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第326話
苦笑いを浮かべながら空を見上げる弥七に雅が激しく頷いている。何よりも雷の音が嫌いな雅にとって、今回のお迎えは本当に有り難かったのだろう。
「何だか静かですね」
庭はシンとしていて、ついさっきまでそこに大きな青い龍が居た事がまるで夢だったかのようだ。
「楽が居ないからかな。あいつは何だかんだ言ってもう、うちの末っ子みたいなもんだったから」
「そうかも。あいつは存在がもう賑やかだからな」
弥七と喜兵衛はそんな事を言い合って笑っているが、その顔はどこか心配そうだ。
「あんた達そんな顔しなさんな。悲惨な事にならないように千尋がついてったんだ。酷いことにはならないよ。それよりもあたしは鈴の方が心配だ。あんた達、今まで以上に鈴をしっかり守るんだよ!」
「はい!」
「おう」
「あ、ありがとうございます! でも皆さんも気をつけてくださいね!」
その日は何となく皆、心配だったのだろう。誰も部屋には戻らず結局朝方まで居間で他愛ない話をして過ごした。
朝方に寝たせいで鈴が目覚めた時には既に昼を回っていて、慌てて寝台から飛び起きた。
やはりいつか雅が言っていたように徹夜をするには相当な経験を積まないといけないようだ。
「すみません! 盛大に寝坊をしてしまいました!」
慌てて炊事場に行くなり頭を下げた鈴を見て、喜兵衛が笑って言う。
「大丈夫ですよ、鈴さん。皆起きたのさっきなんで」
「そ、そうなんですか?」
「そうです。姉さんなんてもっかい寝るって言って削り節持ってどこか行ってしまいました」
「ええ!?」
「良いんですよ。千尋さまが居ない時なんて皆こんなだったんです。あの方は100年に一度一月もの間家を開けるでしょう? その間が自分達の休暇だったんです。花嫁の世話だけしてそれ以外は皆自由にしてました」
それを聞いて鈴は目を丸くした。
「そ、そうだったのですか」
「そうだったんです。毎日が正月みたいなもんだったんです」
苦笑いを浮かべる喜兵衛を見て鈴まで思わず笑ってしまったのだが、それでも食事だけは出来れば皆と取りたい。
「あの、迷惑でなければその、食事だけは一緒に皆で取りませんか?」
「? 自分達とですか?」
「はい。一人で食べるのは寂しいです」
しょんぼりと呟いた鈴に喜兵衛は笑顔で頷く。
「もちろんです。では自分達だけは休暇は返上ですね!」
「す、すみません! そういうつもりで言った訳ではなくて!」
「ははは! 冗談ですよ!」
焦る鈴を見て喜兵衛は珍しく声を出して笑った。そんな喜兵衛を見て鈴はホッとする。やはり食事は皆と一緒に楽しく食べたい。
とりあえず夕食からまた皆で決まった時間に食べると約束を取り付けた鈴は、それを弥七に伝える為に庭に出た。
「弥七さんどこだろう? またお野菜の本読んでるのかな」
いつもなら大体この時間は東屋で野菜の本を読んでいる弥七だ。
鈴は東屋に向かいながら何か気になって空を見上げて息を飲んだ。空で何かがきらりと光った気がしたのだ。
何だか嫌な予感がしてふと視線を戻すと、東屋ではいつも通り本を読む弥七が居た。それに気づいた鈴は一直線に弥七に向かって走る。
「弥七さん!」
「ん?」
弥七が本から顔を上げたその時、一本の光輝く矢のような物が東屋の屋根を突き破ろうとしていた。
鈴は東屋に飛び込んで弥七を力いっぱい押して東屋から出すと、急いで胸元から千尋の懐剣を取り出して強く千尋の名を叫んだ。
「千尋さま! 力を貸してください!」
鈴では龍の力になど何をやっても敵わない。
けれど千尋の大切な家族は自分も含めて絶対に護りたいし、千尋もきっとそう思っている。
鈴が剣を構えたのと同時に矢のような何かがとうとう東屋の屋根を突き抜けて鈴が構えた剣先に当たった。すると不思議な事に剣を握っていた手が勝手に動き、自分の周りから何かが立ち上っている。
「す、鈴、お前……」
「弥七さん! 避けて!」
鈴が叫ぶと、弥七はその場を飛び退いた。そこに剣に一瞬吸い込まれたように見えたと思った先程の矢が突き刺さる。
それと同時に鈴から立ち上る水色のもやもやした何かが今度は大きな矢に姿を変えて空に向かって物凄い速さで駆け上っていったではないか。
一体何が起こったのか訳がわからなくて鈴がポカンとしてその場に座り込むと、弥七が真っ青な顔をして駆け寄ってくる。
「お、おい! 大丈夫か!? どこも怪我してないか!?」
「だ、大丈夫です。弥七さんこそ、大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫だけど……この馬鹿野郎! どうして俺を庇ったりしたんだ!」
弥七は座り込んだ鈴の肩を掴んで何とも複雑な顔をして鈴に怒鳴ってくるが、鈴は思わずそんな弥七に言い返した。
「庇います! 私はもう家族をこれ以上失いたくないのです!」
語気を強めて言った鈴を見て弥七がゴクリと息を呑んで鈴の前にため息をつきながら座り込んだ。
「だからってお前……危ないだろ……助けてくれたのはありがたいけど、頼むからもうあんな無茶はしないでくれ……」
「それは……すみません。でもあの矢は一体何だったのでしょうか……」
弥七が飛び退いた場所に間違いなく矢は刺さったはずなのに、今はもう何も残っていない。弥七も不思議そうに矢が刺さった場所を見ているが、
そこには何かが刺さった跡があるだけだ。
「分からん。分からんが、あれは昨日降ってきた奴とはまた違う奴だな」
「はい。今回のは白色でした」
「白か……という事は風龍かな。水龍は青で火龍が赤、黄色は雷龍だし草龍は緑だろ? 残りは風龍しか居ないもんな。あいつらの力ってご丁寧に色分けされてるみたいだし」
冗談交じりに言った弥七は鈴の頭をポンポンと撫でた。
「ありがとな、鈴。でっかい借りが出来ちまったな」
「借りだなんて! でも私から飛び出して行ったあの矢は千尋さまの矢ですよね?」
「だろうな。水色だったし。あれが番の加護ってやつか?」
「多分?」
思っていたよりも強い加護に鈴は慄いているのだが、もしもこの加護が無かったら、今頃鈴達は間違いなくあの白い矢に貫かれていただろう。
「千尋さま……ありがとうございます」
鈴は空に向かって呟くと、弥七と共に急いで屋敷に戻った。この事をすぐに雅達と千尋に知らせるべきだと思ったからだ。
♠
昨夜遅くに地上を後にした千尋は、いつもの場所とは違う場所から都に足を踏み入れた。そこは古くからある一部の龍だけが知る地上への抜け道だった。
「千尋さま、こんな所から帰るんですか? ていうかここどこですか?」
「ここは羽鳥の秘密の場所です。そうだ、言い忘れていましたが、今回私達は自宅には帰りませんので」
「え? それじゃあどこに――」
楽が言い終える前に千尋は前方のなだらかな坂の先にあるこじんまりとした家を指さした。
「あそこです。羽鳥の別荘だそうですよ」
「羽鳥さまの所でお世話になるという事ですか?」
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