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いち
目は覚める。朝の六時くらい。
キッチンの方で物音がする。薬缶に水を入れる音、それに蓋をしてガス火にかける音、足音、ソファーに座った。
目を瞑り、見たこともないのにそれが想像出来た。
カーテンの隙間から差し込んだ光。そこから顔を逸らし、毛布に潜り込む。二度寝をする。
次に目を覚ますのは昼の二時過ぎ。耳を澄ますけれど、物音はしない。大和は起き上がり静かに部屋の扉を開いた。
リビングへ行けば、しんとしていた。叔母である星来は自室で制作作業をしているのだろう。冷蔵庫から麦茶を取り出し、グラスに注ぐ。
平日の真っ昼間。今頃、給食も終わり、五時間目か六時間目の授業をしている最中だ。他人事のようにそれを考えながら、大和はぼんやりとキッチンに立った。
ぐー、とお腹の虫が騒ぐ。何もせずとも腹は減る。ここ一週間、大和は学校へ行っていなかったが、食べては寝てを繰り返しても少しも太ることは無かった。そのことを星来から指摘され「しかもなんか背伸びてない?」と笑われた。
再度冷蔵庫を開ける。昨日の夕飯の残りであるコールスローサラダ、薄切りの食パン、すぐに食べられそうなものがそれくらいしか無い。
食品棚へ視線をやると、レトルトカレーが見えた。しかし、大和の中で火を扱うというのは抵抗があった。電子ケトルで湯は沸かせるのに、だ。それに、米の炊き方もよく分からない。
ケトルの横に放置された機械が目に入る。ホットサンドメーカーだ。
箱の裏の作り方の説明を読む。パンで挟めば出来上がるらしい。8枚切りなら4つ出来る計算だ。
挟むものはコールスローだけになるが、まあ良いかと箱から機械を取り出してコンセントを差し込む。
予熱を終えて、パンにバターを塗る。あとはコールスローを乗せて、パンを重ねて、機械を閉じた。焼けるまでじっと待つ。
これを食べたら、何をしよう。またベッドで寝転べば、あっという間に夕方になる。外からは学校から帰る途中の会話が聞こえるようになる。大和はそれを聞いて、やっと今日が終わったと安心する。
じゃあ、こんなのはいつ終わるんだ。
ホットサンドが焼き上がる。開くとこんがり焼けて良い匂いがした。もうひとつ、と食パンにバターを塗り始めたところで、
「美味しそう。私にも作ってよ」
後ろから声がした。
足音ひとつせず。振り向けばカウンター向こうから身を乗り出す星来がいた。
「……やだ」
「なんでよ。次挟むなら卵とハムにしよ」
「卵、焼けないし」
「いや、落とすだけで良いのよ。はい、割って」
星来はキッチンへ入って、冷蔵庫から卵を取り出し、大和へ渡す。ひんやりとした卵を受け取ったが、これを綺麗に割れる自信がない。しかし、次にハムも渡される。
「……できない」
「大丈夫だって」
「根拠もなく……」
「卵なんてこれから何度だって割る機会があるんだし、何回失敗したって良いじゃん。それに今失敗しても食べるの、私とあなただけ」
いつの間にか、食べる人間に星来が加わっている。しかし、大和はそれに気付かず、卵を見た。
こん、と台の上に打ち付ける。弱すぎて罅も入らない。星来は気にすることなく冷蔵庫からチーズと、棚からレトルトカレーを取った。
もう少し強く、卵を叩く。良い具合に罅が入り、ぱかりと2つに割れた。食パンへつるんと落とす。2つの黄身が現れた。
「星来ちゃん、ふたつある」
「うん?」
「黄身が」
「きみ?」
ピザ用チーズの袋にハサミを入れようとしていた星来が大和の方を見る。
「おお、双子。幸先いいね」
「さいさき」
「きっとこのホットサンドは美味しくなるっていう報せが入ったのよ、今」
報せ。
大和はハムを乗せて、食パンを被せた。機械を閉じる。その横で、星来はレトルトカレーを更に出して、上にピザ用チーズを振りかけた。
「それ、茹でないと食べられない、けど」
「レンジでもいけるみたいよ」
パッケージの裏を見ながら言う。そのまま電子レンジにかけ、静かな時間が降った。
星来が先に動き出し、薬缶に水を入れる。それをガス火にかけた。
「なんで、いつも薬缶使ってんの?」
「うん?」
「ケトルあるのに」
「んー、火が好きだから」
普通の人間が言っていたら、普通の人間が聞いていたら、どういう意味だろうと首を傾げていただろう。しかし、大和は「ふーん」と薬缶へ視線をやっただけだった。
星来は、魔女だ。
大和の母親、仁奈は人間らしい。二人の故郷では、人口は緩やかに減少しているが、魔女がまだ存在している。
『星来は火の魔女なんだよ』
『称号だけね』
『なかでも、料理の才能はあるから』
仁奈が誇らしげに語っていた。
確かに、星来の作る夕飯は美味しい。仁奈は仕事で忙しくしていることが多く、大和は手料理を両手で足りるほどしか種類を食べたことは無いが、確実に星来の方が美味しい。
元々、大和の家では仁奈ではなく父親が料理を作っていたのだ。
出来上がったホットサンドを取り出し、星来の作ったチーズカレーも食パンに挟んだ。
3種類のホットサンドを斜め4等分に切り、星来は皿に盛り付ける。コーヒーと、大和の分は甘いカフェオレが淹れられた。
「なんていうメニュー?」
「え、ないけど」
「名前って大事だよ。呼ぶ度、大和が双子の卵を割ったのを思い出せる。名前は一種のお呪いみたいなものだから」
「おまじない……」
星来は偶に魔女のようなことを言う。
「声にだして言葉にすると、勇気に変わる。きっとその勇気は大和を助けてくれるよ。だから、勇気はたくさん持っときな」
さて、と星来が手を叩く。
「どうぞ、メニュー名」
「えー……」
「大和特製のって入れると、それっぽい」
「じゃあ、ただのホットサンド、で」
「大和特製のただのホットサンド。微妙だけどまあいっか、いただきます!」
最終的に空腹の方が勝った星来は、てきとうに締めて、ホットサンドを食べ始める。何とも自由である。
もぐもぐと食べる星来をちらりと見上げた。
「美味しい、さすがただのホットサンド」
それを見てほっとした。あ、今のは駄洒落ではない。大和は自分の心に言い訳をする。
同じようにしてコールスローの挟まれたホットサンドを口にする。さくさくとした食パンに、良い感じにマヨネーズが溶けて食べやすい。双子の卵は、中身がとろけていた。チーズカレーは言わずもがな。
空腹を感じて作り始めたのを途中から忘れていたな、と思い出す。口に入ると食欲が増した。
テレビでは昼の情報番組がやっている。星来が「この人前も捕まってなかった?」と首を傾げるのを見ながら、大和は学校のことを考えた。
「友達と、喧嘩した」
一週間前のこと。一番仲の良い友人と言い争いになった。
星来はコーヒーを飲みながら大和を見る。
「へー、なんで?」
学校へ行かないと言った大和に仁奈は理由を問うたが、大和は頑なに話さなかった。親子二人の問題に星来は我関せず、仲裁に入ることもどちらの味方になることもしなかった。同じように、昼になっても学校へ行かない大和に「学校行かないの?」と聞いたりすることも。
仁奈の仕事の殆どが短期出張なので、大和との問題は解決せず、仕事へ行ってしまった。行きたくない子供を無理に行かせようとも思わなかったのか。尋ねる気もないであろう妹に大和を任せて。
「……嘘つきって言われた」
「嘘ついたの?」
「ついてない」
じゃあ何故、と星来は目をぱちくりさせ、窓の外から聞こえた学校のチャイムの音に顔を上げる。
「……星来ちゃんが」
「私?」
「星来ちゃんが魔女だって言ったら、嘘だって」
大和が星来を見た。その瞳に光が入り、少し灰色がかる。自分も同じものを持っているのに、他人のものは一等美しく見えた。
「言ったの?」
「言ったよ」
「何故?」
何故。
一緒に住んでいる叔母の話をする機会が男子たちにあるかどうかは分からない。いや、仮にあるとして、だ。
「自慢、したかったから」
素直に言った大和に、少々面食らう。それは若さからなのか、それとも根本なのか。
生まれて星来の半分も経っていない大和のことは分からない。
「自慢かあ……んー」
それだと咎める気も少し減る。星来はカップに残った残りのコーヒーを見た。
「私の……私と大和のお母さんの国では、魔女は劣性遺伝なのよ」
「れっせい遺伝?」
「珍しいっていうか、あんまりないっていうか、まあもう廃れる遺伝子と文化なんだけど」
「すたれる……」
「魔女はもうすぐ居なくなるのよ」
それを聞いて、大和は一瞬固まる。
「まあ、だから魔女は特別じゃないの。人から讃えられるものでもない」
「でも嘘じゃない」
「確かに。仲直りはしないの?」
「しない。もう友達じゃない」
へー、と星来は頷いた。
「なんで大和はそのこと」
仁奈に話さなかったの? と続くと思った、が。
「私に話してくれたの?」
この一週間、日中は二人でいることが多かったが、特に話すことは無かった。星来がリビングで動いている音がする間は、大和は顔を出そうとはしなかったからだ。
「本当は、学校行って仲直りしたいと思ったんじゃない? だから、話してくれたんじゃない?」
大和は否定しない。自分のやりたくないことはきちんと否定する子供なのに。
星来は肩を竦めた。
「その子と仲直りしても、しなくてもさ、いつか大和の友達、連れてきなよ」
「連れてきて、どうすんの?」
「今日みたいに一緒にご飯作れば良いのよ。そしたら、話しづらいことも話せるようになるから」
今、この時みたいに。
窓の外で学校帰りの子どもたちの声が聞こえ始めた。大和は頷かなかったが、首を振ることもしなかった。
夜、仁奈から電話がかかってきた。
『美味しそう』
「ちゃんとメニュー名もあるんだから」
『つけさせたの? 拘るねえ』
「名前は大事だから」
ふふ、と笑う姉妹。リビングで刺繍をする星来は、テレビの音を消した。
リビングの扉か開き、風呂から上がった大和が星来の後ろ姿を見る。スピーカー音になった仁奈の声に、足音を消してキッチンへ入った。冷蔵庫から麦茶を出して、そのまま部屋へ戻ろうとする。
途中で視線を感じ、そちらを見れば、星来が振り向いていた。
「帰ったら、作って欲しいって」
大和は形容し難い表情になり、口をぱくぱくさせてその場に留まる。
「……ただの、ホットサンドだから」
「メニュー名です」
『楽しみにしてる!』
電話の向こうで、嬉しそうな声が聞こえた。
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