19人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
6
「──それ」
静かな時間が少しの間流れて、恋花の人差し指が真っ直ぐに僕の手元を示した。
そこには白い皿に乗った齧りかけのホットドッグがある。これ? と僕も指を差すと恋花は小さく頷いた。
「いっつも食べてるけどおいしいの?」
「おいしいよ」
「ひとくちちょうだい」
皿を持ち上げて差し出すと、彼女は両手でそれを受け取る。
そしてホットドッグを持ち上げると僕の歯型を覆うようにかぶりついた。頬にケチャップをつけながら何度か咀嚼する。
「うん、おいしいね」
にっこりと彼女は花咲くように微笑んだ。
何の栄養にもならない気持ちがじんわりと広がって僕の胸を満たしていく。
「ありがとう」
「どういたしまして」
返された皿を受け取ると、恋花はそのまま僕の手を包み込むように握った。不意な彼女の温かさを感じてどきりとする。
「どうしたの」
「もう一回、ちゃんと始めようと思って」
恋花は手を握ったまま僕の目を見つめた。
茶色がかった瞳は薄く潤んでいて、光が揺れている。
「お腹が空いて動けないので、私に恋してくれませんか」
あの日の今にも息絶えそうな声とは違い、彼女の言葉は凛と響いた。
僕は持ったままの皿をテーブルに置く。
食べかけのホットドッグと飲みかけのココア、それに紅茶とノートパソコンの上で僕は恋花の手を握り返した。
そして、君のためなんて1ミリも考えてない想いを口にする。
「君がお腹いっぱいで動けなくても、僕は君に恋をするよ」
それ主人公っぽいね、と彼女は笑った。
その笑顔はヒロインっぽいなと僕は改めて思う。
「でも初心者なのにそんなこと言っちゃって大丈夫? 言うほど簡単じゃないよ」
「ブラックコーヒーよりはいけるはず」
「確かに恋って甘いもんね」
「いや知らんけども」
握り合っていた手をゆっくりとほどいた。
少し寂しそうな表情を浮かべる恋花を見て、つい笑みを浮かべてしまう。
僕との時間が彼女にとってただの食事ではないことがこんなにも嬉しい。
「でも一度した約束は守るよ」
離した手をそのまま彼女の頭に乗せた。
さらりと滑らかな髪の毛の感触を手のひらに感じながらゆっくりと撫でる。
ふふ、と幸せそうに微笑んでから、彼女は小さく呟いた。
「ごちそうさま」
(了)
最初のコメントを投稿しよう!