第325話

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第325話

「あ、いえ、千尋さまは都に戻ると食事をしなくなるでしょう? だからこれがあれば簡単な物であれば食事を送れるかなって思って……でもよく考えれば都にも食べ物を売っている所はありますよね」 「ありますが、今回は休暇という訳ではないので鈴さんの言う通り食べない事もあるかもしれませんね」  むしろ鈴が作ってくれる食事が一番美味しいという事を千尋はもう知っている。そこら辺に売っている食事と鈴の食事であれば、比べようもなく鈴の食事の方が良いに決まっているのだ。    千尋の言葉に鈴は心配そうに千尋を覗き込んでくるので千尋は笑顔で言う。   「作ってくれると助かります。楽もきっと喜ぶでしょう」 「はい!」  千尋の言葉に鈴は嬉しそうに頷いたが、何故かその後すぐに鈴は耳まで赤くして俯いてしまう。   「何故俯いてしまうのですか?」 「こういうのを独占欲というのかと思うと、少し恥ずかしくなってしまいました」 「独占欲? 独占欲で私に食事を作りたいのですか?」 「多分そうだと思います。もちろん心配なのもありますが、千尋さまのご飯はこれからもずっと私が作っていたいです」 「鈴さん」  こんなにも可愛い独占欲など聞いた事がない。    千尋は思わず腕を伸ばして鈴を引き寄せると、そのまま鈴を抱きしめた。   「あなたは本当に私を一生大事にしてくれるのでしょうね。私もあなたと同じぐらいの思いを返したいです。これから先もずっと」 「十分返してもらっていますよ、千尋さま。それに千尋さまも一生私を大事にしてくれるだろうなって思ってます。お揃いですね」 「ええ、お揃いです」  千尋は鈴のこのお揃いですね、という言葉が好きだ。千尋の中の渇望するような一般的には醜いとされる感情すらも鈴と同じかもしれないと思えるからだ。    それからしばらく二人はいつものように楽しく話していたのだが、窓の外を雨が打ち始めた。    それに気づいた鈴が千尋の手をぎゅっと握ってくる。その指先が少しだけ震えている気がして千尋はそっと鈴の頭を撫でた。   「すぐに戻りますね、鈴さん」 「はい、お待ちしてます。どうかお気をつけて」 「ありがとうございます。さて、それでは楽を迎えに行きましょうか」  千尋が鈴の唇に軽く口づけると、立ち上がり鈴の手を引いて廊下に出た。    鈴に少しだけ炊事場に寄ってほしいと言われたので先に炊事場に寄って居間へ行くと、そこにはガチガチに固まった楽と、それを宥める雅と弥七と喜兵衛がいる。   「どうしたのですか?」 「あ、千尋! ちょっとこいつにあんたの度胸分けてやってくれよ」 「度胸?」 「そうだよ! こいつ、さっきからずっと震えてんだよ」  そう言って雅は楽の頭をぐしゃぐしゃと撫でるが、楽はそんな事にすら気づかないほど震えながら何かブツブツと呟いている。   「お、俺帰って来られるかな? そのまま一生幽閉とかになったらどうしよう……まだ菫に借りた本全部読んでないのに……」 「楽、大丈夫ですよ。年齢詐称で追放や幽閉などありえません。せいぜいどこか辺鄙な場所での奉仕活動ですよ」 「ほ、本当ですか!? すぐにこっちに帰ってこれますか!?」 「すぐにかどうかは分かりませんが、それぐらいが妥当です。刑罰が実行されるまでに少し時間があると思うので、菫さんに借りた本をちゃんと返すのですよ」 「は、はい!」  千尋の言葉にようやく楽の震えが収まった。鈴はそんな楽を見てホッと胸を撫で下ろしている。   「楽さん、戻ってこられたらまた一緒に千尋さまの幸せの為に頑張りましょうね!」 「おう! 奉仕活動頑張ってくる!」 「その前に菫さんにはちゃんと事情を説明しておかないといけませんよ? 奉仕活動は短くても50年ぐらいはこちらに戻れないのですから」 「そ、そんなに長いのですか!?」  神妙な顔をした楽とは違い、鈴は目を丸くして千尋を見上げてきた。   「ええ。50年など私達からすれば一瞬ですが、人間の50年は長いですよね。だから余計にあなたは菫さんや的場家の方たちにお礼とお別れを言っておかないといけませんよ、楽」 「……はい」  何か思う所があるのか楽は俯いて下唇を噛みながら頷く。可哀相だとは思うが、罪を犯せば罰を受けなければいけない。それはどこの世界でも同じ事だ。    ただ、千尋は出来る限り楽の罪を軽く出来るよう尽力するつもりだ。楽はまだ子どもで初や自分も含めた周りの大人たちによって利用されただけなのだから。   「さあ楽、そろそろ報せが来ます。どうしますか? 龍に戻りますか?」 「あ、はい」  気もそぞろな様子で楽は龍の姿に戻ると、ぽてぽてと千尋の側に寄ってきた。そんな楽を見て鈴の目が輝く。   「か、可愛い……」 「うるさい! 可愛いって言うな!」 「ご、ごめんなさい! で、でも……Too cute!」  思わず英語で叫んだ鈴に楽はキョトンとしているが、それを聞いて千尋は思わず笑ってしまった。   「こんな時だけ英語を使うのは狡いですね、鈴さん」 「だ、だってまた怒られてしまいますから」 「おい待て! なんだよ、どういう意味なんだよ? 怒られるような事言ったのか!?」  鈴を見上げて脅すように牙を見せる楽だが、それでも鈴は笑みを絶やさない。多分、今の楽では何をしても鈴に喜ばれてしまうのだろう。   「いいですね、楽。私もあなたのような姿であれば鈴さんに愛でてもらえたかもしれないなんて」 「愛でられてるんですか!? おいお前! 帰ったら覚えてろよ!」 「はい! 楽さんも気をつけて行ってきてくださいね。それからこれ、お弁当です」 「え!? あ、ありがとう」  鈴から弁当が入った風呂敷を受け取った楽は、それを大切そうに抱える。そんな楽の頭を撫でた鈴は、くるりとこちらを振り返った。   「これは千尋さまの分です。どうかお二人共、お気をつけて」 「ありがとうございます、鈴さん。皆も私達が居ない間、屋敷と街の事をよろしくお願いします。私の居ない間にこちらに何か仕掛けてくるような危険は侵さないとは思いますが、十分に気をつけて」  千尋の言葉に全員が強く頷いた。それからすぐに庭に大きな雷が音もなく落ちる。   「あれ? 今日は音無しかい?」 「ええ。今回は流星ではないので。それでは行きましょう、楽」 「は、はい!」  千尋は楽を抱き上げて庭に出てすぐさま龍の姿に戻り屋敷の窓を見ると、全員こちらを心配そうに見つめていた。こんな見送りは初めてだ。    何だか感慨深さに目を細めていると、音の無い雷がもう一つ落ちる。    千尋は楽を抱えてその雷の光に紛れて空に向かって一直線に空に昇ったのだった。      ♥ 「……行っちゃいましたね」 「ああ。今回のお迎え龍は随分時間にきっちりした奴だったんだな」  雅に言われて時計を見ると、日にちが変わってまだ5分も経っていない。流星は深夜の2時頃に派手に雷を鳴らしたので、それを考えると今回のお迎えは随分と控えめだ。   「おまけに音の無い雷なんて初めてでしたね」 「いつもこれぐらい静かに迎えてくれりゃ良いのにな。そしたら音で目を覚まさなくても済むっつうのに」
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