526人が本棚に入れています
本棚に追加
第1話
空には今も龍神が住んでいる。小さな箱庭の中で、愛する少女と共に。
♥
鈴は今年で16歳になった。幼い頃は両親と共に海外に住んでいたが、8歳の時に父を戦争で亡くし、同じ年に母を結核で亡くしてしまった為、その後たった一人で日本に戻って叔父の勇と、その妻の久子夫婦の所で世話になっている。
鈴が世話になっている佐伯家は代々続く女系の家系で伯爵の爵位を持っていた。勇はそこに婿養子という形で入ったのだと母から聞いていた。
そのため今の当主は実質久子のようなものだ。大きな屋敷は純和風の家屋で庭には大きな蔵があり、そこが鈴の部屋だった。
叔父夫婦には二人の娘がいる。名前は蘭と菫という。蘭は鈴より1つ上で、菫は同い年だ。
蘭は高等女学校では常に成績優秀で教師や友人達からも一目置かれる存在だったそうだ。このまま進学をするかどうか随分悩んでいたが、結局進学を取りやめて自分の夢に向かって邁進する道を選んだ。その夢を鈴には教えてはくれなかったけれど、蘭はとても優秀だ。きっとその夢を叶えるだろう。
一方の菫は何とか実科高等女学校に入りはしたものの、久子の話では蘭ほど優秀ではないようだった。それでも学校に通えるだけで凄い時代だ。こんな二人が鈴の唯一の自慢だった。
ある日の事。鈴がいつものように庭仕事をしていると、勇の部屋からこんな声が聞こえてきた。
「絶対に嫌よ! 娘をあんな得体の知れない所へ嫁がせるなんて!」
「こら、そんな大きな声で」
「私は反対よ。ええ、ええ、大反対です! あんな気味の悪い家と繋がりを持つなんてゾッとするわ!」
「それじゃあ断るのか?」
勇の声に叔母の声が一瞬途切れた。続いてさっきとは打って変わって明るい声が聞こえてくる。
会話の内容が気になった鈴は、いけないと思いながらも手を止めてこっそりと縁側から勇の部屋の中を覗き込む。
「こちらから断るのは世間体が悪いし……そうだわ! あの娘に行かせるのはどうかしら?」
「……鈴か?」
勇が怪訝な顔で聞き返すと、久子は嬉しそうに頷く。
「しかし鈴は佐伯の者ではないんだぞ? 俺の姪だ。的場の者なんだぞ?」
「あちらの条件は佐伯家に居る娘ですもの。問題はないはずよ。どうせ形だけでの縁談よ。でも形だけとは言え、もしもあの子があちらの家から追い出されたらもう恥ずかしくて外には出せないわ。その時は仕方がないから一生蔵に閉じ込めてしまうかしかないわね。それこそ、死ぬまで」
そう言って久子はほくそ笑んだ。
鈴はそこまで聞いてそっとその場から離れた。久子に好かれているとは思っていなかったが、その先を実際に聞いてしまうときっと傷ついてしまう。いっそ外に放り出してくれた方が気が楽だ。
鈴はそのまま逃げるように調理場に向かい、いつものように淡々と皆の分の料理を作る。そしてその残り物で自分の夕食におにぎりを1つ、漬物を三切れだけ持って蔵に戻った。
元々は鈴も母屋に住んでいたが、ある事件をきっかけに鈴は母屋に上がることすら許されなくなってしまった。
けれど今はそれで良かったと思っている。ここに居ればヒステリックに鈴の事で怒鳴る久子の声も聞こえてこない。
蔵に戻ってしばらくすると、いつも蔵には外から鍵がかけられもう朝までここからは出られない。食事は冷たい土の上だ。風呂は調理前に裏の井戸で済ませた。
最初のコメントを投稿しよう!