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第3話
そこまで言って言葉を詰まらせた。思っていたよりも久子に受け入れてもらえていなかった事がショックだったようだ。
「そんな! 鈴ちゃんも家族なのに!」
「ありがとう、蘭ちゃん。そう言ってくれるだけで嬉しい」
本当にその言葉が聞けただけで嬉しい。そんな言葉を飲み込んでまた零れそうになった涙を袖で拭う。
「とりあえずもう一度お母様達と話してくるわ」
「うん、ありがとう。蘭ちゃん、チョコレートケーキもありがとう」
「ええ。また何かお菓子を貰ったら持ってくるわね。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
そう言って、蘭は静かに母屋に帰って行った。
鈴は布団に転がって天井を見上げ、さっき食べたチョコレートケーキを思い出して思わず微笑む。
いつからだろう、蘭がこんなにも鈴の事を気にかけてくれるようになったのは。そのきっかけは何だったかはもう思い出せないけれど、この家の中で蘭だけが心の拠り所だった。
翌日、目が覚めて蔵から出ると蔵の前に歪な卵焼きと鮭と昆布のおにぎりが手ぬぐいに包まれて置いてあった。この蔵で過ごすようになってからこの現象はほぼ毎朝続いている。
最初は不思議に思っていたが、今はもう今日のおかずは何だろうかと思う程度には毎朝楽しみにしていた。こんな事をするのはきっと蘭だろう。
朝食を蔵の中に一旦置いて、鈴はそのまま皆の朝食を作りに向かった。
誰かは分からないが、鈴の為だけに毎朝こうやって朝食を作ってくれる人がいる。その事実こそ鈴がこの家の事を嫌いになれない理由だったのかもしれない。
朝食を作り終えて後片付けをしていると、珍しく久子がやってきた。
「ちょっと。手を止めてこちらにいらっしゃい。話があります」
「……はい」
内心「きた」と思っていた。久子がこのタイミングで鈴に話など、あの話しかない。
言われるがまま久子についていくと、久子は勇の部屋に案内してそのまま立ち去ってしまう。
「鈴、座りなさい」
「はい」
着物の裾に気をつけながら勇の正面に座ると、じっと勇を見上げた。途端に勇は鈴から目を逸らせる。
「こちらを向くなといつも言ってるだろう」
「ご、ごめんなさい」
突然の勇の声に慌てて視線を伏せると、そんな鈴に安心したように勇は話しだした。
「鈴、お前に縁談が来ている。蘭と菫の代わりに嫁ぎなさい。先方はこの屋敷に居る娘とだけ言ってきた。お前には勿体ない話だが、蘭はこの家の跡継ぎで菫もまだ女学校に通っている最中だ。昔ならいざしらず、今は女でも学はある方がいい」
「はい」
「つまり、この家から今その縁談を受ける事が出来るのはお前しか居ない。分かるな?」
「……はい」
思わず小声になってしまった鈴の耳に、勇の声が聞こえてくる。
「はぁ、本当にお前は菊子にそっくりだな」
「……」
菊子というのは鈴の母親の名前だ。勇は菊子がイギリス人だった父とほぼ駆け落ち同然で家を飛び出した事を、未だに怒っている。
「まぁいい。そんな訳だからお前は今日中に荷物をまとめておけ。あちらはしばらくお前の身柄を預かりたいと言ってきている」
「え?」
「なんだ? 何か問題があるのか?」
「い、いえ」
縁談とは言えまだ顔合わせもしていないのにしばらく身柄を預かるだなんて聞いた事がない。
驚いて思わず顔を上げると、勇と目があった途端また逸らされてしまった。
「婚前の娘の身柄を預かりたいなどと普通の神経では考えられんが、相手はあの神森家だ。何を言われようとも特別驚くこともないだろう」
「神……森、家……」
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