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第480話
そう言って立ち上がろうとした鈴の腕を千尋が掴んだ。それと同時に雅がくるりと振り返って怖い顔をして鈴の鼻先に指を押し付けている。
「あんたはここに居な!」
「は、はい」
「鈴さんは私と千隼の相手をしていてくださいね」
千尋の言葉に鈴は満面の笑みを浮かべて頷くと、千尋が抱く千隼を覗き込んでさらに笑顔になった。そんな鈴の顔を見て思わず千尋も微笑んでしまう。
その途端また部屋が光り、楽と勇がやっぱり同じ格好をして写真を撮っていたのだった。
♥
千隼は鈴が毎日ピアノを弾いていたからか、ピアノの音には酷く敏感になっていた。
「おい、また荒ぶってんぞ」
楽の膝の上で大暴れしている千隼を見て鈴は青ざめた。
「す、少しの間違いも許されません!」
鈴が涙目で隣の千尋を見上げると、そんな鈴の頭を千尋はおかしそうに撫でる。
「千隼はどうやら音楽に厳しいようですね」
千尋の言う通り、千隼は鈴がピアノを一音でも間違えると荒ぶる。名前の通り、なかなか自己主張の激しい子だ。
「十分に上手だと思うのですけどね。では仕方ありません。千隼にママの素晴らしい歌を聞かせてやりましょう。鈴さんの歌は今までも聞いていたでしょうが、私の演奏で歌を聞くのは初めてでしょう?」
そう言って千尋はポロンとピアノを奏でた。それを聞いて鈴は嬉しくなって立ち上がると、目を閉じて大きく息を吸う。
一人で歌っていた頃も楽しかったけれど、千尋の伴奏で歌うのは格別だ。まるで自分の声ではないかのようにどこまでも伸びるのも、きっと千尋の演奏のおかげに違いない。
歌い終わると、千隼は目を丸くして呆然としていた。そんな反応が新鮮で思わず鈴が近寄って抱き上げると、突然手足をバタバタさせて喜びだす。
「満足したようですよ」
「千尋さまのおかげですね!」
鈴が言うと、千尋は穏やかに微笑んで鈴を手招きして鈴の手から千隼を受け取り、自分の隣を叩いた。
「千隼、いいですか? この音がドです。そしてその隣がレ。こんな風にピアノの鍵盤は横にドレミファソラシドと並んでいるのですよ」
「ち、千尋さま、千隼には流石にまだ早くないですか?」
「そうですか? 言葉の意味は分からなくても感じる事は出来ます。あなたはどの音が好きですか?」
そう言って千尋が千隼を鍵盤に向けると、千隼は闇雲に鍵盤を叩き始める。どうやら音が鳴るのが嬉しくて仕方ないようだ。
「喜んでる……」
「龍は音楽が好きなのです。それはきっと、赤ん坊の頃から変わりません」
そんな事を言いながら千隼に鍵盤を叩かせる千尋の横顔は、とても綺麗ですっかり父親の顔だった。
そんな光景を見ていた楽が部屋の隅から太鼓を持ってくる。それを見て千尋は笑って鈴の膝の上に千隼を置いて、鈴が大好きなアメイジング・グレイスを奏で始めた。
その拍子を楽が取るので鈴は嬉しくなって千隼を抱いて歌い出すと、千隼も声を張り上げて意味のない言葉を叫ぶ。
何だか嬉しくなって鈴は千隼を抱きしめて頬にキスすると、千隼もはしゃいだ。
ほんの少しの間の演奏会は夕食の時間が来たことで終わりを告げたが、鈴の中に何かすっかり忘れかけていた気持ちを思い出させた。
家族の時間、それはいつだってこんな風に温かくて幸せで、こんなにも穏やかだったのだ。
夕食を終えて千隼をお風呂に入れる練習をしようと雅に言われ、鈴は菫と雅と共に千隼の入浴をさせた。それを後ろから千尋と楽が真剣になって見ている。
「明日は私が沐浴をさせましょうか」
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