面近くの葉っぱは切り捨てるんだろうね。僕たちがよく見知った木と同じような風貌になるために」  蒼太は語り続ける。 「でも、もうすでに全ての木が地球の裏側からやってきたのかもしれないね」 「そんなこと、あるわけないでしょ」 「証明できる?」  挑戦の目を、向けられた気がした。 「その目で確かめさせてあげる。木の根が私たちの足元でとどまっているということをね」  私は自分の部屋にあった土のついた大きなスコップを手に取って、颯爽と家を出た。  家の扉の前には道路が横に伸びていて、その道路の両側を囲うように様々な木々が佇んでいる。  私は地球上の木を一本残らず掘り返す気で、一心不乱にスコップを振るった。  根っこの先端を掘り返し、蒼太に見せつける為に。  それを成し遂げたところで、なんのメリットも無いくせに。  だが私は掘り続けた。  手始めに目を付けた家の前のイチョウの木だった。  その根元で、私はいつまでもいつまでもスコップを振るった。  スコップの先に乗せては放り投げている真っ赤なマグマを、ただの土と信じて疑わない愚かな私を、蒼太はいつまでも見守ってくれていた。 「姉さん。教えて欲しいことがあるんだけど」 「何?」  遥か頭上三千キロメートルから聞こえてきた蒼太の声に、私は気怠げに、ため息と共に、小さく返事をした。  上を見上げはしなかったが、蒼太が私を覗き込んでいるような気がした。 「結局この前のカエデの木は、全部掘り起こせたの?」  今も尚スコップを振るう私に、蒼太は問いかけた。  そういえば、ポプラやエンジュは、どこまで掘ったんだっけ……。  私は一旦スコップを置き、額から流れる汗を手の甲で拭った。  それからどうしたのかは、覚えていない。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加