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第328話
そこまで言って楽は視線を伏せた。きっと50年ほど地上に下りる事が出来ないかもしれないということを思い出したのだろう。
「ふぅん。これは千尋頑張らないといけないね。可愛い火龍の為にも」
「ええ、どうやらそのようです」
楽が想っているのは間違いなく菫だ。であれば千尋は協力を惜しまない。菫がもしも楽と番になれば、鈴が喜ぶに決まっているからだ。
悲しげに俯く楽の頭を撫でた千尋が空気を変えるように弁当を開けると、そこにはやっぱりおにぎりと卵焼きとゼリーが入っている。
「あ、食べてもいいですか?」
「どうぞ。そんな嬉しそうな顔して弁当開けた人に駄目とは言えないよ」
苦笑いを浮かべた羽鳥に千尋は頷いてお礼代わりにおにぎりを一つ分けてやる。隣では楽も弁当を開けて嬉しそうに目を細めていた。
「ああ、お祖母様の味がする……懐かしいな」
「それは良かった。仕方がないので卵焼きも半分差し上げましょう」
「ありがとう。やっぱり料理上手なお嫁さんは良いね。千尋は毎日こんな贅沢をしていたんだね」
「ええ。羨ましいでしょう?」
「羨ましいね。やっぱり僕も番探しに地上に降りようかな」
冗談めかしてそんな事を言う羽鳥に千尋は思わず笑ってしまった。
明日からの事を思えば気が滅入るが、今はただ地上での暮らしを友人と語り合うのも悪くない。こんな時間を大切な時間だと思えたのもまた、初めての事だった。
翌日、鈴の加護が発動した事に千尋が気づいたのは楽の意見陳述が終わり羽鳥が作ってくれた昼食を食べている時だった。
それと同時に窓の外に一羽のカラスが足に紙を巻き付けてやってきた。
「どうしたんですか? 千尋さま」
突然食べる手を止めた千尋に楽が首を傾げて尋ねてくるが、千尋はそれを無視して席を立つと鈴から受け取ったノートを開いて走り書きをする。
ノートを地上に送って戻ってきた千尋に羽鳥が一枚の長細い紙切れをひらひらさせて笑っていた。
「やっぱり番の加護って突然分かるものなの?」
「そうですね。勘というか、違和感を感じると言うか――私も初めてなので何とも形容しがたいですね」
「も、もしかして本当に加護が使われたんですか!?」
「ええ、そのようです。それで、羽鳥のそれは?」
「都の外で風龍が死んだってさ。水龍の矢に貫かれて」
「そうですか。今度は風龍ですか。やはり私が地上に居るかどうかの監視、という事ですかね」
「どうかな。まさか誰も君がここに居るとは思ってもいないと思うけどね」
楽の証人に千尋を推薦した張本人はおかしそうに肩を揺らす。
「それにしても実に優秀だね、君のお嫁さんは」
羽鳥は腕を組んで今しがた入った情報を見て笑った。それを聞いて千尋も笑みを深める。
「そうでしょう? 鈴さんは素晴らしい人なのですよ。ねぇ? 楽」
「え!? は、はい……いや、でもこれを知ったらあいつ、めちゃくちゃ後悔するんじゃ……」
「もちろん知らせたりしませんよ。それに自業自得でしょう? どのみち私が地上に居ても同じことになっていましたよ」
今日、楽は朝から意見陳述をさせられてきた。
都での意見陳述は他の者が介入する事は許されない。傍聴席などと言うものは無く、裁判官と二人きりでそれは行われる。千尋の出番はまだ先だけれど、千尋は楽に何を聞かれても必ず正直に答えるように、とだけ伝えた。そこで嘘を重ねれば罪はさらに重くなってしまう。
ただでさえそちらに気が削がれているというのに、そんな日に限ってあちらは小賢しく千尋が地上に居るかどうかを確かめたらしい。
「利用された風龍は可哀相ですが、どうせ前科者でしょう?」
「その通り。こいつは人の番を襲った大馬鹿者だよ。それで最近追放された。高官でも無いし戻れない事を悲観でもしてたんじゃない?」
ほくそ笑む羽鳥に千尋は頷いたが、隣の楽は昼食のおにぎりを握りしめたまま震えている。
「楽、私がどうして都を飛び出したか分かるでしょう? 屋敷ではそんな素振りは見せませんでしたが、こんな事が私の周りでは日常茶飯事だったのですよ」
「そう……なんですか?」
「ええ。前にも言ったでしょう? 議会で暴れる者が居ると。行き過ぎて命を失う者も少なくはありませんでした。高官になるというのは一般的には名誉な事だと思われていますが、蓋を開ければなんてことはない。自我を通す為の戦場です」
「そうそう。だから君はあんな所を目指さないように。君みたいな子があんな所に行ったら絶対に心を病むからね」
そう言って羽鳥は怯える楽の頭を撫でて笑った。そんな羽鳥に青ざめて楽は頷く。
「さて、私は鈴さんの体調を聞かなければ。楽は少し休んでいなさい。決して外には出ないように。出るのであれば羽鳥と一緒に。良いですか?」
「はい」
「それじゃあ楽くんは僕と囲碁でもして遊ぼうか」
「い、囲碁!? 俺、遊び方知らないんですけど……」
「僕が教えてあげるよ」
羽鳥は引きつる楽を連れて笑顔で囲碁の準備をし始める。そのおかげで楽の緊張が少しだけ解けたのを、千尋は目を細めて見ていた。
♥
鈴と弥七は全力疾走で屋敷に飛び込むと、急いで雅と喜兵衛を呼んで居間に集まった。
「一体どうしたってんだ、そんな血相変えて」
「み、み、雅さん!」
「鈴さん、とりあえずお水どうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
肩で息をする鈴を見兼ねたのか、喜兵衛が水を差し出してくれた。それを一気に飲み干すと、隣に居る弥七の袖を握る。
「俺から話すか。さっき西の東屋が攻撃された。相手は風龍だ。鈴が見つけて俺を庇ってくれたんだ」
淡々と話す弥七に最初は雅も喜兵衛もポカンとしていたが、やがて眉を釣りあげて二人して弥七に掴みかかる。
「ちょっとあんた! 何庇ってもらってんだ! そこはあんたが真っ黒焦げになっても鈴を守るとこだろ!?」
「そうだぞ! 何逆に庇ってもらってるんだよ!」
「いや、それは難しいな。俺はまさにその東屋で本を読んでたんだ。鈴に呼ばれて気づいたら東屋から押し出されてた。びっくりしてたら東屋の屋根を白く光る矢がぶち抜いたんだよ」
「そ、それでどうしたんだい!? あんた達怪我はないのかい!?」
「大丈夫です。千尋さまの加護と剣が発動しました!」
「加護と剣?」
「はい! これです!」
そう言って鈴が懐から懐剣を取り出すと、それを見て雅がホッと安心したように胸を撫で下ろした。
「そうかい。はぁ……しかしよくもまぁ咄嗟にそんな物取り出せたね」
「練習してたので!」
「……練習?」
鈴の言葉に三人は同時に首を傾げて鈴をじっと見つめてくる。
「はい。こうやって、部屋で戦う練習をしていました!」
鈴が懐剣を握りしめて振り回すと、慌てたように弥七が鈴の隣から飛び退いた。
「ここで実演しなくていい! まぁ、そのおかげで俺は助かったんだが……最近の淑女はそういう物を振り回すのか?」
「そういやあんた前に言ってたね。意外と子どもの頃はやんちゃだったって」
「そうなんです。何だか懐かしかったです!」
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