第1話 桜・3

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「先生に、もう一個渡しそうと思ってたんだ」  門脇は、わずかな風圧にさえ飛んでしまいかねないそれを用心しつつ、家永の向かうモニターの横にそっと置いた。  モニターから一度だけ視線を移し 「……なんだ、これは?」  と家永が問う。 「桜の花びら」 「物質の名前を聞いたんじゃない。こんなものをわざわざ拾ってきたのかと聞いたんだ」 「わざわざ拾うかよ、きったね。空中キャッチに決まっているだろ」  会話がいまいちかみ合ってない……と家永は思った。 「外は、もう春だぞ」 「そんなのは分かっている」  ぽかぽかとした陽気に、研究室の室温計は18度を表示していた。 「どうだか。入学式があったのさえ知らなかったくせに」  それを言われたら、ぐうの音も出ない。 「先生は内に籠って研究ばっかだろ? たまには外に視線を向けてもいいと思うけどな」 「…………そうか、もう桜が散っていたのか」  ちょっと動いた勢いでどこかに飛んでいきそうな、そんななんとも儚い薄紅色の存在を、家永は指先で丁寧に摘まんだ。 「ありがたくもらうとしよう」  そう言って、自分の手帳にそっと挟みこんだ。           ―第1話 桜・了―
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