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「痛てぇ。」
バラエティ番組で散々ネタにされるがホホジロザメの鱗はワサビを擦れるくらいに硬い。
それは水族にも言えることで子猫に噛まれたぐらいで―――しかも、まだ生えたての歯で―――、痛みなんて感じていなかった。
それでも痛いと思ったのは、裏切られたと思ったからだろう。
こいつが噛み付いてくるなんて考えなかったから、だから、俺はこいつに触ろうと思った。
あぁ、これは体の痛みなんかじゃなくて胸の痛みなんだ、と気付いて、我ながらクサいことを考えたなと思ったら笑えてきた。
バカみたいだ。
「……いいんだよ。」
まだ指先に噛み付いたままの子猫に言う。
「生き物はそれで。」
痛かったら痛いと言えばよかった。
殴られるなら逃げ出せばよかった。
おふくろを俺自身を守るために親父を殴り返したって、噛み付いたってよかったんだ。
それができなかったのは親父に逆らうという選択肢が端から俺になかったからだ。
もし、俺もこいつみたいに、噛み付いていれば何かが変わっていただろうか―――。
今さら知り得た感情に後悔した。だが、清々しくもあった。
過去は変えられないけれど、もし、目の前に傷だらけで毎日消えたいと思っていたガキの頃の俺がいたら、かけてやりたい言葉に今、出会った。
それだけで救われた気がした。
それを教えてくれたのは恐れを知らないちっぽけな命。
子猫は心なしか噛み付いた物の感触に違和感を覚えているかのような顔をしているように見えた。
こいつは俺を同じ動物だと見なしているからホホジロザメ相手でもためらわず噛み付いたのだ。
残念ながら、俺は動物じゃないから敵に噛み付くことで物事を解決できる世界には生きていない。
だけど―――。
痛みでしか誰かと繋がれないと思っていた。
だが、その痛みを上回るものを一つだけ知っている。
愛だ。
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