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食事なんて、何を食べようがたいして変わらないでしょ? って思っていたら、落とし穴にまっ逆さま。
一昔前は何も気にせずその時食べたい物を何も考えずに食べていた。それが今はカロリーだの脂質だのと、いちいち製品の成分表記を確認しなければならない、面倒な事よ。
野菜を多めに、肉はなるべく鶏を、油は少なめ、栄養バランスを考えて。炊事ひとつが億劫になる、たまには何も気にせず食べたいわ。
「安藤さん今日もお弁当なんですね、毎日作るの大変じゃないですか? 俺は真似できないなー」
気安く話しかけてくる若い男子、私と同じくお昼休憩だろう、最近は外食する人もいるけど、私はカロリーが怖いから行かない。ちらっと隣の彼を見るとごつ盛りのカップ焼きそばにポテトチップス、さすがに飲み物はお茶だったが……若いな。
そういう私の昼ごはんは、焼き鮭にだし巻き玉子、ミニトマト、きゅうり入りのちくわ、梅肉の混ぜご飯。
こんな何の面白みのない、弁当だ。
「……美味しそう」
しまった、心の声が漏れた。
「え! 安藤さんでもこういうの好きなんですか? 良かったら少し食べます?」
「あ、いや、ごめんなさい、大丈夫だから、気持ちだけ貰っておくわ」
危ない、あれは食べたら病みつきになる奴よ。今食べたら後戻り出来なくなる、自制しないと。
早めに食事を切り上げて休憩室を後にする、彼の視線から逃れるように。
仕事終わりの夜。
近くのスーパーで惣菜コーナーを前に立ち止まる。
買えばすぐに食べられる、その上美味しさがある程度保証されている。唐揚げ、たこ焼き、ポテトサラダ、マカロニサラダ、他にも色々と並んでいるけれど、おなかが空いている時に食品を見ていると通常より自分の中の決意や自制が非常に緩くなる、しかしその緩みが自分の健康に影響すると考えると恐ろしい。
「だめ、だめ、今日はサラダチキンとパックのサラダ…………」
声に出して自己暗示をかける、よし、と立ち去ろうとしたら。昼間の彼が後ろにいた。
わっ、と思わず声をあげてしまう。
「あ、驚かせてすみません。お疲れ様です、惣菜何買うんですか? たこ焼きとか美味しいですよ!」
彼の指す大玉のたこ焼きが非常に美味しいのは知っている、何故なら二十代の頃は食べていたから。でもね、現在の私には目の毒で手を出せない物なのよ。
「今日は……メニューが決まっているから……買わないわ、ごめんなさいね薦めてくれたのに」
離れよう、なるべく早く。
彼のペースにならないうちに。
「そんなに我慢して毎日しんどくないですか? たまには食べたい物食べたらいいのに、その方が精神的にいいんじゃないですか?」
重い、そしてぐさりと刺さる。
でもね、それは結構勇気がいるの、私には。
「そうね……でも……実は健康診断の結果が良くなくて、次の検査まであまり油の多い物を取らないようにしているの、体の健康のために」
「無理して数値が良くなっても、その反動で食べ過ぎてまた数値が悪くなったらその方が悪循環で良くないと思いますよ、だから適度にコントロールしてたまにはチートデイを作って好きな物を食べたらどうですか? だから、はい、今日はチートデイって事で」
たこ焼きのパックを渡される。
チートデイ、か。
真剣な顔をして真っ直ぐ私をみている、彼はこれを受け取るまで引かないだろう……仕方ない。
「分かった、たまにはいいかもしれないし……何より受け取らないと君は引かないでしょうし……買って帰るわ、これ」
「あ、帰って捨てるのは無しですよ。ちゃんと食べて下さいね!」
食べるわよ、じゃあね。と言って別れた後、ついでにこれもとジンジャーエールを買いたした。私としては背徳感が半端ない行為だったけれど、でもなんというか、まぁいいか、と思った。こんなに気楽に食品を買ったのは久しぶりだ。
夜道を歩く足どりが軽いのは家に着いた後が楽しみだからだろうか、やや上機嫌のせいなのかこの時間の寒さが全く気にならない。
鍵を開けて冷えた部屋に入る、とりあえず暖房をつけてからテーブルにたこ焼きとジンジャーエールを置いて、楽な部屋着に着替えてリラックスモードに。
若干冷めてしまったたこ焼きを皿に移して、電子レンジで温める間ソファーで猫のように伸びる、この数分間がなんとも心地よい。
「おなか空いたな……」
ヘルシーな食事を意識してると間食を摂るのが躊躇われて、空腹との闘いになり辛くなる。
温め終了の音が聴こえて、皿を取り出すとたこ焼きはラップの中で熱々になっていた。
「さて……頂きます」
割り箸を割って合掌してからたこ焼きを口に運ぶ。大玉を一口で頬張ると熱さで火傷しそうになって、はふはふとしながらもソースや鰹節の味も楽しめた。
「あーっあつっ……美味しい!」
プシュっとジンジャーエールをあけてグッと飲む、これもまた良し。
「んんー……最高かっ」
すっかり食事を楽しんでいた。
食べ物を制限し始めてからは食事を楽しむなんて事がなかったのに。味気ない食卓に低いテンションが当たり前で、こんな高揚感は若かった昔に戻った様だ。
「これは、橘君に感謝ね」
彼が強く薦めてくれなければ買うことがなかった物だ。
無鉄砲で怖いもの知らずな感じは昔の若い自分を思い出させる、だから本当に過去の自分が彼に憑依して現在の私に喝を入れてくれたような気さえする。
「明後日の検査さえ問題なければ……ちょっとはこういうはめもはずせるんだけど……なー」
――一ヶ月後
ついに来た、郵送された結果は……BMI以外正常値、よし! 無事に中性脂肪、悪玉コレステロールを下げられて一安心。
「今日のお昼コンビニで買って行こう」
るんるん気分で最寄りのコンビニで品定めする、いきなり菓子パンはちょっと緩みすぎだな、サンドイッチだったら……タマゴサンド、照り焼きチキン……迷う。いや、もういっそのことどっちも買ってしまえ、飲み物はさっぱり系でアールグレイの紅茶にしよう、よしっ決まった。
そして、待ちに待ったお昼休憩。
休憩室に入ると橘君の姿が見えた。この前の礼を言おうと隣に行くと、彼の前にはコンビニのサラダに梅おにぎりとペットボトルの緑茶が並ぶ。
「あれ、どうしたの? 橘君、なんか今日はヘルシーな昼食ね」
私が声をかけると何だか暗い顔で、力無く笑って俯く。
「あ……いやぁ、健康診断の結果がヤバくて……ドクターストップがかかって、この通りですよ……なんか安藤さんに偉そうに言った自分が恥ずかしいです、ヘルシーな食事をし続けるのがこんなに大変なんて、チートデイとか入れるのめっちゃ怖いし……お金はかかるし」
「自分でお弁当作ってみたら? 始めるとけっこう楽しいわよ、最初は面倒だけどね」
そう言いながら自分はコンビニのサンドイッチとペットボトルの紅茶を置く。
「あ、今日はサンドイッチなんですね、美味しそう」
「食事制限してる時って他の人の食べ物が何でも美味しそうって思っちゃうのよね……前の私みたいに。でも加減を覚えればチートデイも怖くないって知るとだいぶ楽よ」
最近まで同じ事で悩んでいた私が偉そうに言うのも……いや、経験者だから言える事か。
「怖がらないでさ、たまには食べたいもの食べたっていいんじゃない?」
ぱしっと格好つけてみると、クスッと笑われた。
「これじゃ立場があの時の逆ですね、チートデイ大切にします、けど……良かったら弁当作ってくれたり、お願いできない……ですよね」
頼まれて作るのは出来なくはないけれど、私が作るのはちょっと違うような気がする。
「君ね、そういうのはお母さんか彼女さんにお願いしなさい」
「あー……ですよねー……良かったら、かの……に、いや、すみません厚かましくて」
途中聞き取れない、ぼそぼそと話す彼にお弁当を作る事になるのはかなり後の話しだ。
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