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第331話
これこそが番の加護の反動なのだという事を鈴は知らぬまま、その後、鈴は夕飯まで眠りに落ちてしまった。
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裁判の日、傍聴席にはまだ昼間だと言うのに入りきれないほどの龍で溢れていた。楽の証人が千尋だという話が今朝になって一気に知れ渡ったのだ。そんな噂を流したのは他の誰でもない、羽鳥だ。
「千尋くん! 何も聞いてないんだけど!? どんな奇術を使ったの!?」
弁護人の控室で千尋が呑気にお茶を飲んでいる所に正装した流星が眉を吊り上げて怒鳴り込んできた。その隣で息吹が口の端を上げてニヤニヤしている。
「おや、二人共これからどこか出かける予定だったのですか?」
「おうよ! 久々に芝居観に行こうぜって家出たら、何か街でどえらい噂が流れてるからさ! 芝居より面白そうだってこっち来たんだよ。で、どうやったんだ?」
「羽鳥にお願いしました。ずっと彼の家に潜伏していたんですよ」
そう言っていつも通り微笑んだ千尋を見て流星が顔をしかめる。
「羽鳥か。千尋くん、仲良かったっけ?」
「ええ」
千尋の答えに流星は少しだけ俯いて鼻を鳴らす。
「俺達にも内緒でさ。人が悪いな、君も大概」
「あなたと羽鳥では出来る事も動かせる部署も違うではないですか。それに羽鳥は水盤すら囮にして都の膿を炙り出そうとしている人ですよ? あの強かさは見習わないといけませんね」
「ちょっと待って。水盤を囮にってどういう事?」
「そのまんまです。あの面倒が大嫌いな羽鳥が何の意図もなく水盤など預かると思いますか?」
「……言われてみれば」
「羽鳥だもんな……率先して嫌がるな……もしかして羽鳥は実は切れ者なのか!?」
考え込む流星と目を丸くした息吹に千尋は頷いた。
「当然でしょう。人間の祖母を持っていてもなお高官まで上り詰めた男ですよ? むしろどうして凡庸な男だと思うのですか?」
その理由はもちろん、龍が人間を下等生物だと未だに心のどこかで思っているからだ。
けれど流星も息吹もそれには答えずに視線を逸らした。
「そんな訳で私が楽の証人をします。今から初達の驚く顔を見るのが楽しみですよ」
そう言って微笑んだ千尋に流星も息吹も息を呑み、何故か千尋の正面に座ってお茶をすすり始める。
「それで勝算はあるの? 羽鳥の役どころは?」
「羽鳥は楽の弁護人ですよ。息吹、最高に面白い劇を見せると約束します」
「おお! それは楽しみだな。お洒落してきて正解だった!」
「俺も楽しみにしてるよ、千尋くん。それから俺はもうちょっと人間という生物と向き合わないとね」
ポツリとそんな事を言った流星は、すっかり渋くなったお茶を飲み干した。
都での大きな裁判は公正や公平さを証明する為に歌劇場が使われる。それは都で一番収容人数が多い建物だからだ。つまり、誰でも観覧する事が出来る。そもそも滅多な事ではこんな大きな裁判は開かれないので、わざわざ裁判を行う建物を作るのが無駄だというのも理由の一つだ。
龍の犯した犯罪は大抵が裁判官と罪を犯した者だけで成り立つ。つまり、歌劇場を使う今回の楽の裁判は久しぶりの大きな裁判だった。
舞台には楽が怯えたような顔をしてポツンと立っている。そのはるか上方に裁判官が座り、書類を整理していた。
そこらかしこから聞こえてくる野次はそのほとんどが楽を責める内容だ。
「可哀相にね。あんな小さい子によくあそこまで野次飛ばせるもんだ」
壁にもたれかかってそんな事を言うのは羽鳥だ。その隣で流星も息吹も眉根を寄せて傍聴席と言う名の観客席を睨みつけている。
「大丈夫ですよ。楽は最終的には私を救う英雄になるので問題ありません」
「そうなの?」
「ええ。鈴さんが貸してくれた恋愛小説にそういうのがあったので」
そんな事を言った千尋に流星が呆れたような視線を投げかけてくる。
「ねぇ千尋くん。君、恋愛小説なんて読んでるの?」
「ええ。最近ですけど、なかなか面白いですよ。それに鈴さんがどうすれば喜ぶかという勉強にもなります。あれは素晴らしい書物ですよ」
「そんなに面白いのか? 私も読んでみたい!」
「鈴さんにお願いしておきましょう。さあ、悪役達が出揃いましたよ」
そう言って千尋が反対側の舞台袖を見ると、そこには戸惑ったような顔をする初と千眼が居る。
「あれ? そういや謙信は?」
「謙信はね、なかなか尻尾を出さないんだよ。だから今日の標的は初。それから王様」
腕を組んだままそんな事を言う羽鳥にギョッとしたのは流星と息吹だけだ。もちろん千尋は最初からそのつもりなので頷くだけである。
「二人とも本気?」
「本気も本気。皆もずっと言ってたじゃない。今の王は凡庸すぎるって。だからここらへんで都を仕切り直さないとね」
「お前そんな軽く……まぁでも良いんじゃないか? これであの勘違い女もデカい面しなくなるだろ」
「息吹、初の事そんな風に思ってたの?」
おかしそうに羽鳥が問いかけると、息吹はしっかりと頷いた。
「うん。大っ嫌いだよ。千尋の為じゃなきゃ仲良くなんかなんないよ」
「そうなんだよね。息吹は昔っから初の事は嫌いなんだよ。ただでさえ口悪いのに、あいつの話になったらそれはもう荒れるからさ」
「それでよく今まで初と仲の良い振りが出来ましたね。あなた、芝居の才能があるのでは?」
「そうか? へへ! 何か照れるな。まぁ基本的に私は誰かを嫌ったりしないんだけど、あいつだけは無理。生理的に受け付けない」
「理由は初のちょっと引くぐらいの龍至上主義なとこなんだけどね。それがこの間決定的になっちゃったんだよね?」
流星が苦笑いして息吹を見ると、息吹は鼻息を荒くして早口で話し出す。
「あいつ! 鈴はどんな娘なんだってしつこく聞いてくるから西洋人形みたいだったって言ったら「千尋の好みではないわね」なんて言いやがったんだ! それだけならまだしも、とにかく鈴はお菓子と料理が得意だって言ったら「食事まで作るの? 嫌だわ。まるで召使みたい。可哀想ね。花嫁なんて言っても蓋を開けたらただの千尋のお世話係だなんて。どうせ他の家事も得意とか言うんでしょ? さすが人間だわ。それ以外に能力がないから誰でも出来る事を得意げに語るのよ。はぁ……やっぱり千尋には血統のしっかりした龍が一番ね」なんて言いやがるんだぞ!? その場であいつの逆鱗引っ剥がさなかった私を褒めてくれ! 私の可愛い可愛い鈴を捕まえてあいつときたら!」
「それはそれは……私の番になんて事を。これはもうとびきりのお仕置きが必要ですね。それから息吹、鈴さんはあなたのではなく、私のです」
「ちょっとぐらい良いだろ! で、お前の出番はまだ?」
「もうちょっとです」
言いながら千尋が壇上に目を向けると、こちらをじっと見つめる初と目が合った。その顔は、はっきりと困惑しているのが見て取れたのでいつもの笑顔を返しておく。
しばらくして裁判官が楽の罪状を読み上げた。それと同時にそれまでの野次がピタリと収まり、傍聴席は水を打ったように静まり返る。
「さて、ではそろそろ行きましょうか。羽鳥」
「はいはい」
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