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第332話
千尋が立ち上がると羽鳥もゆったりと歩き出す。そんな千尋と羽鳥の背中に流星と息吹の応援が聞こえてくる。
千尋と羽鳥が壇上に上がると、傍聴席はさらにシンと静まり返った。それとは裏腹に楽が涙目でこちらを見上げてくる。
千尋は楽の隣に立ち、楽の頭に手を置いた。その途端、楽のガチガチに固まっていた身体から力が抜ける。
「よく頑張りましたね、楽。立派でしたよ」
「いえ、俺は何も……黙って聞いてただけです」
「この状況でちゃんと聞いてるっていうのも十分凄い事だよ」
羽鳥はそう言って楽の背中を軽く2度叩いた。そんな千尋と羽鳥を見て千眼が声を荒らげる。
「どうしてここに千尋と羽鳥が居るんだ! 弁護人は協会から選出されたはずだぞ!?」
千眼の声に千尋はちらりと羽鳥を見た。すると羽鳥はおかしそうに肩を揺らす。
「ああ、君は管轄が違うから知らないのかな? いくら誰かが小細工をしても、こういう大きな事件の弁護人は協会の最高責任者が選出される。ただ単に楽の年齢詐称ってだけの裁判であれば僕じゃなかったかもしれないけれど、そこに姫が関わっているのなら話は別だよ」
笑顔でそんな事を言う羽鳥に千眼はあからさまに舌打ちをして初を睨みつけている。恐らく楽の弁護の件を任されていたのは初なのだろう。
「ち、千尋さまと羽鳥さまが証人と弁護人をされるなんて俺は聞いていないぞ、千眼!」
羽鳥の言葉にそれまで呆気にとられた顔をしてこちらを見ていた初の弁護人がようやく口を開いた。
「俺だって聞いてなかった……千尋は何なんだ?」
「私はあなたと同じ立場ですよ。ただの証人です」
「それも聞いてないぞ」
「別に言わなければならない義務など無いでしょう?」
そう言って千尋はちらりと視線を傍聴席の上に向けた。その視線の先には謙信と王が座ってこちらを睨みつけるように見下ろしている。
「さて、そろそろ始めよう。皆が待ちくたびれてしまう」
羽鳥の言葉に裁判官が恐る恐る頷く。きっと彼はどちらに味方をしても身の危険を感じているのではないだろうか。
「では楽。最初から事の経緯を話してください。あなたは水龍、千尋の暗号を盗んだと嘘をつきましたね? それはどうしてですか? そしてその際に初さまを通じて自分の年齢を詐称しました。それは何故です?」
「初さまが俺に千尋さまを嵌めた犯人が見つかるかもしれないと言ったからです。真犯人を見つけ出すのに協力をしてほしいと頼まれました。でも俺はその事件が起こった時にはまだ赤ん坊でした。それを初さまがどうにかしてくれると言ったので、それに従いました」
「なるほど。初さま、あなたはそれを楽に頼んだのですか?」
「いいえ。楽の方から持ちかけてきたのです。俺は真犯人を知っている、と。そもそも私が楽にそんな事を頼むはずもありません。だって、そんな事をして私になんの利があるのですか? それどころか私は楽の年齢を詐称するという罪の片棒まで担がされたのですよ!」
「ありがとうございます。では初さまの弁護人、主張をどうぞ」
裁判官はそう言ってチラリと初の弁護人を見たが、あちらの弁護人は完全にやる気を失ってしまっているようだ。それでも渋々立ち上がろうとしたその時、ふと羽鳥が手を上げた。
ここまでは予想通りの展開だ。あちらは楽にどうにか罪をかぶせて追放したい。その為に楽が嘘をついているという状態に持っていきたいに違いない。そして可哀想な初はまた利用されてしまった、という筋書きなのだろうが、そうはいかない。
「発言を許可します」
「ありがとうございます。そもそも初はそんな話をするほど楽と仲が良かったのかな?」
「それは是非とも私も聞きたいですね」
腕を組んで千尋が問いかけると、初と弁護人が一瞬表情を強張らせた。
「番の屋敷の事だもの。主が不在であれば私が管理をしてやらなければならないわ。その時にそこの犯罪者とも話をする機会があっただけよ」
「なるほど。それじゃあ君は千尋が居ないのに何度も何度も千尋の屋敷に足を運んでたということなのかな?」
突然の羽鳥からの質問に初が固まった。もちろんあちらの弁護人も固まっている。
「そ、そうよ。私は楽の様子を見に行ってやっていたの」
「執事ですか。あなた楽の事を執事だなんて思っていなかったでしょう? 私によく楽の事を召使だと言っていたではありませんか」
追い打ちをかけるような千尋の言葉に初は引きつるが、それを聞いて羽鳥が笑みを浮かべた。
「ふぅん。それじゃあもっと変だね? 君のような高貴な立場の人がどうしてそんなにただの召使の楽に頻繁に会いに行ってたんだろう? 何か他に目的があったのかな?」
「何も無いわよ! 世話をしに行ってやってただけ! それのどこが不自然なのよ!」
「不自然でしか無いですよ。世話をしてやっていたとあなたは言いますが、私が今回の里帰りで楽に会った時、楽の服はあちこち擦り切れていました。生活費も修繕費も全て自分の分配の分を使っていた。これのどこが世話を焼いていたのですか?」
千尋の言葉に初は傷ついたような顔をしてこちらを見てくる。
「ねぇ……どうして千尋がそんな事を聞いてくるの? あなた、私の番でしょ?」
「どうでしょうか。もしもあなたが今回の事件に何かしらの関与をしているのであれば、私はあなたとの番関係を解消しますよ。もしかするとあなた達は私が龍の自尊心を優先させてそんな事は絶対にしないだろうなどと考えているのかもしれませんが、私がそもそもあなたと番になったのは、事件に巻き込まれてしまった可哀想なお姫さまだと思っていたからで、その大前提が違うのであれば何も私があなたと番でいる必要もありませんよね?」
千尋の言葉に会場が湧いた。恐らく皆が今日聞きたかったのはこの部分なのだろう。はっきり言って当時の事件のあらましになど誰も興味を持っていないのだろうけれど、この裁判はこれだけの人達の前でしなければならなかった。とにかく証人が沢山欲しかったのだ。でなければ初達がどこで真実を捻じ曲げてしまうか分からない。
千尋の言葉に初の顔から表情が消えた。
「そんな事出来る訳ない。水龍がそんな事する訳ないわ。あなた分かってるの? 番を解消するという事はこの世で最も忌むべき行為なのよ!?」
「それはあなた達のような高貴な方々が勝手にそう思い込んでらっしゃるだけでしょう? 残念ながら私の出自はそこまで高貴ではないのですよ。ただの水龍というだけで高官の家に貰われただけの庶民の子なので、そんな雲の上の方たちの道理など知りません。ねぇ? 羽鳥」
「そうだねぇ。僕もそのへんの倫理観はよく分からないな。ほら、何せお祖母様が人間だからさ」
皮肉をたっぷり込めてそんな事を言う羽鳥に会場が静まり返るが、そんな流れを千尋は変える。
「そんな話はどうでも良いのです。あなた、楽に何の用事があって毎度毎度うちの屋敷に足を運んでいたのですか?」
「そ、それはあなたの話をしに……」
視線を泳がせて言いにくそうにする初を見兼ねたのか、裁判官は楽に言う。
「楽、初さまは何をしに千尋の屋敷を尋ねていたのですか?」
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