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「横浜アリーナの、中島みゆきのコンサートに行ったんだって」
「うん」
「その時に聴いた『春なのに』が、すごく心に沁みたって……」
「……うん」
「柏原芳恵のも好きだけど、みゆきさんのは、どこか一人、遠くで好きな人を想いながら、卒業式の日を回想してる……そんな感じがして、共感できるんだよって、おふくろが言ってたのを覚えてて」
「あぁ……なんか分かる」
「だろ?それでね、CD買って、よく聴いたよ」
「えーっ、みゆきさんの?」
「そう」
「私も!私も持ってるよ、それ」
「まじか!」
不思議な縁だと、美由紀は感じていた。
実際、『春なのに』は柏原芳恵の歌のイメージだ。みゆきさんが歌うバージョンを、語る人はあまりいない。
でも、詞も曲も作ったみゆきさんが歌う『春なのに』には、みゆきさんにしか表現できない世界があると、美由紀は思っていた。
(それを、まさか隼人くんも共感してくれていたとは!)
愛しげに隼人を見つめながら、
「だからあの時、“俺も中島みゆきの『春なのに』が好き“って言ったんだ?」
「うん。でも……」
隼人はそこで、ひとつ息を吸ってから、
「その前に、俺が言った言葉、覚えてない?」
「……?」
「みゆきさん、好きだよって、言ったんだよ」
「あっ……」
(そうだった。そう言われてドキッとしたんだ!)
でも、それは「中島みゆきさんが好き」という意味なのだと、すぐに思い直したはずだった。
「美由紀ちゃん」
「え?」
隼人の呼び声に、我に返って彼を見る。
自ずと見つめ合う。
胸の中の小さな蕾が、急激に膨らむような感覚を覚えた。
そして、隼人がかすかに瞳を潤ませ、美由紀を見つめて言った。
「辻村美由紀さん、君が好きだった。高校時代から」
「……」
瞬間、胸の中の蕾がパッと開いた。
気づかぬようにと、ずっと目を背けてきたわずかな期待が、今、ついに報われ、涙が頬を伝った。そして、
「隼人さん、私も、ずっとあなたが好きでした」
彼の瞳をしっかりと見つめながら言った。その後で、
「恵理さんとは?」
それは、ずっと気になっていたこと。
返事が怖かったが、隼人は首を振って、
「付き合ってないよ」
「えっ……別れたの?」
隼人は、もう一度首を振り、
「初めから、付き合ってなんかいない」
「うそ!」
「うそじゃない。ホントだよ」
「だって……あんなに仲良かったじゃない。それに、昨日だって……」
「いい友だちだけど。それだけだよ」
「……ホントに?」
「本当だ」
「付き合ってるんだって、ずっと思ってた」
泣きそうになりながら言う美由紀を見て、隼人は優しく微笑みながら、
「結婚するんだよ、恵理」
「えっ……?」
「昨日は、仲間内でお祝い会をやったんだ」
(そうだったんだ……)
安堵するもう一人の自分がいた。
「だから……」
隼人が、改めて美由紀を見つめる。その視線を、美由紀が受け止める。
「運命だと思った」
「……?」
「昨日、ここで偶然、再会できたこと」
「……」
「京都で、研究に没頭していたけど、帰省して、偶然君に会えて、君への気持ちを思い出したんだ」
「……私も。運命だと、今なら思える」
二人はふたたび見つめ合う。そして、隼人が言った。
「付き合ってほしい」
「……はい」
「遠距離になるけど、いいのか?」
「うん。大丈夫」
美由紀は大きく頷きながら、
(今すぐではなくても、いつかは彼と一緒に生きていきたい。京都でも、どこでも、保育の仕事はできるのだから)
そう思いながら、心の中で、隼人との生活を描き始めていた。
(完)
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