第324話

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第324話

♠  夕方頃まで千尋は鈴と共に部屋に篭って仕事をしながら他愛もない話をしていたが、鈴は時間になると夕食の支度があると言ってとうとう部屋を出ていってしまった。    鈴が居なくなった部屋は何だかガランとしていてやけに広く感じる。以前はそんな風に感じた事などただの一度も無かったけれど、今はもう鈴の居ない場所はこれほどまでに空虚な空間に感じられた。    夕食の時間が近くなると急にソワソワするようになったのも最近の事だ。    普段は日中あまり鈴と過ごす時間が無い。だから余計にそう思うのかもしれないと思っていたが、日中ずっと一緒に居てもどうやらそれは変わらないらしい。    食堂に行くとそこでは鈴が雅と談笑しながらいつものように配膳をしていて、千尋に気づくと満面の笑みを浮かべて小走りに寄ってくる。    何だかその様が小動物が駆け寄ってくるようで千尋は気づかぬ間に笑みを零すのだ。    そして夜、千尋は以前と同じように支度を終えてソファで辞書を引きながら鈴から受け取ったノートを見ていた。   「It was a beautiful sunny day ……ああ、よく晴れた日と訳すのですね。Since Chihiro-sama was leaving at midnight, dinner was her favorite, pork cutlet. 夜中に千尋さまが出発するので、夕食は千尋さまが大好きなとんかつにしました。何だか思っていたよりもずっと可愛らしい日記ですね。I enjoy cooking for him because he always looks so good eating his food! 彼は美味しそうにご飯を食べてくれるから作るのが楽しい、でいいのでしょうか……」  千尋は記念すべき日記の1ページ目を見て笑みを噛み殺した。鈴の日記は思っていたよりもずっと単純明快で訳しやすい。きっと英語が読めない千尋に気を使ってくれたのだろうが、それでも鈴の喜びや楽しみが伝わってきて思わず千尋の心も弾んだ。    そこへ鈴がやってきた。   「開いていますよ」  千尋が声をかけると鈴がお茶と羊羹を持って入ってくる。   「千尋さま、お夜食に羊羹はどうですか? 夕食に間に合わなかったんです」 「作ったのですか?」 「はい。固まりきっていなくて、先程ようやく固まったんです」 「そうでしたか。わざわざありがとうございます。鈴さんも一緒にどうぞ」 「ありがとうございます! あ、お茶入れますね」  部屋へ入ってきた鈴はそう言ってくるくると動き始めた。千尋はその間に散らかった机の上を整える。   「美味しそうですね」  鈴からお茶を受け取った千尋が目を細めると、そんな千尋を見て鈴は嬉しそうに笑う。まさに日記に書いてあった通りだ。    二人でしばらく羊羹を食べながら舌鼓を打っていたが、ふと鈴が机の端に置かれたノートを見つけて顔を赤らめた。   「も、もう読んでいたのですか?」 「ええ。返事を書こうと思いまして。そうだ! 伝えるのを忘れていました。鈴さん、こちらへ」  立ち上がって本棚の前まで移動した千尋は、一番上にある棚の本を一冊引き抜くと、ガチャリと鍵が外れる音がする。それを聞いて鈴がハッとした顔をして千尋を見上げてきた。   「この本を抜くとね、この本棚が開くようになっているのです。どうぞこちらへ」  そう言って千尋が手を差し伸べると、鈴はその手を掴んで目を輝かせている。どうやら部屋の仕掛けに興味津々のようだ。    隠し扉が開くとそこは2畳ほどの空間になっているのだが、鈴は楽しそうに部屋を見渡している。   「面白いですか?」 「はい! 何だか難しそうな本や実験道具のような物が沢山置いてありますね」 「ここには都から持ち帰った文献や今までの龍が残した日誌などが保管されているのですよ」  千尋は物を避けてさらに奥に進むと、その一番奥に一枚の大皿が置いてある。その皿を手にとって千尋は言った。   「この皿はね、都の私の屋敷の皿と繋がっているのですよ」 「へ?」  突然の千尋の言葉に鈴がキョトンとして首を傾げて皿と千尋を何度も見比べる。   「この皿は原初の水というとても珍しい水を使って作った皿で、原初の水は地上と都を繋ぐ唯一の物です。あの鏡もそう。銀の代わりに原初の水が使われている。だからあの鏡は地上と都を繋ぐことが出来るのです」 「凄いのですね、そのお水は」 「ええ、凄いのです。なので鈴さん、この皿を使って日記のやりとりをしましょう。私も書き終えたら都から皿を使って日記を送り返すので、鈴さんもこの皿を使って日記を送ってくださいますか?」 「もちろんです! ですがそんな事に使っても良いのですか?」 「むしろそれ以外に使い道が無いですからね。最初はそれこそこの皿を使って都と書類のやりとりしていましたが、だんだん人間が増えてきた事で都にまで手が回らなくなってしまったのです。それから一度も使っていないので、皿もまた役目が出来たと喜ぶ事でしょう。この皿に置いた物は相手が受け取ったら消えるようになっています。それを目安に送ってくださいね」  皿に積もった埃を払いながら言うと、鈴は持っていたハンカチで丁寧に皿を拭き出した。   「わかりました! このお皿は千尋さまの古いご友人なのですね。ちなみにこのお皿は洗ったりしても大丈夫なのですか?」 「ええ、多分。洗った事など無いので何とも言えませんが」  せっかく真っ白だったハンカチが埃のせいで真っ黒になるのが申し訳なく思いながら言うと、鈴は笑顔で頷いて皿を撫でる。   「では明日、綺麗に洗いましょう。せっかくの模様も見えないままでは可哀相ですから」 「ありがとうございます。そしてすみません」  こんな事なら普段からきちんと磨いておけば良かった。そう思いつつ千尋は嬉しそうに皿を拭く鈴を眺める。   「この皿を部屋へ持ち帰っておいてください。いちいちこの部屋まで取りに来るのは面倒でしょう?」 「面倒ではありませんが、ここは千尋さまの秘密基地ですもんね! 分かりました。では千尋さまが戻ってくるまでこのお皿は私の部屋に祀っておきます!」 「いえ、別に祀らなくても……ちなみにこのお皿に乗る物であれば何でも送る事が出来るので、何か都で面白い物があれば鈴さんに送りますね」 「はい!」  前回の里帰りではまだ鈴の事を自分がどう思っているのかも分からなくてこの皿の事は話さなかったが、今は都で何か見つけたら真っ先に鈴に送ろうと思う。たったそれだけの事だというのに都に戻るのが何故か楽しみになるから不思議だ。    しばらく皿をじっと見ていた鈴は、何かに気づいたかのようにハッとして千尋を見上げてきた。   「あの、このお皿はもしかして食べ物も送る事が出来ますか!?」 「ええ、送れますよ。以前言ってた鈴さんのパウンドケーキも流星達に送ろうと思えばいつでも送れると言ったのはこの皿の事ですから」  単純にそれをしたくなかっただけなので鈴にはずっと黙っていたのだが、鈴はそれを聞いて嬉しそうに皿を抱きかかえる。   「何故そんなに嬉しそうなのですか?」
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