ほんとに楽しい花見について

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「ソメイヨシノもそろそろ咲くね。  見頃の時期に合わせて、満開の桜が大きな窓から眺められる都内のホテルのスイートを一泊取ろうと思うんだけど……(しゅう)くん、どうかな?」  3月上旬の金曜の夜。俺の恋人が、リビングでネクタイを緩めながら俺にそう微笑んだ。  彼は、大手住宅メーカーの副社長だ。俺が言うのもなんだが、中身も容姿もパーフェクトな正真正銘のスパダリである。ただプライベートはかなりズボラだし抜けてるし、かつ俺にデレ過ぎるプチ変人でもある。 「うわ、(いつき)さん、まためっちゃスイートなデート計画してくれちゃってんですねー」   エリート大学の大学院建築学科を卒業後、就職せずにしばらくぶらぶらフリーターをしていた俺は、ひょんなきっかけでこの副社長と出会い、お互いプチ変人である部分で意気投合した。いろいろありつつも晴れて恋人同士になり、同時に俺はめでたく彼の会社に就職して目下ラブラブ同棲中である。 「当然だ。東京の桜を一流ホテルの窓から楽しむ、まさに最上級の贅沢な花見だろ? 予約予定のスイートルームからの景色はまるで東京中の桜を独り占めしたような満足感だって超人気らしい。夕食は部屋で夜桜をゆっくり眺めながら極上フレンチのコースが楽しめる。値段はそれなりに張るけど、この上ない花見を満喫できるよ」 「…………なるほど。  で、お値段って、どのくらいするんです?」 「ん、値段なんて気にしなくていい」 「ええ、値段聞くなんて野暮ですよね。でも一応」  彼が見せてくれたスマホの画面には、目の飛び出る金額が示されていた。一泊20万円。スイートルームの仕様はとんでもなく煌びやかだ。贅沢を極めた複数の部屋に、大きな浴室はジェットバス&サウナ付き。これに加え、部屋で楽しむフレンチディナーとおしゃれな朝食、窓の外には満開の桜……。  待て待て。ちょっとストップ。  フツーに贅沢だなこれ。  俺の脳がそう呟いた。 「……ねえ、樹さん。その予約、ちょっと待ってください。  今年のお花見は、俺にプランニングさせてもらえませんか?」  気づけば、俺はニマニマ顔で彼にそう提案していた。 「ん? ああ、それはいいけど……」  彼はちょっと不思議そうな顔で俺を見る。何だか楽しくなりそうだ。 「楽しみにしててください、むふふ!」 *  それから、約2週間後。  ソメイヨシノが見頃になった晴れの土曜、朝7時。  俺は寝室のカーテンを開けながら彼のベッドサイドで大声を上げた。 「樹さん、行きますよー! 起きてください!」  彼はベッドの中でモゾモゾと寝返りを打ちながら不明瞭に答える。 「……ん……? 柊くん、今日土曜だよ? まだ朝早いし……」 「あれ。俺のプランニングした花見、行かないつもりですか?」  俺の問いかけに、彼は布団をばさりとめくって飛び起きた。 「え、花見!? いっ行く行く、もちろん!! じゃ今すぐ着替えて車出して……」 「いや、車は必要ないです。ってか今日のプランは車じゃ台無し……まあついてきてくださいよ。  あ、あんまお洒落な服装とかしないでくださいね。ラフで動きやすくて汚れてもいいくらいのやつでお願いします」 「へ……?」  不思議そうな彼を従え、俺は大きなトートバッグを肩にかけ最寄り駅へ向かった。数駅で降りると、構内は朝から相当な混雑だ。 「うわ、すごいなこれ……」  人いきれの駅など普段利用しない彼が、微かに上擦った声を出す。 「マジすごいですねー。これ、ほとんど花見客ですよ多分。いざ行かん、代々木公園!!」 「え……」  俺は彼を振り返り、にっと微笑んだ。 「いい場所は早いもん勝ちですからね。陣取りを制したものが花見を制す! ここぞという場所を見つけたら、ここにあるシートをすかさず敷く!! いいですね?」  そう言いながら、俺は肩に提げたトートバッグをバシバシと叩いた。  「……う、うん、とりあえずわかった」  レジャーシートで花見の場所取りなんて初体験なのだろう、彼は心細げに頷く。 「さあ行きますよーっ」  俺は呆気に取られる彼を引きずるように公園へと向かった。  公園内に入り、だんだん人が増え始めている広い芝生に到着すると、俺は頭上を見上げた。満開になった淡いピンクの桜の枝が、大きく張り出して頭の上を覆っている。その奥は、突き抜けるような青空だ。 「樹さん、ここ良くないですか?」  隣を見れば、彼も我を忘れたように頭上を見上げている。 「……うん、素晴らしいね……」 「よし決まり! じゃ早速敷きますよ!」  俺はバッグからレジャーシートを取り出し、片方の端を彼に持たせた。二人でばさりと大雑把に広げ、その上に荷物を下ろして靴を脱ぐ。  ひんやりとした足裏の感触が心地良い。押し寄せる開放感に、二人同時に両足をシートに大きく投げ出してどさりと座った。 「はあーー……これは最高だね……。シートの下の芝生が柔らかで最高に気持ちいい」  両手を後ろにつき、胸を大きく逸らして空気を吸い込んだ彼は、頭上に揺れる桜をしみじみと見上げた。 「それに、朝の光の中の桜がこんなにも気高い美しさだなんて、初めて知ったよ……」   初めて見るような彼の和らいだ表情に、俺の胸も幸福感で一杯になる。 「——良かった、樹さんにそんなふうに喜んでもらえて。  今日は一日ここでのんびりゴロゴロしましょう。今朝簡単なサンドイッチ作って持ってきてるんです。あと、豆から落とした熱々コーヒーもサーモスにたっぷり入れてきました。で、昼になったら屋台の焼き鳥とか焼きそばと紙コップの生ビール!! 行列に並ぶかもしれませんが、最高に美味いですよ」  そう言いながらサンドイッチのタッパーと水筒を取り出す俺に、彼は小さく呟いた。 「……ありがとう、柊くん。  自分って生きてるんだなって、全身で感じたのは本当に久しぶりだ。  最高級ホテル予約するよりもずっと特別な花見だよ」 「こういうのもいいもんでしょ? はいコーヒー」  まだ少し肌寒い朝の空気の中、紙コップ二つに注いだ湯気の上がるコーヒーを一緒に啜る。  その熱と苦味、甘みが、じんわり身体に染み込んでいく。  ふうっと深く息をついて、彼は俺をじっと見つめた。 「——こんなふうに僕を喜ばせてくれるのは、やっぱり君だけだ」  熱の籠もった美しい眼差しとそんな艶やかな囁きに、場もわきまえず俺の身体もジワリと熱を持つ。 「……あっ朝からそんな視線とか台詞やめてください、周囲に誤解されるじゃないですか」  頬が熱くなるのを抑えきれず、俺は思わず俯いた。いや、誤解じゃなく実際そういう仲なんだが……まあいわゆる照れ隠しだ。  こういう時、完璧なスパダリというのはその都度完璧に相手を殺しにかかるので本当に困る。  そんな俺たちのシートの周辺でこっそりこのいちゃつきを鑑賞する女子ギャラリーが『もっとやれ!!!!』という心の声をダダ漏れにしていることに、俺たちはこれっぽっちも気づかなかった。  楽しみ方って、いろいろだ。お花見も、どんなことも。
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