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駅前のバス停にある、緑色の簡易ベンチでヒュミを見つけた。その隣には、ベンチに腰を下ろし、蹲るように背中を丸めている汐が居た。ヒュミは彼の隣でちょこんとお座りをし、誰かが汐に近づこうとすると、汐を守るように、相手と汐の間にするりと入り込み、足踏みをしている。
「ヒュミ」
そう声をかけると、彼と汐の前にいる若い大学生風の女の子が振り返った。純粋に座り込んで動かない汐を心配してくれただろうその女の子は、戸惑うように俺とヒュミを見比べた。わずかに申し訳ない気持ちが湧き上がり、俺は浅く頭を下げて、ゆっくりと歩み寄る。
「すみません。彼はちょっと眠ってるだけなので、大丈夫です」
そう言うと、彼女は不思議そうに「そうなんですか」と軽く首を傾げてから、暫く汐の様子を眺めてから、一礼をして背を向けた。俺はそれを見送ってから、俺は汐の前にしゃがみ込み、まずはヒュミの頭を撫でてやる。それから汐を覗き込むと、彼は案の定なんの恐れも知らずに健やかに眠っていた。お気に入りの麻でできた斜め掛けの大きな鞄を抱きしめながら。
「すぐ起きるかな」
鞄のチャックの金具の部分から下げられているプレート型のキーホールダーを、摘まんで視線で撫でてから、汐を眺める。
『過眠症です。すぐに起きます。』
そう書かれたプレートを指先から離して、優しく彼の細い髪を撫でると、汐の薄い瞼の丘が微かに痙攣した。
「おはよ」
そう声をかけると、汐は一度ぎゅっと強く目を瞑って上半身を起こすと、ゆっくりとした動作で両腕を頭の上に伸ばす。
「やっちゃったァ……」
そう欠伸交じりに呟いてから、腕時計を見て、
「十分くらい寝てたかも……」
と呟く。
「ちゃんとヒュミがそばに居てくれてたよ」
「ありがと~」
そう言いながら汐はベンチから降りると、ヒュミを抱き寄せる。柔らかな毛並みに顔を埋めて、汐はその頼もしく大きな身体を撫でまわした。
「ていうか、汐。何で駅前にいるの?」
「ん? シチューの素、なかったからさ」
思い出したようにヒュミかから顔を上げると、汐は鞄の中から二種類のシチューの元を取り出した。
「これとこれを、半分ずつ入れると美味しいんだよ」
そう得意気に言い放つと、汐は立ち上がり、ヒュミのリードを手に握り直す。
「はやく帰ろう。お客さん来ちゃうでしょ?」
言われて汐を見上げる。ほんのりと青とオレンジ色が混ざり合う夕暮れを背に、汐の表情の随所に、温かい灰色の影が降りていた。幾分すっきり としたような目元を淡く細めて、汐が笑う。俺はその笑顔を見るたび、胸の奥にある何かが、柔らかく解れていくのを感じる。
俺は膝に手をついて立ち上がると、彼の横に並んで家路に着いた。夕方の五時を知らせる「ゆうやけこやけ」が、夜と昼の曖昧な空の間に木霊するよう流れていた。
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