503人が本棚に入れています
本棚に追加
第334話
ニヤリと笑った羽鳥に初は青ざめた。その隣では千眼が大きなため息を落として席を立つ。
「千眼、どちらに行かれるのですか?」
千尋の言葉に千眼はつまらなさそうに鼻で笑った。
「これ以上馬鹿なお姫さまの戯言に付き合ってはいられない。俺は今回証人として呼ばれてきた。それは楽に彼女が何の入れ知恵もしていないという証言をしてくれと言うものだった。けれど彼女はどうやら俺達に嘘をついていたようだ。だとすれば、俺はもう彼女の為の証言は出来ない」
「そうですか。それはそれは災難でしたね」
「災難な。全くだ。行くぞ。こんな奴の弁護などしなくていい」
せせら笑ってそれだけ言って壇上を下りる千眼と弁護人ににあちこちから同情の声がかかる。
そんな中、裁判官が楽に静かに問いかけた。
「楽、罪を認めますか?」
「……はい。認めます」
「では君への刑罰は法に基づき僻地での奉仕活動を――」
「少し待ってください、裁判官」
千尋が手を上げると、裁判官は閉廷の合図をする寸前で手を止めた。
「なんですか?」
「楽には情状酌量の余地があると思うのです」
「何故です? いくら無知な子どもだったとは言え、初さまの言動に惑わされたのは本人の責任です。これ以上の情状酌量の余地などありますか?」
「ええ、大いにありますよ。彼のおかげで地上は今日も平和なのですから」
千尋の言葉に裁判官が首を捻った。
「どういう事ですか?」
「彼は地上に下りてきてすぐ、全てを私に話してくれました。そしてその上で虚偽の情報を初達に流して時間稼ぎをしてくれていたのです。そのおかげで私はようやく強大な加護を地上に残すことが出来ました」
「それはこの間の事でしょうか?」
「ええ。地上に矢を放った風龍を死に至らしめたのは、私の番の加護です」
はっきりとそう言い切った千尋に、裁判官はおろか会場が静まり返った。
「番……の加護、と言いました……か?」
「言いましたよ。私の番の加護は龍神の花嫁に渡してきました。ですから初、すみません。先程はあんな事を言いましたが、私はどのみちあなたと番を解消する予定だったのですよ」
にこやかにそんな事を言う千尋に裁判官はぽかんと口を開け、羽鳥は呆れたように肩を竦め、楽はおろおろと皆の顔を見渡している。
そんな中、初は完全に取り乱し千尋が贈った髪飾りが取れた事にも気づかないほど頭を振った。
「……嘘……嘘よ……どうして……? どうして人間なんかに!? 嘘よ! 楽はそんな事一言も言っていなかったわ! 千尋は私のものよ! 偉大な水龍は次の王になるの! 千尋の番の加護も私のものだって決まっているのよ!」
錯乱したように叫ぶ初の事を、誰も気にしてなどいなかった。そんな事よりも千尋の言動に皆の興味が一心に集まる。
「冗談、でしょう?」
「冗談ではありません。私の番はもう決めてきました。そしてその方が今も私の代わりに地上を守ってくれています。それもこれも楽が協力してくれたからなのですよ」
笑顔でそんな事を言う千尋に裁判官は呆気にとられたようにゴクリと息を呑んで楽を見た。
楽はそんな裁判官に引きつった笑顔を見せて頷いている。それを見て裁判官は諦めたように頷いて判決を変えた。
「都の掟の大前提として、他種族の蹂躙は重罪です。それは太古の昔、この地に龍が降り立った時からの決まり事です。楽は確かに初さまに言われて地上に下りましたが、すぐにそれが罠であると見抜いて千尋に協力をした。そういう事ですか?」
「はい」
裁判官の言葉に楽が力強く返事をした。その途端、先程まで楽に野次を飛ばしていた龍達が一部の龍たちを除いて手の平を返したかのように今度は楽を褒め称える。
裁判はどんな者でも観覧して良い。ここに居るのはほとんどが庶民だ。
一部の高官達は千尋の番が人間だと言うことに異論を唱えたいだろうが、大半の者は人間が都に来ると文化が発展する事を知っている。ましてやそれを高官の水龍がやったのだ。まさに夢物語のようだと感じているのではないだろうか。
沸いた会場を見渡した裁判官は、大きなため息を落として千尋と羽鳥を見ると、最後に楽を見て言った。
「楽の処分を言い渡します。今後も千尋について地上に下りる事。それから今まで通り、千尋の手足となる事を命じます」
「は……はい!」
裁判官の言葉に楽は涙を浮かべて大きな声で返事をすると、すぐさま千尋の元に駆け寄ってきて千尋と羽鳥に頭を下げた。
「ありがとうございました! 千尋さま、羽鳥さま!」
「いいえ、お礼を言うのはこちらですよ。そしてこれからもよろしくお願いしますね」
「はい!」
「頑張ったね、楽。お疲れ様。さて、初の罪状はどうなるのかな? これで完全に千尋との関係は消えたね」
羽鳥が笑顔で初を見ると、初はその一言にピクリと肩を揺らした。
少し様子がおかしいなと思ったその時、初は耐えかねたようにとうとう龍の姿に戻って真っ直ぐに楽目掛けて飛びかかろうとしたのだ。
初の爪先が楽に伸ばされた瞬間、
「させませんよ」
千尋はすぐさま楽を後ろに庇うと、自身も龍の姿に戻って初の逆鱗目掛けて尻尾を振った。流石に殺してしまう訳にはいかないので相当力は加減したのだが、それでも千尋の尾は初の逆鱗をかすめ、大きな傷跡を残す。
「あ……が……?」
逆鱗に傷を負った龍はすぐには回復しない。初にはきっと何が起こったのかも分からなかっただろう。その証拠に初はそのまま観客席に倒れ込むようにゆっくりと落ちて行った。
しばらくは会場内の誰も何が起こったのか把握出来なかったかのようにシンとしていたが、ふと羽鳥が声を上げる。
「うわー……痛そ。救護班、あの人運び出してあげてー」
その言葉にようやく我に返ったのかあちこちから龍達がやってきて意識を失った初の身体を担ぎ上げると、そのまま歌劇場を出ていった。
「千尋……何故初に手を出した」
下の方から声がして見下ろすと、そこには王が睨むようにこちらを見上げている。
「見ていなかったのですか? あなたの娘が先に楽に手を出したのですよ。それとも庶民は姫に傷つけられても良いとでも仰るのですか?」
「当然だ。庶民が王家に逆らう事など断じて許されぬ!」
「なるほど。民はあなた達の所有物か何かだと仰るのでしょうか? あなた達が死ねと言えば死ぬのが正しい民だとでも?」
「そうは言っていない。だが、お前の番だったのだぞ!?」
「だからなんです?」
「だからなんだ、だと? ……そこまで冷淡だったか、お前は」
「何を今更。あなた達がそんな風に私に押し付けてきたのではないですか。いつでも水龍らしく公平で冷静で冷淡であれと。違いますか?」
「……」
「そんな事はしていないなどと仰らないでくださいね? 私をこの役職につけたのも、初と私が番関係になるよう仕向けたのも、娘可愛さに原初の水を盗んだ事をいつまでも処罰を与えずに匿っていたのもあなた。私は皆の思う通り、冷淡で公平な龍なのでたとえ王であろうと見逃しませんよ。覚悟しておいてください」
最初のコメントを投稿しよう!